ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.95より

インドの核燃料不足

         スレンドラ・ガデカル
          (「Bulletin of the Atomic Scientists」08年8月6日号より)

* スレンドラ・ガデカルさんは、核のないインドをめざす機関紙「Anumukti」を発行し国際的な評価を受ける。非暴力による社会変革を希求するガンジー主義のアシュラム主宰。第5回NNAF(1997年、フィリピン)に参加、第7回NNAF(1999年、インド)主催者の一人


要旨

・ウラン燃料の不足が深刻化し、現存するインドの原発の運転が制限され、政府の核エネルギーに対する野望にも限界が突きつけられている

・インドはNPT(核不拡散条約)に加盟していないので、国際社会に協力を求めることができない

・国際的な議論を巻き起こしている「米印原子力協定」は、ウランおよび核技術の輸入を可能にするという意味で、インド政府の劣勢を変化させる可能性を持つ

・インドの政治エリートは数十年間にわたって原子力エネルギーに重点をおいてきたが、それによって同国にもたらされた恩恵は決して大きくない

 

 国内産のウランは、これまでインドの核への野望を支えてきた。しかし、国内産ウランの欠乏により、インドは深刻なウラン燃料不足に直面している。既存の原発は発電量を減らしており、新規原発建設の延期がくり返されている。

 この40年間インドは、独自の原発および核兵器施設をNPTの枠組外で稼動させ、国際的な核の貿易から排除されていることを克服しようと奮闘してきた。

 物議をかもしている「米印原子力協定」は、政府のウラン燃料不足を打開するかもしれない。しかし、インドが長く夢見てきた、トリウム燃料サイクルと最新の増殖炉に基づく洗練された核エコノミーという夢は、はかない夢のままとなるかもしれない。

 とてつもない資金と資源が投入されてきたにもかかわらず、核エネルギーはインドのエネルギー供給の中でわずかな量しか占めていない。インドで発電される電力のわずか3 %である。

 そのようにごくわずかな貢献しかできていないにもかかわらず、インドのエリートたちにとって核エネルギーは大きな位置を占めている。さまざまな異なった政治的主張を持つ主要政党のすべてが、核エネルギーについては一致して賛成している。英語を話すインド人たちがしばしば共有している考え方は、核エネルギーに継続的に多大な投資をしていかなければインドはだめになってしまうというものだ。議会与党の要職にあり南部カルナタカ州の大臣を務めたこともあるヴェーラパ・モイリーは、原子力を「インドの生命線(the lifeline of the country)」と評した。

 インド政府が核エネルギーに魅了されたきっかけは、時をはるかにさかのぼる。1948年にインドはアジア地域の国家として初めて原子力委員会(AEC)を設立した。

 1年後、希少金属部門がAECに統合され、ウランおよびその他の核関連鉱物資源の必死の探索が開始された。1951年には、ジャドゥゴダ・ウラン鉱山が発見された。インド東部のジャールカンド州、工業都市タタナガルの西20マイルの地点である。

 ムンバイに建設されたインド最初の研究炉は1951年に運転を開始し、1960年代初頭までにインドは、大規模な原子力生産へ踏み出す準備を整えた。

 この時点で、政府は二つの選択肢に直面していた。より一般的なアメリカ製の軽水炉型の原子炉を建設するのか、または未検証であるカナダ製のCANDU炉を建設するのか。最終的には、CANDU炉が選択された。なぜならCANDU炉では天然ウランを燃料として使用するからだ。当時インドはウラン濃縮施設を所有していなかった。インド政府は、ウラン濃縮能力を獲得することよりも、重水生産にかかわる問題のほうが乗り越えやすいと考えたのだ。

 自立的であることがインドの核企業の土台となった。まさに、超人的な努力であった。1950年代後半から1960年代初頭にかけて、原子力はインドの研究予算全体の3分の1を食い尽くした。燃料製造、原子炉の設計を含めてすべてが国内において自力で開発された。

 もちろん、原子力に関する関心は発電の領域を超えて広がった。広汎な反対にもかかわらず、インド政府は原発が核兵器製造にも二重に適用可能な技術であることを理解した。CANDU炉が持つ能力、すなわち原子炉を停止することなく、新しい燃料を追加でき、プルトニウムを含む使用済み燃料を取り出すことのできる能力は魅力的であった。なぜならば、その曖昧さが将来の核兵器研究を容易にするからであった。

 しかしそのころ、アメリカからのひそかな支援や1964年の中国による初の核実験などにもかかわらず、インドが直接的に核兵器開発に乗り出すことはなかった。

 ウラン探索のたゆまぬ努力にもかかわらず、インドでは採掘が経済的に見合うウラン鉱床を発見することができなかった。ジャドゥゴダにおけるウラン鉱石の平均濃度は0.07%であった。(比較の対象をあげると、カナダのウラン鉱山では濃度が20%である)。

