ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.74より

非核亜州論壇2005

No Nukes Asia Forum 2005 -Taiwan

日時:2005年6月3〜8日  会場:台湾国立師範大学ほか

主催:七星生態保育基金会、非核台湾連盟、台湾環境保護連盟、主婦連盟環境保護基金会
協賛:台湾生態学会、台湾教授協会、台南市環境保護連盟、看守台東連盟、台東環境保護連盟籌備所、屏東環境保護連盟籌備所、台湾緑党、緑色公民行動連盟、緑色陣線協会、看守台湾協会、生態關懷者協会、台湾促進和平基金会、台湾南極学会、台湾二十一世紀議程協会、南島社区大学、台東大学教師会、看守台東連盟、塩寮反核自救会、台湾環境保護連盟北海岸分会、金山郷核能監督委員会、立法院永続会

日程

3日 第四原発および福隆海水浴場視察、貢寮郷で交流

第二・第一原発(敷地内の風力発電も)視察、金山郷で交流

4日 非核亜州論壇国際会議

開会あいさつ:蕭新煌(総統府国策顧問)

「京都議定書と原発」:高成炎(核四公投促進会)、林子倫(世新大)、徐光蓉(台湾大)、Wendela de Vries(WISE Amsterdam)、伴英幸(原子力資料情報室)、ソク・クァンフン(グリーン・コリア)

「各国反核運動と自然エネルギー」:林碧堯(東海大)、陳椒華(環境保護連盟)、施信民(環境保護連盟)、矢部忠夫(柏崎市議)、橋爪健郎(鹿児島大)、イ・スンファ(韓国環境運動連合)

「共同声明について」:司会・鄭先祐(核四公投促進会)

5日 非核亜州論壇国際会議

映画『こんにちは貢寮』上映

 「草の根民衆運動」:徐光蓉(台湾大)、陳椒華(環境保護連盟)、崔?欣(映画監督)、ョ偉傑(緑色公民行動連盟)

世界環境デー大遊行(デモ)

6日 環境保護署訪問

ランユ島へ
ランユ郷長訪問、ランユの人たちと交流

7日 核廃棄物貯蔵場視察、台湾電力所長と話し合い

台東へ
「ゼロエミッション集会」
さよならパーティ

海外参加者

韓国
シム・ミジン(青年環境センター・ソウル)
チョン・スヒ(青年環境センター・プサン)
イ・スンファ(環境運動連合)
イ・ソクヒョン(ウルサン環境運動連合)
ソク・クァンフン(グリーン・コリア)
イ・ボドゥル(グリーン・コリア)
マ・キョンマン(サムチョク市民連合)
キム・ミンギ(ヨンドク市民連帯)
キム・ボンニョ
(*サムチョク、ヨンドクは核廃棄物処分場
の予定地にされようとしている)        

日本
伴英幸(原子力資料情報室)
橋爪健郎(鹿児島大)
矢部忠夫(柏崎市会議員)
木次昭宏(和歌山県御坊市で
核廃棄場計画に反対)
水戸喜世子
早矢仕恵美子(共同通信)
近藤敦子(通訳)
佐藤大介

オランダ
Wendela de Vries(WISE Amsterdam)

通訳・翻訳 鄭潮禧、彭イェンウォン、頼芬蘭、郭金泉、酒井亨、呉慶年、頼青松ほか


第四、第二・第一原発視察

2002年の第10回NNAF以来3年ぶりの訪台である。宿舎も先回と同じ、国立台湾師範大学で、周辺の地理など勝手は心得ずみで外国という違和感はまるでない。

初日の6月3日は、建設が進む第四原発と第二・第一原発の視察である。韓国・台湾・日本など参加者一行はバスで、まず福隆海岸の自然破壊の状況を視察した。

第四原発の港湾建設工事で、風光明媚だった福隆の黄金の砂浜は、すでにほとんどなく、海水浴等リゾート地のかつての面影は見る影もないほど変わり果てた姿をさらしていた。ここを訪れるのは今回で4回目であるが、3年前に比べてもすさまじい自然破壊である。川を渡って砂浜にいたる橋の先端は海中に没し、少し残った砂浜に下りるために、この橋と直角に仮設の橋を結ぶべく工事が行われており、砂浜に降り立つことすらできず、なんとも痛ましい!

