ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.91より

インドネシア原発建設予定地の反対運動はいま

           ― バロン村を訪問して ―

             インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA) 野川未央

                バロン村、原発反対の横断幕

 インドネシアで2001年に再燃した中ジャワ州ムリア半島における原子力発電所建設をめぐって、昨年夏以降ジュパラ県を中心に大きな反対運動がおこったのはみなさんの記憶にも新しいのではないだろうか。

 日本でも「ムリアは無理や!(通称ムリ無理)」キャンペーンを立ち上げ、全国の支援者の方がたから賛同いただいた。その結果、7月にはインドネシアから反原発の活動家を招へいし、東京・大阪で講演会をおこない、ムリア原発建設について問い直す機会をつくれたように思う。

 その後も、地元を中心とした活発な反対運動の展開、ナフダトゥル・ウラマー(NU)ジュパラ県支部による「ハラム」(イスラームで禁じられているもの)裁定の表明、それらに対する政府側の見解など、インドネシアのメディアでは原発に関する話題が頻繁に取り上げられていた。

 そうしたなか、昨年夏に来日したヌルディン・アミンさん(通称グス・ヌン)(1)から、マドゥラ島(2)の反原発活動家が脅迫行為を受けているというメッセージがNINDJAメンバーに届いたこともあり、インドネシアに滞在中のわたしはジュパラ県に向かった。

 グス・ヌンに会って早々に、活動家への脅迫についての状況を確認したが、すでに警察および国家人権委員会に報告をし、それ以降は新たな脅迫行為はおこっていないとのことだった。それを聞いてまずは一安心したものの、原発建設のような「国家プロジェクト」に批判的な活動家に対しては、あからさまな脅迫行為がおこるという事実に対して憤りを感じざるをえなかった。

 滞在期間も限られていたため、さっそくグス・ヌンとともに原発建設予定地であるジュパラ県バロン村を訪問した。

 前回わたしがジュパラ県を訪問したのは2007年2月、約1年前のことだ。当時は反対運動が活発になる前だったため、わたしたちは、外部の人間が不用意に立ち入って悪影響を及ぼすことを懸念し、住民へのインタビューをおこなう数名を除いてはバロン村には入らないことにした。

 しかし、いまや状況は一変していた。話に聞いていたとおり、バロン村の住民自身が、ジョグジャカルタの大学生と協力して活発な反対運動を展開しているのだ。

 その反対運動の中心となっているのがKRATON(原発に反対する民衆・学生連合)である。グス・ヌンもこのKRATONとともに活動をしているため、今回バロン村に到着して最初に、KRATONのメンバーである大学生が寝泊りしている場所を訪れた。

 そこは村の他の家屋と何ら変わらない一軒の家、しかしながら一歩なかに足を踏み入れると、大学生7・8人が車座になって議論をしており、さながら集会場といった様子。この家を所有するクワティ夫妻が、彼ら(残念なことに、KRATONに参加しているのは男子学生のみである)の食事の世話などをしているということだったが、本当の親のように学生たちを温かい目で見守る姿が印象的だった。

 なお、彼らはみなジョグジャカルタの大学に籍をおいているが、「いまは勉強より大事なものがある」との思いから、バロン村に住み込んで活動をしているという。レポート提出のためなどに交互にジョグジャカルタに戻ったりはしているものの、常時10人ほどがこの家で寝泊りしているとのことだった。

 そうこうしている間に、バロン村の住民も少しずつ集まってきたので、つたないインドネシア語でこれまでの反対運動の状況などを聞いてみた。

 住民の一人、スマディさんが語ってくれたところによれば、2007年の夏以降に原発建設反対運動がとても活発になり、どのように原発反対の意思を示していいかわからなかったそれまでの状況から脱することができたという。また、原発建設に関する情報も依然とは比べものにならないほど、しっかり入ってくるようになったとのことだった。

 隣に座っていたアフマディさんは「夏におこなわれた原発反対の大きな集会の際は、どちらかというとNGOや外部の人びとが主導だった。でもいまは違う!」と熱く語ってくれた。

 実際に、わたしが訪問する2日前の2月28日にもバロン村住民による非常に大きなデモがあったという。約6000世帯からなるバロン村であるにもかかわらず、このデモには2000人以上(3)の住民が参加したというから、その規模の大きさや住民たちの思いが理解していただけるのではないかと思う。

 このデモでは、昨年2月にわたしたちが見学した国家原子力庁(BATAN)の事務所の門を封鎖し、「気象観測用」だと説明されている敷地内の塔の取り壊しを訴えたそうだ。その様子は地元の新聞でも写真入りで大きく取り上げられており、その記事は学生たちがつくったスクラップブックの一番新しいページを飾っていた。

 いまも門は封鎖されたままだというので、BATAN事務所(夏以降職員もおらず、使用されていないため「事務所跡」と言ったほうが正しいかもしれない)に連れて行ってもらうことにした。