 一方で、世界の高品位トリウム埋蔵量の25%がインド国内に存在することが明らかとなった。これは、提案されていたもうひとつの核燃料サイクルを実現させる基礎である。この資源を利用するために、インドの核の父とされるホミ・J・バーバ博士は同国で原子力を開発するための三段階の行動計画を策定した。

 第一段階では、使用済み燃料からプルトニウムを取り出すための再処理工場の近くにCANDU炉が建設された。第二段階では高速増殖炉が建設され、第三段階では、インドが莫大な埋蔵量を誇るトリウムを用いてトリウム・ウラン燃料サイクルを完成させて、電力に困らない時代が来るはずだった。

 1962年にバーバ博士は「1987年までには原子力によって2000〜2500万kWの電力が供給されることになる」と予測していた。しかし彼の見込みは大きく外れた。1987年までにインドは132万kW規模の発電能力しか有していない。その理由の一部は、国際的な孤立にある。

 1974年の核実験をインド政府は「平和的な原子力装置」の爆発であると主張したが、これによってインドは国際的な「のけ者」となった。合法的に核物質を海外から得ることは不可能となり、政府の野心的な原子力エネルギー計画は完全に脱線した。

 「原子力の自立」は、ただのスローガンから、真に必要なものとなった。

国内の本格的なウラン探索は1967年に再開された。インド国営ウラン公社(UCIL)はその1年後にジャドゥゴダにウラン精製工場を建設した。ここでは1日に1000トンのウラン鉱石を精製する能力を持っていた(ジャドゥゴダの0.067%の濃度の鉱石を用いて年間300日操業したとして、年に200トンの純ウランが生産されると見込まれる)。

 さらに、銅のテーリング(残滓)からウランを取り出す事業が、1975年にはスルダのヒンドスタン銅公社で、1983年にはラカで、1986年にはムサベニで開始された。これらすべてはジャドゥゴダから30マイル以内の地域に集中している。

 国際的な制裁や経験不足で原発建設が大きく遅れたこと、完成した原子炉の技術的な問題で低い発電能力しか実現できなかったことなどのために、ウラン採掘事業はウランの供給過剰という結果を招いた。

 そのようにして、1990年代初頭には政府の原子力支持の熱が冷め始めた。グローバリゼーションの波の中でインド経済が国際的に開かれたこともあり、最も熱狂的な原子力推進論者と思われた政治エリートらからも「他の安価なエネルギー資源と比べて優れた経済的パフォーマンスを示すことで、原子力はその存在意義を示すべきではないか」といった発言が出始めるようになった。

 しかし1998年にポカランで核実験が行われると、原子力は再び息を吹き返した。核プロジェクトへの資金提供は増加し、同時に研究も進んだ。既存の原発の運転能力も著しく改善し、新しい原子炉の建設に要する期間も大きく短縮された。

 しかしながら、ウラン採掘を管轄する原子力庁は、この変化にもウラン燃料の需要の伸びにも対応することができなかった。このことが、インドにおけるウラン燃料不足の問題を引き起こすことになった。

 ジャドゥゴダのほかに、核鉱物部門(Atomic Minerals Division)はバティン、ナルワパハール、バンドゥフラン、バジャタ、トゥラムディ、モフルディにおいても1960年代後半にウラン鉱床を発見していた。バティンとナルワパハールの鉱山はそれぞれ1986年と1995年に操業を開始した。そしてジャドゥゴダのウラン精製工場の精製能力は1997年には1日あたり1090トンへと急増した。

 核鉱物部門が発見した鉱山を開発する仕事を担当しているUCIL(ウラン公社)は、1989年にトゥラムディにも鉱山を開発した。しかし3年後にはすべての業務を投げ出してしまった。ウラン鉱石の品位が低すぎて操業を続けることが不可能とわかったからであった。どのような品位のウランでもよいから手に入れたいという流れのなかで2005年に再び採掘が開始され、2007年には一日に3000トンの精製能力を持つウラン精製工場が建設された。近接するバンドゥフラン鉱山も2007年に操業を開始した。

 上記ウラン鉱山と同じように低い品位のウラン鉱床はインドのいたるところで発見されているが、その中で最も品位の高い鉱石(報道によると0.08%)が見つかっているのはバングラデシュとの国境から数マイルしか離れていないドミアシアットである。その他にUCILが積極的にかかわっているのはアンドラプラデシュ地域の南東部にあるナルゴンダとクダッパ、そしてカルナタカ州の南部にあるガルバルガ地域である。

 しかし努力が続けられているにもかかわらず、これらのどの地域においても鉱山の操業は始まっていない。UCILは「一部の人々」が環境的な影響を指摘して反対しているからだと非難している。しかしそれは真実とは思われない。大規模で十分に組織された民衆運動が大規模なダムや発電所建設に反対していたときも、政府はそれらを効率的に踏みにじってきたではないか。