明らかに原発工事の影響であることは一目瞭然なのだが、政府など行政側の対応はないのだろうか。疑問と怒りがふつふつと沸いてくる。

その後、第四原発の敷地内を見て回る。あいにくの雨もあり、バスを降りることなく1号機、2号機の工事現場を一巡した。03年6月と04年7月に日本から運ばれた2基の原子炉圧力容器のうち、1号機は今年3月に据え付けられたということだが、2号機用は倉庫の中らしい。


1号機(日立)

先回見た、原子炉やタービン建屋の、潮風等でさびのひどかった鉄筋や風化した?コンクリートは大丈夫なのか。改めてその実態をこの目でと思ったが、車の中からの視察では確認もままならなかった。

それにしても、工事はあまり進んでいない。計画では来年(2006年)営業運転開始と台湾電力のパンフに今もある。とても無理と感じる。

この日、台湾政府の環境庁長官に張國龍氏(元台湾大学教授、環境保護連盟の創始者の一人)が抜擢されたとのニュースが入った。氏は一貫して反原発で共に戦ってきた人である。今回の一連の集会でも重責を担当していた。まさに朗報である。

核四原発の国民投票の可能性も消えていない。

まだまだ第四原発を廃炉に持ち込むチャンスはあるはずだとの確信を強くした。

昼食はおなじみの澳底の海鮮料理店、これは貢寮郷長(町長)の陳世男氏の招待。塩寮反核自救会の元会長、陳慶糖氏(故人)の長男である。相変わらず多忙そうで、ゆっくりと地元、現地の状況を聴くこともできず誠に残念。また、地元の反核自救会の人たちとも今日は再会がかなわず残念に思う。

6月5日の大遊行(デモ)で、現会長の呉文通氏に会えたし、楊貴英さんが強い風邪で今回は参加できないのだということも聞いたのだが…。地元の反対運動は大丈夫なのだろうか…心配である。なんと言っても現地での戦い、現地での反原発運動があってこそ政治的勝利(第四原発の放棄!)が展望できることを、老婆心ながら現地の人たちにもう一度伝え、共に勝利する日まで頑張ることを誓い合いたかった。

午後からは、第二・第一原発に回る。

今も背骨の曲がった奇形魚が時々釣れるという第二原発の冷却水放流口はすざましかった。ごうごうと流れ出る放流口が目の前にある。流量(約760万トン/日、柏崎7基の場合約5000万トンだが…)、流速とも半端でない。沖合いに出さないこんな光景は、おそらく日本の16サイトの原発では見られない(無い)光景である。見れば、すぐその先の、水流が穏やかになり始めると思しきあたりの堤防では、釣り人が何人もいるではないか…。


その後の金山郷役場での座談会で語ってくれた地元の許富雄氏によれば、

「第二原発は営業運転から24年、地元民として耐えがたきこと、海岸の変化(自然破壊)も激しい、核廃棄物も9年前から蘭嶼島に持ち出せず敷地内保管、それも既に余裕がないはず。いわゆる地元との安全協定はなく、原発の事故などマスコミなどの報道があって初めて地元が知る状態、報道されないことも多いはず。漁業被害を申し出ても『証拠を出せ!』で具体的主張ができない。ようやく3年前に『監視委員会』を作ったが、メンバーが国5人、電力5人、地元5人で全く機能しない。ついに2年前に許さんらが中心となって立ち上がった。具体的には、地元の死亡者のうちガン死者の比と台湾全土の比率を比べると約2倍となっていることを調べた。しかしこれとても学術的裏づけがないことから、なかなか問題として大きくならない等々」と。

