「原子力行政を問い直す宗教者の会」は、10月4〜5日、東京で全国集会を行ない、韓国扶安カトリック教会のムン・ギュヒョン神父を講師にお迎えしました。
 お招きした経緯は、彼の昨年末断食後の新年を迎えるにあたってのあいさつ文(NNAFニュースレター)を読んで感銘を受け、私が会の世話人会に推せんしました。彼は、環境・人権問題をはじめ、統一問題では89年に逮捕覚悟で、北朝鮮に渡って38度線を越えて板門店から韓国に帰る女子大生イム・スギョンさんと一緒に歩いた神父です。
今回10月4〜5日の集会にお招きしましたが、ちょうど同じ時期にプアン住民4500名がソウルに上京して対政府交渉・抗議行動・三歩一拝を行うことが計画され、彼はその責任者の一人でありましたが、4日夜中に会場に着き、5日の午前中に講演、午後3時には帰国されるというハードスケジュールで来日、講演してくださいました。
                                 (原子力行政を問い直す宗教者の会 阿蘇敏文)

                                ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.70より













核のない新しい世界のために

                      
ムン・ギュヒョン

韓国から来ました、ムン・ギュヒョンです。
今日ここに着いて、世の中とは大変狭いものだと思いました。これまでいろいろな縁のあった方たちがこの会場に来てくださっていますし、今日の通訳の方たちも、よく話してみたところ、私のよく知っている方が共通の知り合いのようなのです。

私は、この講演が終わったら、すぐに韓国に戻らなければなりません。核のない新しい世界のために活動しているプアンの人々、そして世界の人々と、祈りを共にするためです。

まず、私をこの場に招待してくれた皆さまに心から感謝いたします。皆さまは私から見れば反核運動の先輩にあたられる方々ですのに、私のような者をお呼びいただきまして申し訳なく思います。皆さまと私の経験を分かち合って、宗教人として共通の部分を見出し、力強く激励し合う恵みの時間を持ちたいと思います。

● セマングム干潟を生かすために

私は韓国の全羅北道のプアン郡で神父をしています。プアンは様々な意味で特別の意味を持った地域といえます。人口はわずか7万程度の小さな地域ですが、山もあり、海もあり、そして浜辺もあり、昔から米が豊かに取れる穀倉地帯です。そのため、生きていくには最もすばらしいふるさとといわれている場所です。

同時にプアンは、全長33キロという世界最長の防潮堤建設によって海水を堰き止めて干拓をするという、セマングム干拓事業の進められている地域の一部になります。この干拓事業に対しては、工事の差し止めの判断が出されました。それは、私たちが心から求めてきたものでした。

セマングム干拓事業の中止を求める運動は、韓国でも最も熾烈で、最も根強く進められている環境運動であり、生命の運動であり、そして平和の運動です。そのセマングム干拓事業に対する反対運動が最も強い地域がプアンです。

この干拓事業のせいでプアンでは漁村が荒廃し始めています。住民が去り、いくつもの学校が廃校になり、村は次第に生気を失っています。漁村経済が損なわれると、中心部である町の経済も当然悪くなります。多くの人々が、セマングム干拓事業は発展とすばらしい未来を保障してくれると期待していました。しかし、この事業が始まってから10年がたったいま、何のビジョンも見えません。漁民たち、また中小企業の商人たちが苦しめられて故郷を去っていっています。いま皆さまに見ていただいているビデオが、その闘争の場面です。

私は、住民たちと共にセマングム干拓事業の反対運動をするために、そしてまた美しい海と砂浜のそばで死にたくて、プアンに赴任を希望しました。
私はいま59歳です。このような年になると中央を目指すのが普通です。しかし私はむしろ地方であるプアンを目指しました。都市よりも農村、漁村に行きたいと言いました。そして多くの人に止められました。自ら苦労を買って出るのか、と止められました。しかし私は人生の最後を、海や農村に生気を与え、またそこから生気を受けながら過ごしたいと思ったのです。

昨年3月28日から6月5日まで、私は65日間、三歩一拝の行進をしました。セマングムの浜辺を残してくれ、と祈りました。私たち自身が生態系破壊の共犯者であることを認め、懺悔の祈祷をいたしました。私たちのエゴイズムを克服したいという願いの祈祷が、この三歩一拝の行進でした。干拓反対の運動をしながら、そのような長い旅路をたどっている間に、今度は核廃棄場の問題が起こったわけです。