 真相はたぶん次のような理由ではないか。深刻なウラン不足にもかかわらず、UCILは、政府がマオイストの暴動に直面している遠隔地域では仕事をしたくないと考えているのだろう。ジャールカンド、オリッサ、アンドラプラデシュなどの東部諸州では、深刻な法と秩序の問題が存在する。メガラヤではあからさまな暴動は起きていないものの、伝来の土地から強制移住させられた先住民族は「よそ者」に対して激しい怒りをもっている。

 0.06〜0.07%の濃度を持つといわれるジャドゥゴダのウランについても政府の主張には矛盾がある。インドで最初にCANDU炉が運転を開始して以来発電した総量から計算される必要なウラン燃料の分量は4000トンである。もしウラン鉱石が0.06%前後の濃度を持っているならば過去40年間で8000トンを生産してきたはずである。いくらかが核兵器製造にまわされたと考えても、ウラン不足がこれほど深刻な問題となることは考えられない。インドの核エリートから提供されるデータは信用できないので、根本的な原因を確定することは困難である。

 UCILは低い品位の鉱石を大量に採掘しようとしている。トゥラムディやその他のジャールカンドの新しい鉱山では0.02%という低い品位である。このことは、インドは入手しやすい高品位のウランを所有していないということを表す。そして現在のウラン不足の現状は、ジャドゥゴダ鉱山でさえ0.03%以上の品位を持つ鉱石が採掘できないことを示している。

 明らかに、海外からウランを購入するほうが安価である。ウランの輸入は「米印原子力協定」で可能になる。

 しかしこの協定が効力を持つには、超えなければならない様々なステップがある。IAEAがインド独自の保障措置協定を是認しなくてはならない。すると政府は商業炉を国際的な監視下に置くことになり、一方で軍事施設は監視されない状態を保つことになる。そして、NPTを批准していないインドとの核に関する取引を許可することを、核供給国グループに認めさせなければならない。その上で議会において投票を行う前に、IAEAがその計画を承認したということをアメリカ大統領が保証しなければならない。

 「米印原子力協定」は核物質や核技術の輸入を可能にするが、インドの政党は右派、左派を問わず反対意見を表明している。右派は、今後の核実験が制限されることを理由に反対しており、左派は、インドがさらにアメリカの利権に屈服させられることを恐れている。

 インドの核エリートはウランを輸入すること以外には何も求めておらず、これまでどおりインド製の原発を建設し続けたいと考えているようだが、そうなる可能性は低いだろう。

 「米印原子力協定」が発効したら、インドはウランおよび核技術を外国から輸入することになる。

 アメリカ、フランス、その他の国々がこの協定のために並外れた熱意を見せているのは、それらの国々において原子力産業が死にかけているからである。生き残るためには、新たな原発建設の注文が必要なのである。

 原発の輸入は、インド政府にとって経済的なメリットはない。輸入された原子炉を用いて発電される電気の価格は、インド製原発によって発電される電気の価格より50%高い。

 しかし現在のインド政府首脳は、そのコストを支払おうとしている。その理由は、数十年間続いた核による国際的な孤立を解消すること、そしてアメリカ政府とより親密な戦略的関係を構築するための道筋であると感じているからだ。

 短期的には、インドの原発は発電量を減らすことになるだろう。問題の多い原発は、ウランを節約するために閉鎖されるだろう。

 もし「米印原子力協定」が発効して外国のウランが利用可能になったら、ウラン不足の問題は直ちに解消するだろう。

 それでも、世界のウラン価格が高騰していることやインドの低い人件費から考えると、インドのウランは競争力のある選択肢として残るかもしれない。

 「今世紀中ごろまでには27500万kWが原発によって発電される」というインド政府の夢は、あまりにも楽観的である。原発による発電量は現在400万kWである。そのような荒々しい予測が現実のものとなるには、さらなる高速増殖炉やトリウム技術が一分の隙もなく成功しなければならない。

 しかしそうなるなら、それはあまりにもゆがんだ優先順位である。

 インドにおける真のエネルギー危機とは、インドが擁する無限の太陽光とバイオマスの力を利用する能力を持っていないことだ。

 それがあれば、大多数の人々のために本当の意味で有益な資源を提供することができるだろう。



ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.95もくじ

                
 (08年12月20日発行)B5版22ページ

●露見する困難の連鎖 核燃料サイクル (山本若子)            

●劣化ウラン・原子力空母・日米安保とアジアのあした (山崎久隆)     

●原子力施設ナビのご紹介 (とーち)                    

●大急ぎ工事、台湾第四原発でまた二人の死者 (呉文通) 他  

●インドの核燃料不足 (スレンドラ・ガデカル)               

●フィリピン、2025年までに60万kWの原発建設計画
                  
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