戒厳令下で作られた原発だとはいえ、あまりにもお粗末。安全対策など微塵も感じられない。短い時間の中の座談会だったことから、不十分さは否めなかったが、被害など、影響はもっともっと大きいはずだと容易に感じ取ることができた。ただ、許さんらの行動が、それゆえに「お金をよこせ」的運動になっているのでは…?という印象も率直感じたのは私だけだっただろうか。

他国のことをとやかく言うのは心苦しい面はあるが、まさに原発後進国?。原発の本当の姿(問題性)すら、この国は、国も地元も分かっていない、分からせようとしていないのではないかと…憂鬱な気分にもなった。3年前訪れたはるかな島、蘭嶼島の核廃棄物貯蔵所の杜撰な管理状況と、いわれなき現地の人たちがゆったりとした生活の中で被害を訴え怒っていたことがダブって見えた。

第一原発の敷地内に昨年10月稼動した風力発電6基(うち1基は故障で停止中)は、「台湾初で、将来200基の計画がある」と第一原発所属の台電社員の説明だが、「原発に比し不安定である云々」の説明は、台電の本音が見え隠れしていた。

今ならまだ中止に追い込むことが確実にできる台湾第四原発運転阻止の戦いを勝利することから、台湾の脱原発社会を展望できると今回も強く感じた。(矢部)


非核亜州論壇国際会議
 
国際会議は、3年前の第10回NNAFと同じ会場(国立台湾師範大学)で行なわれ、大庭里美さんへの黙祷から始まった。

会議は中国語、台湾語、韓国語、日本語、英語などが飛び交うもので、同時通訳は中・英で行なわれた。日本語の通訳は一人しかなく大変なご苦労だったと思う。この辺の準備が十分でなかったのが残念だった。

会議では、京都議定書の発効と原子力産業の動向そして参加国の反原発運動がメインテーマとなっていた。日本からは午前中のセッションで伴が京都議定書と日本の原子力産業について報告し、午後のセッションで鹿児島大の橋爪健郎さんが風力発電について、柏崎市議の矢部忠夫さんが日本の反原発運動について報告した。

WISEからはウェンデラさんが参加していた。彼女は温暖化防止の担当者で、「地球の友」から移った2児の母親である。彼女の報告はヨーロッパの温暖化防止への取り組みだった。

韓国からは韓国の原子力産業の状況をグリーン・コリアのソク・クァンフンさんが報告した。韓国では現在20基の原発が稼動中で4基が建設中。韓国は京都議定書の第1グループには入っていない。興味深かったのは後にも述べるように放射性廃棄物の施設外貯蔵に関しては大きな反対運動で止めているので、低・中・高レベル(使用済み燃料)すべてが施設内に貯蔵されている。韓国電力はそれらの管理処分費用として基金(NuclearLiabilityFund)を積み立てている(5〜6ウォン/kWh)が、実際にはそれが原発の建設費に回っていると批判していた。韓国の発電に占める電源の現在の構成は、原子力38.7%、石炭38%、天然ガス15.4%となっているが、12年後の2017年には原子力の割合を46.9%に上昇させ原子力への依存を高める計画だという。

また、韓国の反原発運動について、プアンの廃棄物処分場建設反対運動の報告を環境運動連合(KFEM)の若き活動家のイ・スンファさんが行なった。韓国からの参加者は全員が若い。エネルギッシュな彼女は何ヶ月もプアンに住みながらこの運動に関わってきた体験から、本当に熱意のこもった報告を行なった。その熱意が伝わって、蝋燭がプアンの広場を埋め尽くしている集会の写真(1万人を超える住民が集まった)には参加者一同、感激の拍手を惜しまなかった。

 台湾からはSPENAのメンバーでもあった徐光蓉さんと、陳椒華さん、さらに施信民さん、林子倫さんらが報告した。林さんは世界の京都議定書達成政策についての概略だったが、他の方々は、第四原発と国民投票についての報告が中心であった。環境保護連盟は国民投票の実施を政府に働きかけている。
 第四原発の建設をめぐる住民投票はこれまで4回行なわれてきた。すべての住民投票で第四原発の建設に反対する数が過半数を占めていた。ところが、これらの投票は法的根拠がないということで政府からは結果の受け入れを拒否されてきた。すでにNNAFの読者は良くご存知のことと思う。