 BATAN事務所の門はレンガと泥でつくられた頑丈な壁で封鎖されており、「原発反対(PLTN DITOLAK)」という赤い文字が目立っていた。また、「住民によって封鎖(Disegel Rakyat)」と書かれた大きな横断幕も掲げられ、そのほかにもデモ行進の際に住民が持っていたと思われる紙製のプラカードが多数立てかけられたままであった。2日前におこなわれたデモの熱気が周辺に漂っているように感じたほどだ。

 なお、BATAN事務所であることを示す看板が白塗りされていたので、KRATONのメンバーに事情を尋ねたところ、「去年の8月だか9月だったかなぁ、BATANの職員が突然やってきてペンキで塗っていったんだ」と説明してくれた。

 バロン村住民の間では笑い話になっているこの看板の件をとっても、政府側が慎重な姿勢をとらざるえないほど、地元の反対運動が影響を与えていることがわかる。

 そのいっぽうで3月12日には、クスマヤント・カディマン研究・技術相が、2025年までに4つの原子力発電所を建設することを改めて表明した。その建設場所として、依然として中ジャワ州ムリア半島を挙げ、2008年度内に建設を開始しなければならないと述べている(『ジャカルタポスト』08年3月12日)ことからも、計画そのものが白紙にされない以上、住民や学生たちの活動はつづいていくだろう。日本のわたしたちが、どのような形で地元の運動と連帯できるのか、今後も模索していきたい。

(1) NUジュパラ県支部代表であり、反原発の活動家でもある。
(2) 中ジャワ州ムリア半島同様、原発建設の候補地として名前があがっている。東ジャワ州の商業都市であるスラバヤ市の対岸にある島。
(3) 『コンパス』08年2月29日。KRATONのメンバーは、5000人近くが参加したと言っていた。



                                  BATAN事務所の門を「壁」で封鎖


地域住民がBATANの気象観測塔を封鎖
― ジュパラ県バロン村の住民らが再び原発建設に反対する行動を決行 ―

                         
                            (スアラ・ムルデカ紙 2月26日付)

 明日2月27日に、数千人の村人らが、約1キロの道のりをデモして、村の北端にあるBATAN(原子力庁)の気象観測塔を封鎖することを計画している。

 「私たちは、住民が本気で原発計画に反対していることを明確に表したいのです」と村人の一人、ダフィック氏は話す。住民らは正式な招待状を村外の各方面にも送付している。

 ダフィック氏は「この問題に関する政府の見解に一貫性が見出しがたいので、このような意思表示をくり返し行うことが重要だと考えている」と強調する。

 2007年夏にジュパラで大規模なデモが行われたとき、研究・技術省のクスマヤント・カディマン大臣はジュパラに原発を建設しないと発言した。しかし2月25日の報道で、大臣は「今もムリア原発の建設準備は進捗している」と語っている。

 「大臣がそのように発言するのは勝手だが、住民には住民の考えがある」とダフィックは語る。

 バロン村のKRATON(原発に反対する民衆・学生連合)のフィルダウス・ラフマディは「気象観測塔の封鎖行動は、原発問題において地元住民が意思決定のプロセスから疎外されてきたことへの抗議を象徴するものだ」と語る。この行動は以前から予定されていたものである。

 一週間前にはバロン村の人々が「民衆学校」と呼ぶ催しが開かれ、社会、政治や農業、歴史などに関する勉強会も行われた。

 原発建設に反対する運動の中で、ムリア半島とマドゥラ島の運動の連携はいっそう緊密になってきている。昨日彼らはジャカルタへ出向き、国会において闘争民主党、国民覚醒党、国民信託党の三つの党と会談した。バロン村の人々に付き添ってきた大学生らのほかに、MANUSIA(インドネシア反核市民連合)、インドネシア緑の連合、核を懸念するマドゥラ連盟などが参加した。

 この会談においては、インドネシア原子力法の改正問題について言及された。いくつかの条文が改正されることになっているが、その中には環境法と矛盾するものがあること、また対応する国内法が存在しない問題もあることなどを指摘した。

 気象観測塔封鎖行動には、数人の国会議員も参加する予定である。


          気象観測塔


   原発に反対する活動家に脅迫
                           (スアラ・ムルデカ紙 2月26日付)
 
 ムリア半島での原発建設に反対する活動家らが脅迫を受けているとして、当事者らが国会を訪れて闘争民主党、国民信託党に対して訴えを行った。彼らはメール、電話、脅迫状などで殺害を示唆する脅しを受け続けている。

 KRATONのスポークスパーソンであるダルル・ハシムは国会に訴え出る前に、国家人権委員会にも報告を行ったと明らかにした。「昨年の9月1日にデモを行ってから脅迫が深刻になった。脅迫メールが頻繁に送りつけられてくる」と語る。

 活動家が脅迫されている問題の他に、ムリア原発に賛成するよう求めて人々に金銭が配られた事実も明らかにした。「一人当たり5万ルピアから始まり、金額はまちまちだ。金を受け取ったものは同時に脅されてもいる」

 MANUSIAのディアン・アブラハムもこの件について、「最初はどの活動家も、このような脅迫は取るに足らないことだと思っていた。しかし私がよく覚えているのは、気をつけないと誘拐して射殺すると電話口で脅されたことだ」