● 核廃棄場反対運動〜核エネルギー政策転換へ

これまで、私は、反核運動をするどころか、それが私のやるべきことだと考えたことすら一度もありませんでした。そうした中、プアン郡民による核廃棄場誘致反対運動が大々的に始まりました。反核広場(大通りの交差点)などに、私がいま着ているこの黄色を目印にして、集まり始めました。ノ・ムヒョン大統領も黄色を自分の象徴の色として当選しました。その黄色に決定的に裏切られてしまったプアン郡民は、平和と希望の象徴としてこの黄色を使用して、ノ・ムヒョン政権の暴圧に立ち向かいました。プアン郡民は、昨年の7月から現在まで、456日間、熾烈な闘いを続けてきました。あまりにも多くの苦痛を受けてきました。「暴徒である」「地域利己主義である」とののしられもしました。

プアン邑(町)の人口は2万にしか過ぎないというのに、政府は警察力を8000〜10000人常駐させ、郡民の集会を鎮圧するという暴力性を見せ始めました。まったく恥ずかしいことです。これはあきらかに民主社会の中で警察力を導入した戒厳布告になってしまったのです。核廃棄場の反対運動が始められて1年間で、拘束者は41人、不拘束者71人、書類送検95人、重傷者600人が発生しました。プアン郡民の犠牲がいかに大きかったか、政府がいかに暴力的な行動を取ったか、核のない世の中を作ろうとする祈りを踏みにじったのかが、こうしたことからわかります。

プアン郡民の抵抗が続く中、結局、産業資源部の長官(大臣)が辞任することになり、全国的に核廃棄場誘致の申請を改めておこなうことになりました。先月9月15日が誘致申請の最終日となりました。しかしどの地域からも申し込みはありませんでした。

これはまさに反核運動の歴史の快挙であるといえます。核廃棄場が非常に危険な施設であるということを、みなが認識し始めたのです。地域の葛藤をつくりだし共同体を分裂させるのが核廃棄場であり、核エネルギー政策であることを認識し始めたのです。また、地域のイメージのためにも決してメリットがないということも、みなが理解し始めたのです。またプアン闘争を通じて、郡守や政治的な立場にある人が、自分にとってもそれはリスクの大きいことであると悟り始めました。核廃棄場誘致が決して以前のようにはいかないということを骨身にしみて悟り始めました。韓国政府は、エネルギー政策問題をめぐる転換点を迎えることになったと言えましょう。

● 神聖なものとは

私たちは、悲しみと苦痛を胸に抱いて一日一日を過ごしてきました。にもかかわらず、勇気と希望を失わず、毎日笑いあい、力を蓄えられたのは、プアンの民衆がみせた草の根の強い生命力であり、平和に向けた熱望でした。苦しめられ、そして追われ、家族にも会えない中、互いに励ましあい、慰めあい、卑屈にならずに生きてこられた郡民の勇敢な姿のおかげで、私もここまでやってくることができました。

こちらにも多くの宗教者が出席していますが、プアン闘争では、宗教をこえて、みながひとつになりました。カトリック、仏教、キリスト教、円仏教、すべてがひとつになりました。ですからプアンは、宗教がひとつになった地域、といわれています。

誰もが自分を主張せず、それぞれがやれることを一生懸命やりました。プアン闘争の重要性は、まさにこうした点からも見受けることができます。

「神聖な」礼拝堂の使い方について、また「公職にある宗教家が宗教に専念していない」などとして非難を受けました。しかし、私が、皆さまにお聞きしたいのは、この世の中で神聖なものを探さないのならば、いったいどこから神聖なものを探したらいいのかということです。

宗教とは何でしょうか。よく言われていますが、神聖であり、神秘なものでありましょう。では宗教の役割は何でしょうか。宗教が神聖であり神秘の領域であるならば、その役割は、まさにこの時代と未来に向けた神聖さを守ることに見出していくべきだと思います。神がおられるところ、地球に暮らすすべてのものが持っている神聖さ、敬虔さ、神秘の領域を守ることです。私たちが暮らすこの地が神聖であり、水と風、空気も神聖です。海も神聖で、山も神聖です。そこでともに暮らす人間の暮らしも神聖です。宗教の役割は、このように、神の姿が反射され、そこに神がいらっしゃり、神が楽しまれる地上のものが、これからも神聖さを保ち続けられるようにすることではないでしょうか。