 1986年に設立された民進党(DPP)は設立以来、原子力新規立地に反対し再生可能エネルギーの導入を積極的に進めることを党綱領に掲げてきた。同党は「非核家園(Nuclear Free Homeland)」政策を打ち出し、政府の方針としていることから、再生可能エネルギーの導入は台湾政府の大きな課題である。その目標は2010年までに514万kWまで増やす。2004年が249万kWなので、あと5年の間に倍以上に増やす目標だ。そして、これは設備容量の約10%に当たる。結構大きな目標で、今の政府のおよび腰の対応では達成困難と指摘する人もいた。

2003年6月に政府が行なった「非核家園」会議で、陳総統は2004年の総統選の時に併せて第四原発を巡る国民投票を行なうことを表明した。会議に参加していた筆者は、全員総立ちで拍手していたその時の感動を今でも思い出す。だがしかし、その半年後の12月に国民党(KMT)は立法院で「公民投票法」を成立させた。同法によって、国民投票の実施にはその題材含めて国会の議決が必要となった。なぜなら、総統選でDPPが勝利して与党となったが、国会にあたる立法院では依然としてKMTを主体とする野党が多数派だからである。さらに、同法は発議に全有権者数の5%の署名を必要とし、投票率は50%を超えないと有効でないとする厳しいもので、実質的に国民投票をできないようにしたものである。国民党の巻き返しだった。結果として総統選挙時に第四原発を巡る国民投票は実施されなかった。これに対して、台湾環境保護連盟の人たちは法改正を要求していく方針だと説明していた。

会議の前日、第四原発現地に行った。福隆の砂浜がすっかり変わり果てた姿に仰天すると共に、日の丸原発が早くももたらした惨禍かと恥じ入った。

第四原発の建設進捗率は約60%、建設は意外なほど進んでいなかった。内部告発で明らかになった不正溶接が影響しているのだろうか? あるいは予算が関係しているのだろうか? 第四原発を巡るやり取りが中央政府では続いているが、貢寮の反核自救会の人たちには少し疲れが出てきているようだ。案内してくれた環境保護連盟の何宗勲さんがそう説明していた。第四原発反対運動はすこし変化してきているようだった。それは、私たちにできることはなにかという厳しい問いかけが発せられているようでもあった。 (伴)


ドキュメンタリー映画
「こんにちは貢寮」

 
5日午前、台湾大学法科大学院の国際会議場で映画「こんにちは貢寮」を見る。

作者、崔素欣が「反核の歴史を知りたい」と、自分のビデオカメラをかついで貢寮(第四原発予定地)にやってきたのが1998年、大学院生の頃だった。その時は、既にこの物語の核となっている「源さん」こと林順源さんは「1003事件」で花蓮の刑務所に服役中だった。題名の「?好?(こんにちは)」=「げんきにやっていますか?」は獄中の源さんからの問いかけである。

(*「1003事件」:1991年10月3日、第四原発予定地前の住民の監視用テントを、協定を無視して警官隊が急襲、撤去。その混乱の中で警官一名が車両による事故で死亡。住民側17名が起訴され、うち15名は執行猶予、現場指導者・高清南氏が実刑3年4か月、林順源氏が無期懲役となった)。

1003事件の大きな痛手のあとも、塩寮反核自救会は長くは闘いを休まなかった。針の穴のような小さなホコロビを見つけては闘いを挑んでいく。絶体絶命の場面でも諦めない。反核の旗をなびかせた100艘の船で海から国会の採決に威圧をかける。それでも可決してしまうと、次は「予算案を組むな」と台北に押しかける。東芝、日立が納品すると聞きつけると、日本にやってきて「輸出しないで欲しい」と訴える。民進党総統当選前後の死に物狂いの頑張り、そして失望、それでも持続するしかない。