 予定地に近いジャテン出身の国会議員ブディ・サントソは「原発建設を継続するのなら、それは環境と人間の平穏を全く考慮しないビジネス行為となろう。すでに賛成派を増やすために金銭がばら撒かれるなどマネーポリティクスが横行している。どうか反対する人々に対する脅迫が現実のものなることだけは絶対にあってはならない」と語った。


原発建設予定地の住民が
      BATANの現地事務所と気象観測塔を封鎖


                            (スアラ・ムルデカ紙 2月29日付)

 2月28日、数千人の村人が結集し、村内にあるBATAN(原子力庁)の気象観測塔を封鎖した。この行動は原発建設に対する反対の意思を表明するための行動であり、BATANはこのプロジェクトの推進者であった。

 村民によると、事務所と気象観測塔は1995年にBATANが建設した。周囲はサトウキビ畑や水田に囲まれている。今回のような封鎖行動は07年から計画されていたが、今回初めて実行に移された。BATAN長官のフディ・ハストノは07年にジュパラを訪問した際に、この事務所と塔は風に関する調査に使用しているだけだと主張していた。

 今回の行動に参加した村民たちは、天然ゴム園の広がるシンパンリマ地域に集合し、目的地に向かって1キロを行進していった。

 07年の大規模デモのときのように、参加者は原発反対のスローガンを叫びながら行進した。デモに参加した村の女性のクスミヤティさんは「私は原発が怖い。何かあったら環境にも人間にも大変なことが起こる」と語った。

 目的地に着くと、出入り口封鎖のための最初の石を村の長老であるスワント氏がみずから出入り口前に置いた。続いて、国会議員のムフィッド・ブシャイリ氏と村の代表者によってさらに石が積み上げられた。その後、人々は車で運ばれてきたセメント、砂、石、レンガなどを約4メートルにわたって積み上げ、施設への出入り口を封鎖した。機動隊もガードマンも手出しができなかった。

 その後、KRATONの中にある団体のバロン民衆連帯の長であるスチャワン・スメディ氏が主導してみなが作業を進め、無事にコンクリートと石で入り口を封鎖する作業が終わった。KRATONのスポークスパーソンは「この作業の続きは明日行う」と述べた。

 「住民ははっきりと、この村に原発を建てさせないと決めている」ダルル・ハシムは語った。

 ムフィッド・ブシャイリ氏は国民覚醒党党首の支持を受けてこの行動に参加した。「わが党は、はっきりとムリア原発の建設に反対している。私たちは、インドネシアに豊富に存在する核以外のエネルギー源をまず利用して電力をまかなっていくことを後押ししていく」と語った。

 BATANはたびたび「ムリア半島がインドネシアの原発建設にとってもっとも戦略上重要な場所である」といっている。2008年に入札が計画され2016年には発電所の建設終了が予定されている。



          事務所の看板が白く塗りつぶされている


  数千人の村民らがBATAN事務所を封鎖
                                (コンパス紙 2月29日付)
 
 約2000人のバロン村住民らがBATANの事務所と調査用の塔を封鎖した。KRATONとして結束した民衆は高さ1.5メートルのコンクリートで事務所への出入り口を封鎖した。

 事務所にはBATANの名前を冠した看板が設置されているが、それも1年前から白いペンキで塗りつぶされたままで、職員はおらず、いつもならガードマンとして常駐している者すらこの日は現れなかった。

 KRATONのフィルダウス・アフマディは「この行動はムリア原発建設への反対を表明したものであり、同時に1997年の原子力法に対する抗議でもある」と語る。彼は「政府はこれまで一度も地域住民と対話しようとしなかった。政府は一方的に決定を下し、住民は常にその決定を聞かされ、受け取らされるだけだった」と批判する。

 反対行動の中で、KRATONはいくつかの要求を出した。彼らは原発の建設および環境を破壊するような資本の進入を拒否する。BATANには、住民の生活を不安に陥れ脅かしているとして、ウジュン・ルマアバン地区での活動を一切中止することを要求した。また、原子力法を反核法に変えることも要求した。

 封鎖行動への参加者はBATAN事務所へ行く前に村長の事務所を訪ね、バロン村の幹部たちがBATAN事務所封鎖行動に従うよう要請した。村の幹部、住民代表、国会議員のムフィッド・ブシャイリ氏らが抗議行動参加者を代表して作業し、BATAN事務所の正面玄関の前に高さ1.5メートルの塀を完成させた。



ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.91もくじ

No.91(08年4月20日発行)B5版20ページ   

●NNAF 2008 日本で開催(伴英幸) 
                    
●インドネシア原発建設予定地の反対運動はいま(野川未央)   
        
●韓国での高レベル核廃棄物問題の争点と課題(イ・ホンソク) 
          
●太陽光発電産業を放棄する
   知識経済部の発電差額基準単価改定案を撤回せよ
                         (韓国・プアン市民発電ほか)

●台湾第四原発の安全性、知っていますか?(チェ・スーシン)
               

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