神の神秘を感じさせるすべての存在、まだ神の神秘がすべて明らかにはされていないこの自然の中で、生きている人間、そして人間とすべての生命が神の神秘を感知すること、神の中で神とともにより神秘なものに近づいていくこと、そしてその案内人となることが宗教者の役割です。この地球は、私たちが暮らしているこの地域は、私たちが毎日会っている人々は、まさに神の体であり、神の肉であり、神の血であり、兄弟であり、現存であります。

皆さまもよくご存知と思いますが、核エネルギーは、あらゆるものを根こそぎにあっという間に破壊する恐ろしい存在です。ですから私たちは反核運動をやっているのです。核エネルギーは破壊と、無限に膨れ上がる人間の欲望を刺激する暴力でもあります。そして核のごみは、その欲望と恐怖をこの世代のみならず、未来の子供たちにも残してしまいます。そうした点で、まことに、非倫理的であり、不道徳的な、無責任な存在です。

この地球が消えてしまったら、どこで神の敬虔さと神秘を見出すことができるのでしょうか。ですから、宗教者は核についてもっと知るべきであり、反核と平和運動に立ち上がらなければなりません。現場で、全身を集中して学んでいると、それをより切実に感じます。

宗教が語る救いとは、私たちが言う救いとは何でしょうか。生命が受けた自分の尊厳と品位を保つことなのです。生命が本来受けた可能性と力を最大限に発揮することです。自分の美しい姿を最大限に生かせるように勇気づけることでもあります。そして、神の救いの業に喜んで共に参加することが宗教者の宿命であり、それこそ救いになるわけです。

先祖たちの魂と精神が込められたこの地から追放されるということ、自分たちが長い間暮らして霊感を高めてきたところから遠ざけられるということが、人間を苦痛と不安に陥れます。目を見れば、その苦痛がありありとわかります。だから人の救いというのは、自分が暮らしてきたところで、自然とともに、家族とともに生きるところにあるのです。

● 弱者の立場に立って

宗教はまた、社会的な弱者たちの最後の頼みの綱です。宗教者たちは、この世の人たちがすべて幸せで、ただ一人だけ抑圧されている人がいたとしたら、そのただ一人の人の側に立って、その人を抑圧する人たちに話さなければなりません。カトリックの教えの中には、「貧しい人々に対する優先的な選択」というものがあります。優先的というのは、非常に重要な表現です。貧しい人々、疎外された人々、まさにこのような弱者の立場に立って世の中を見て、真実と真理を捜し求めろということではないでしょうか。彼らの立場に立って、彼らの側に立って行動しろということです。

それが今日では、「地球に対する優先的な選択」という表現へ移っていると思います。いまこの世の中でもっとも弱く搾取されている存在、まさにその存在とは、私たちが失おうとしている自然なのです。豊かな者も貧しい者も、すべてがいま生かされているこの地球が、この自然が、死にかけているからです。貧しい人々と自然の基本的な生存権がいま、脅かされています。

彼らは自分からは動けない構造の中にあります。彼らが、世の中でまじめに誠実に生きている存在であるにもかかわらずです。生存権というのは、生きるための最小限の、最も基本的な権利です。しかしこの強欲な世の中は、それさえも、基本的な権利さえも奪おうとしています。

私たちは誰のために、誰の側に立って行動するのでしょうか。価値判断の基準をしっかりさせなければなりません。それが私の原点の信条です。核発電所や核廃棄物処理場は、社会的な弱者、農民や漁民のような人たちの住む場所だけを選んで、その場所に立てられ、そこで処理されます。

日本でも、世界に知られている核廃棄場六ヶ所村でも、同じことが起こっていると思います。核発電所と核廃棄物処理場の前で、自然は常に途方もない破壊と恐怖の中におかれています。