「反核運動」に遅れてやってきた崔素欣は反核自救会の主だったメンバーひとりひとりにインタビユーしながら闘いをさかのぼり、彼らの追想に耳を傾ける。一方、日々起きる困難な状況もありのままに住民の声として、または手紙のカタチで獄中に伝える。間接的な表現は、激しい場面も穏やかな語り口となるから、観客の私たちはいっそう冷静に住民の心のひだに入り込むことができる。

この作品は撮影期間中に先立たれた10人の住民の方々に捧げられている(映っている)。5年前私たちに「ここから日本軍が上陸したのです」とガイドしてくださった丸顔の陳慶糖会長も他界されたと聞いて辛かった。彼の真摯さはその優しい表情とともに忘れない。


映画「こんにちは貢寮」より、海上で日の丸原発の模型を燃やす(1999)

クライマックスは何と言っても11年ぶりの源さんの仮釈放だ。獄中で住民たちとの心の結びつきをより深めた源さんにとって、貢寮は最早第一の故郷。仮釈放の当日、身内のところではなく、まっすぐ福隆駅に向かう源さん、出迎える住民たち。日ごろから、源さんという言葉を耳にするだけで目を真っ赤にしていた住民たちは、固く抱き合って涙に暮れる。

源さん逮捕の理不尽さは、これまでただひとりつらい闘いを背負わされてきた貢寮郷住民たちの反対運動とあい通じる。上映された会場も涙に包まれた。

崔素欣は源さんへの手紙を次のように結んでいる。「源さん、・・・・貢寮の住民は台湾の全国民に代わって原発建設による苦難と苦痛を受けてくれたのです。だから信じてください。いつかきっと、子供たちや、またその子供たちが、皆さんの努力に感謝し、誇りに思うことを・・・・」。

 なおこの作品は04年に第27回ゴールデンハーベスト・ドキュメンタリー賞を獲得。宣蘭県の緑色国際映画祭では観客選定作品。今年9月に福岡映画祭で上映予定とのことです。(水戸)

世界環境デー大遊行

原発やダムや産廃処理場や森林破壊に反対する人々が、台湾各地から約4000人集まった。もちろん、第四原発現地の貢寮郷からも呉文通さんたち50名が来た。

台湾のデモはあいかわらず元気だ。中正記念堂から総統府前まで目の前なのに、3時間かけて市内をぐるーっと回る。炎天下、叫んだり、歌ったり。台湾のデモはあいかわらずハデだ、旗やプラカードも多種多様、色とりどり。仮装した人もいろいろいる。鎖を体にまきつけたり、体に色を塗ったり、ハダカだったり



解散集会で海外ゲストとして矢部さんが発言「第四原発をとめるたたかいはこれからです。ともにがんばりましょう!」

テレビや新聞でも大きく報道され、台湾で初めての「世界環境デー大遊行」はまずまずの成功だと環境保護連盟の人が言っていた。

今回、この6月にフォーラムが開催されたのには3つの理由がある(と私は思っている)。1つは「世界環境デー大遊行」をもりあげ、その中で反原発を訴えること。また、いま台湾では自然エネルギーに対して関心が高まってきている。5月末には「民間エネルギー会議」が行われ、6月末には政府主催の「エネルギー会議」が行われる。そこへのアピール。3つ目は、核四公投(第四原発国民投票)の可能性だ。12月の全国県市長選に合わせて公投を行うには6か月前の6月には決定させなければならない。

台湾は社会も政治も実に流動的。たたかいはこれからだ。(佐藤)

環境保護署訪問
 
3日、ビッグニュースが発表された。謝長廷首相(4年前にNNAFJ事務局を訪問してくれたことがある)が内閣の一部改造を行い、張國龍さんが環境保護署長(環境庁長官にあたる)になるというのだ。

張國龍さんは、戒厳令がしかれていた時代、いちはやく第四原発現地・貢寮郷に入り原発の危険性を伝え、戒厳令解除直後に施信民さんや林碧堯らとともに環境保護連盟を創設。NNAFにもたびたび参加、来日したこともあり、日本にも知人が多い。私たちの仲間なのだ。4日の国際会議では「みんなで監視しよう」などとひやかされながら、みなに祝福された。期待しよう。

6日、環境保護署を訪問し副署長と朝食会。橋爪さんとグリーンコリアのソクさんが原発の危険性を訴えた。私もひとこと「明日から来る新署長と力を合わせて、がんばってください」。副署長は「第四原発をとめたいが、時間がかかる。ともに原発のない社会(非核家園)をめざしましょう」と。
(佐藤)

蘭嶼島(ランユ)

6日の正午、一行は台東空港に到着。 ここで蘭嶼島に向かう軽飛行機に乗り継ぐのだが、21人乗りなので一同は1便と2便に別れることになり、僕は1便のプロペラ機に乗り込んだ。僕らは佐藤さんの「遊園地よりスリルありますよ〜」との言葉どおりの思いをすることになった。パイロットの着陸するときの操縦もちょっと荒っぽくて、「キャー」という誰かの悲鳴が機内に響く。台東空港からわずか20分ほどのフライトだった。

この島は平地が少なく、最高峰は 552m。島の一周が40kmほどで、約3400人のタオ族が半農半漁の自給生活を送る。4小1中の学校があり、農協とGSが1ヵ所ずつあるらしい。飼育されるヤギ、ブタ、ニワトリが島のあちこちで自由に遊ぶ。そしてこの島には信号がない。道路にヤギがいればゆっくり走ろうという、ヤギが信号代わりののどかな島である。ハダシの子供もいる。

台東県蘭嶼郷公所(町役場にあたる)で周貴光郷長と面談した。共同通信の早矢仕記者が矢継ぎ早の質問を浴びせる。郷長の言うには、

「政府とは、約10万本の廃棄物ドラム缶を2013〜16年までに搬出する話になっている。それを2002年5月に大規模なデモを起こして約束させた。口約束ではないので、政府に必ず実行させるよう圧力をかける」

「激しい反対運動をすれば、移送先の住民が警戒して受け入れないだろうから、当地の策略としては目立つ反対運動はしない。騒ぎ立てず、廃棄物は静かに島から出て行ってもらいたい」

「錆びたドラム缶の中味の詰め替え作業員の健康診断もしているが、今のところ問題はない」

「運び出した跡地は、政府の過ちで廃棄物が貯蔵されていたことを子供たちに伝える記念の広場にしたい」

「島の住民にガン死亡者が増えているが、飲酒などによる生活習慣病のせいではないのか。衛生当局は安全だと言っている。漁獲量も落ちたが、台湾本土からの船に横取りされているのかも…。廃棄物との関係は解らない」

「約束の期限がきても持って行き場が見つからねば、延期ということで補償金のことも含め、話し合うしかないだろう」

といったものだった。その後、空港に戻り、台東市内を廻ってからやってきた2便のメンバーと合流。空港ではこの島で収穫されるタロイモからつくったアイスクリームを食べたが、通訳の近藤敦子さんは「これも放射能汚染されてるのかも…」と不安気につぶやく。近藤さん、背に腹はかえられないよ。こーなったら腹くくって、お互い被ばくしようぜ。

ここから今日の宿舎に向かうのだが、道路はコンクリート舗装でバスの振動が激しく、メモするにも難儀する。青青(チンチン)草原に着き、ここで1時間の休息をとる。一同は海に沈む夕陽を堪能し、再び出発。東清村の野銀という在所に到着した。台風被害を避けるための「達悟(タオ)族的半穴居地下屋」と呼ばれる、昔ながらのタオ族の家屋も見られるが、今ではコンクリート造りの家屋の方が多く見受けられた。今はトビウオ漁の季節だが、民家の軒先には魚の骨を人目につくよう吊している。そうすることで、自分が捕ってきた魚の大きさや数を他人に誇示するという風習があるのだそうだ。