「貧しい人々に対する優先的な選択」「地球に対する優先的な選択」は、同時にされなければなりません。宗教は、弱者たちが最後まで頼ってすがりついていける、何かの助けを与えられるものでなければなりません。この世がすべて自分たちを裏切り、自分たちを利用するとしても、宗教者は、自分たちを受け入れてくれ、自分たちの味方になってくれるという、そのような信頼の証にならなければならないのです。

私たちの救い主であるイエス様もそうでした。ご自身のすべてを、力のない貧しい人々のために与えられました。政治家、政権のために、抑圧され、蔑視されている人、追い詰められている人のために、命をささげられました。そのような生き方をしていけば、どうしようもなく、既得権を持つ勢力に対して立ち向かい、既得権を持つ人々と衝突することになるのです。反核運動もそうです。私たちは、彼らに立ち向かうことを恐れてはいけません。イエス様も最後まで、それを避けられませんでした。彼らに殺されるということを知っていたにもかかわらず、平和の歩みを止めることはありませんでした。「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」とおっしゃいました。イエス様の十字架は、解放と救いの十字架です。

私たち宗教者は、生命と平和の導き手となるためには、新たな生き方をしなければならないのです。イエス様が行かれた道についていくために、生命と平和の十字架を喜んで背負っていくならば、イエス・キリストの救いの神秘に一歩近づくことができ、それを深く体験することができると信じます。イエス様に会うことができ、そしてまた仏様に会うことができ、そして真理をより深く悟ることができると思います。

私たちがいま経験している苦しみは、自発的に受けている苦しみであり、解放と救い、そして生命と平和に向かう苦難です。ですから私たちは、喜んでそれを選び取り、それを楽しまなければならないと思います。

● いま、ここで、こそ

核廃棄場反対運動をしながら私も警察に殴られました。この30年間、人権運動、平和運動、統一運動、生命の運動をしてきましたが、今回ほど激しく殴られたことはありませんでした。病院にも2回運ばれました。

政府の決断を求めて激しく闘った30日間の冬の断食もしました。あの時は本当に、あれが自分たちにできる最後の手段であり、死ぬ覚悟をしていました。自分が死んでこそ、生命のために命を投げ出してこそ、命として蘇ることができる、平和として復活することができると信じたからです。一日一日祈りながら、私は、私がもし死んでもその上に花咲くプアンの人々の復活というものを夢見ました。

自然に、ごく自然にその夢を見ました。彼らが再び笑顔を取り戻すことができるならば、それでいいと思いました。人々が希望を失うことがないならば、それが私の望むすべてでした。最後まで、誰かが自分の側に立ってくれることを信じ、勇気を失わないでいてくれるようにすることができるならば、それで私は満足だと思ったのです。

プアンの闘争は、土地と、海と、そしてそこに住む人々、都市から阻害され、巨大な核マフィアから集中爆撃を受けている人々の抵抗です。人間の闘いですが、大地の代わりに、海の代わりに命をかけて闘っているのです。人間と自然のすべての権利を守ろうとする闘いです。これはまさに、イエス様の心であると信じています。これこそ、仏様の心であると信じています。これこそが、イエス様が助けてくださり、保護しようとしてくださってくれた結果であると思います。そしてまた、人間の欲望、人間の無知、人間のこうしたすべてを懺悔し、復活を願いました。人間と自然のすべての権利を守ろうという闘いが、プアンの反核、核廃棄物処分場反対運動であるわけです。

こうしたことにかかわってみますと、私はよく「過激な人である」といわれます。でも過激さでいうならば、死刑囚となってしまったイエスより過激な人はいるでしょうか。生前、神殿をひっくり返し、商売人を追い出し、怒ったイエス様。そして、パリサイ派と立法学者と衝突したイエス様を思うならば、それよりも過激な人はいないのではないでしょうか。

私たちは、行政機関でも政治家でもありません。法律家でもないし、無神論者でもありません。宗教者です。命と死の間で中立を探してはいけないと考えています。私たちは、力のない存在が微笑んでいる姿から、神の国を見るべきであり仏様を見るべきであり、彼らの力と力量が成長する姿を見て、神の国が育っていることを感じなければなりません。

「今度やろう」というのはやめましょう。いま、ここで、こそ未来があるのです。いまを生きずして、どうやって未来を作っていくのでしょうか。私たちが自分を捧げずして、どうして人を助けることができるのでしょうか。