民宿での夕食では100円玉〜500円玉ほどの小さなアワビが出されたが、ふつう、こんな小さな貝は資源保護のために捕らないはずだ。先住民族は必要な分だけを採ると聞くが、この島では乱獲されたのだろうか。橋爪さんは一人で5〜6個も食べていたが、放射能汚染は大丈夫なんだろうかと思いつつ、空腹に勝てない僕も、つい箸がのびる。

民宿では現地の運動家である蘇瑞清さんと郭建平さんがミーティングに参加し、いろいろと話を聞くことができた。もう20年ほど島で反核運動をしてきたが、政府と島民との間には一度も正式な約束文書が交わされた事はないそうだ。「2002年に搬出する約束」も守られず、延長された2年間の“家賃”として2億2000万台湾ドルが島に支給されたものの、それは個人には渡らず、教育や福祉に充当したという。郷長の言う書面を交わしたという件も、正式に調印したものではないらしい。4年前の大規模な抗議行動で「蘭嶼議定書」を当時の経済部長と取り交したが、それも行政院の承認を得たものではないという。「蘭嶼搬出委員会」なるものも組織したが、2〜3回しか会議が開かれず、かつ政府側の役人が中心なので島民の意思は反映されず、まったく機能していない由。橋爪さんの言うように、島民が疲れて諦めるのを待っているのだろう。島から持ち出される日は来ないのかもしれない。

ミーティング終了後、僕は民宿の陸屋根に上がって夜空を見上げたが、南海の孤島で見る星空もなかなかの趣がある。あとで聞いたが、大阪から参加した水戸さんは先述のタオ族の家屋の中を見せてもらいに行ったそうだ。水戸さん、なんで僕を誘ってくれなかったんだよォ!



翌日、一同はバスで低レベル放射性廃棄物貯蔵所に向かう。会議室に通され、そこで台湾電力の所長から説明を受けた。グリーン・コリアのソク・クァンフン君が「イオン交換樹脂もここに受け入れているのか。また、地下水や家畜、魚介類を調査しているか」との質問に「受け入れている。汚染がひどいので欧州では中レベルとして扱うようだが、我々は低レベルと見做す。環境調査も台湾電力のバックグラウンド放射能測定所で測定しているし、原子力委員会のHPでも公開している」。

ソク「貯蔵所での地元の雇用は?」

台電「台湾電力社員は11人で、あとは67人(直接請負37人、間接雇用30人)だ。そのうち地元民は43名。1年間の契約を結び、トレーニングも実施している」

ソク「これまで錆びたドラム缶を何本詰め替えたのか」

台電「6年前に3200本を試験的に詰め替えた。今年3月1日から本格的な詰め替え作業を進めているが、2010年末まで続行する。その作業に併せて詰め替えの必要性を判断するので、最終的に何本になるかは不明」

そして最後に、台湾電力の所長はこう言った。「放射能はどこにでもあるので心配ありません。要は使い方、考え方です。泳ぎ方を修得するためにプールは必要ですがそのプールで溺死する人もいるじゃないですか。睡眠薬も必要ですが、多量に飲めば死ぬんですよ」・・・ と。お土産にと、台湾電力は資料と青い帽子をくれたが、でも青色は、これまで原子力を推進してきた国民党のシンボル・カラーでもある。

空港近くの集落で昼食となるが、通訳の近藤さんはどこでも忙しい。台湾メンバーからのインタビューを受ける佐藤氏の通訳を終えた近藤さんは、いかにも嬉しそうな顔でテーブルに駆け寄るやすぐに箸をのばす。その近藤さんの食べること、食べること。通訳者は食事する間もないことを、今回のツアーで僕はよく理解できた。昨日この島へ来たときは放射能汚染を気にしてた彼女だけど、空腹を抱えてはそうも言ってられないよね。それにしても近藤さん、食べながら喋るのもいいけど、お口の端にキャベツがついてますよ。島民は毎日、放射能を気にしながら食べ……ん!? おいおい、このキャベツの中に貝殻の破片が入ってっぞ! まったく、日本じゃ考えられんことだ。僕はプンプン怒りながら、蘭嶼島をあとに台東へ向かう飛行機に乗り込んだ。あとで近藤さんの言うには「パイロットは鼻クソをほじりながら隣の乗務員と談笑してたんですよ。ヤだなァ。まじめに操縦してほしかったなあ」とのこと。(木次)

台東での集会

7日、ランユから台東市に戻るやいなや台東市主催の会議に案内された。ゴミゼロ社会を目指す第1回の会議だった。地元住民と台東市関係者、民進党国会議員などを交えての討論会であった。他国のことを言えたものではないが、台湾でも使い捨て文化が蔓延しているように思える。ランユ島の民宿の食事もペナペナな使い捨て食器であった。この小さくて美しい島のどこに捨てるのだろうか、今度くるときには自分で持ってきたお皿でせっかくのすばらしい料理を味わいたいと思ったものだ。

日本では特に行政が絡むと環境問題には原発問題を含まないことになり、発言者も行儀良くそこそこの意見しか言わないが、ここではそんな雰囲気ではなさそうだ。ランユの核廃棄物を一番の過疎県である台東県に持ってくる話もあるそうで、核は別だなんて呑気なことは言えないのかもしれない。民進党国会議員は核廃棄物持ち込みには反対しているようだが、どうも第四原発に反対するとははっきり言わないようだ。川内原発でも地元では反対を叫び、地元から離れたところでは原発問題に何も触れない野党議員がいたが、その類かなと思ってしまう。おまけに、原発廃棄物から医療用RIが作れるなどという勉強不足ぶりにオランダからきたWISEのウェンデラさんも驚いていた。

 短い滞在で確かなことは言えないが、台北市のデモといいこの会議といい、まだまだ台湾の民衆のエネルギーは大きなものがあるような気がした。その背景の一つは、台湾社会は集権化され疲弊した日本と違って、今までの国民党独裁時代を乗り越えたいくつもの民族による活力ある複合国家という面があるのではなかろうか。であれば早晩、「先進国」日本を乗り越え、私たちが後についてくることになるかもしれない。(橋爪)

さよならパーティ

お別れパーティは、台東市郊外の渓谷での少数民族の方々による全て野草のみの伝統料理や歌による歓迎であった。自然の中で暮らしている少数民族の人々の生き方に学ぼうということであろう。和歌山の木次さん曰く「歌はなんと日本語でしたよ」。63歳という女性は流ちょうな日本語をしゃべる。日本語教育時代以後の世代のはずなのでずっと日本語を使い続けていないとこんなに流ちょうに話せるはずがない。戦争で全て終わったと考えているのは日本人だけで、ここでも戦前は続いていたのだ。環境先進国といわれるドイツはナチスの時代にさかのぼって原発推進から自然エネルギーへとエネルギー問題を見直したわけだが、未来を考えるには十分過去にも無知ではいけないとの思いを深くしたものだ。一週間共に行動した台湾、韓国などの仲間たちと、輪になり歌い踊りながら、核のないアジアを目指すお別れの集いであった。(橋爪)



ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.74もくじ

No.74(05年6月20日発行)B5版34ページ   

●非核亜州論壇2005報告(矢部忠夫、伴英幸、水戸喜世子、佐藤大介、木次昭宏、橋爪健郎) 

●非核亜州論壇2005 共同声明      
 
●台湾第四原発公民投票運動(施信民) 
                
●最近2年間の台湾の反原発運動(陳椒華) 
                
●韓国の核廃棄場反対闘争(イ・スンファ)
                 
●原水禁・NPT再検討会議派遣団の報告(井上年弘)  
          
●アジアから核のない世界を! 六ヶ所再処理工場を止めるのは今(野川温子)
 
●日本のプルトニウム計画は核拡散防止体制を脅かすとノーベル賞受賞者ら                  
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