● 関係の回復、霊性と実践

宗教の役割で最も重要なことは、閉ざされてしまった関係を回復させることです。いま光州では「光州ビエンナーレ」という美術展が開かれています。私は観客としてビエンナーレに参加しました。プアンの人々がまさに主体となり、プアンの命と平和のための祈りをそこに描いています。そこには、人もあり、木もあり、土もあり、石もあります。そのかかわりの中で、もしそこに断絶が生まれてしまったら、それは人間の死であり、自然の死であり、この世の死であります。いま、この世が破壊に向かう瞬間を幾たびも経験しています。「死んだら生きる」という新たな覚悟で、新たな復活を目指して三歩一拝の歩みを描いたのが光州ビエンナーレ美術展です。人間と人間の関係、自然と人間の関係、人間と神との関係、干潟と人間、干潟と核廃棄場の関係などが、ビエンナーレで表現されています。

宇宙のすべての存在は生命を持っています。どの存在も孤立して生命を維持することはできません。宗教者が、この世の歴史を読み、この世にかかわることは、関係をつなぐためです。自分が苦しかったら相手も苦しい。そのかかわりと関係の真理を実践していくためです。

関係、かかわりを忘れてほかの存在を否定する社会は死の社会です。神を忘れた社会です。でもいまの世の中は、断絶し、破片化した社会に向かって歩いています。

宗教者は、あらゆる生命が生気を失い、悪い機運にみなぎっているこの地球の危険を敏感に感じなければなりません。環境を犯すもの、生態系を脅かすものをこの体で感知し、切に感じなければなりません。神の神聖さと神秘を破壊するものがあるからです。

自分が被害をこうむることがなければ無関心になっている、普通の人々と変わらない多くの宗教者の姿を見て非常に残念で恥ずかしく思います。いま私たちが経ている環境問題と生態系破壊の問題は全地球的なものであり、経済的利益追求とあいまっています。あらゆる困難に立ち向かう武器というものは、基本的には宗教的信念に基づいています。個々の悔い改めと生き方を変えることからはじめなければなりません。

宗教者が最初に、塩と光の役割を果たさなければなりません。金の奴隷となって精神的価値を失い荒廃したこの社会に、命を吹き込む役割を宗教者が果たさなければなりません。私たちが影響を及ぼせる領域というのは、価値観と社会観、魂や霊性の部分です。ですから、人々が物質膨張主義ではなく、精神的に成熟し成長できるように力を貸さなければなりません。

精神的なもの、または霊的なものとは何でしょうか。宗教的なものというのは、あの世ではなくこの世で起こることであり、生命と生活を離れては成り立ちません。死の文化の真ん中でも、荒野でも生きようとすること、力を尽くすことが宗教的なのだと思います。法事や祭事を行ったり、なにかことが起こった後に処理を行ったりする、そいういったものが宗教者の役割ではないと思います。死の文化のど真ん中においても、荒涼とした荒野においても、生命に対する信頼を失わず、生きようとする努力が宗教者の役割です。みなが嫌がることを勇敢に行い、そしてそれを生かす働きをおこないつつそれを続けることだと思います。

霊性というのは、自分の生き方と実践を伴わずに実現することはできないと思います。ですから、霊性と実践を分けて考えることはできません。最も宗教的で霊的なことというのは、誰にも知られずに自分の使命を果たすことだと思います。どんなに鞭打たれても、イエス様が歩まれた道を最後まで歩むことだと思います。人気や瞬間に集中せず、長い道のりを黙々と最後まで行くことです。そのとき人々の心に感動を呼び起こし、神の国への巡礼の道に入れるからです。

● プアンの人々とともに

プアンの闘争は、相変わらず続いています。プアンの人々は相変わらず祈っています。昨日も、今日も、いつも、祈り続けるでしょう。昨日(10月4日)も4500人以上がソウルに上京して、切実に祈り、本日いまこの瞬間にも、人間の欲望と無知を悔い改め三歩一拝の道を歩んでいます。高齢のおばあさん、病気の方々も一緒に上京してきました。多くの人が頭を丸めて断食を始めました。もう寒くなってきましたが彼らは断食をしています。彼らは政府に向かって、プアン核廃棄場はやめろと叫んでいます。プアンを殺すのなら、死ぬつもりで闘うといっています。核エネルギー政策を転換しろと叫んでいます。

私もすぐに彼らのもとに戻り、ソウルの同じ街頭に立ちたいと思います。プアンの人々の苦痛を見ていると、涙が止まりません。希望を失わない姿を見ていると、本当にありがたいと思います。

私たちが行こうとする道、私たちが望む平和の世の中を成就することは決して簡単ではありません。しかし、ここに皆さまがいるから私がいるのであり、私たちがいるから、ほかの人たちがいる、そしてそのことが私たちの力になると思います。このようなことに幸せを感じ、望みを探し見出すことができる私たちは本当に祝福された人々であると思います。

皆さま、もう一度改めて、私を招待してくださったことに感謝し、厳しい、反核、生命、平和の道をともに歩んでいただけるようお願いいたします、国境を越えて私をこの場に招いてくださった皆さまの心がまさにそれであると思います。私たちの闘いにこれからも連帯と関心と祈りをお願い申し上げます。私たちが望んでいる核のない社会、世の中を切り拓きつつ、ともに喜び、ともに平和と命を語り合えればと思います。みなさんすべての方とひとつになってよみがえる、救いの歴史を生きたいと思います。ありがとうございました。

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質問「青森で牧師をしています。青森はとても貧しい地域です。がまんすることに慣れてしまっていて、とうとう六ヶ所村に核廃棄物処理場ができてしまいました。保守的な地域でどうやって活動を展開したらいいのでしょうか」

プアンが核のない世の中を望んできた闘争の時間は、1年3ヶ月です。短い時間ではありません。私は最初、プアンの郡民が新たに生まれ変わるとは思っていませんでした。しかし時がたつにつれて、あるときこんなこともありました。80才に近いハルモニが2百数万ウォン(20数万円)のお金を持って私たちを訪れてきました。「自分の息子の結婚資金のために牛を売って集めたお金です。私たちの子孫に、子供たちに死を残すわけにいかない。だから孫たちの命を守るために私は一緒に闘っていきたい」と。私たちに本当に大きな感動を与えてくれました。

そうした姿にプアンの人々は感動し、その思いが子供たちにも伝わり始めました。親、祖父母の世代が自分たちのために勝ち取ろうとしていること、それにそっぽを向くことはできないと、学校へ行くのを拒否し始めました。40日以上という長い期間、勉強する権利をあきらめました。そうした切実な願いで、プアンの郡民たちはともに感動しあい、ともに行動し始めました。

私は先ほど「生き方とかけ離れた霊性というのはない」と申し上げました。感動を与え合う、希望を与え合う、そうした一つ一つの姿が、プアン郡民すべての人たちが団結して核のない世の中をともに望むきっかけとなったのです。

初めは「プアンに核廃棄場を受け入れることはできない」と言っていましたが、「核廃棄場はプアンだけではなく、全国どこにも作ってはいけない」というふうに叫び始めました。そして、核廃棄場問題は、核エネルギー政策が変わらないから起こるのだと理解し始めました。韓国の核エネルギーへの依存度は、約40パーセントです。日本は60パーセントと聞いています。この数字が高くなるほどリスクは大きくなり、また核廃棄場は、もっと必要になってくるのです。ですからプアンの人々は、核エネルギー政策を転換せよと叫んでいます。これが、世の中を生かし、私たちを生かし、生命と平和の未来を切り開いていく道であると共感したからです。

その方法を一つ一つ申し上げるのは大変難しいのですが、三歩一拝を65日間、309キロの道のりを歩き、またそして礼を尽くしました。そこで悟ったことがあります。私はこれまで、ソウルへは3時間ほどでいけたので、周りをじっくり見ることができませんでした。自然の美しさを感じる暇もありませんでした。でも、3時間の道のりを65日かけてゆっくり歩いてきますと、周りの雑草の一本一本が美しく貴重に見えました。そのあらゆるすべてのものが、私の血となり、肉となり、私の体に近づいてきました。ですからそれを中断することができませんでした。みなは、三歩一拝をする時に、「どうやってやるんだ?」といい、私を止めました。私の兄も、反核平和のために働いている聖職者ですが、彼もこういいました。「薪を組んで火をつけて、そこに私が入ろう、三歩一拝よりそのほうがよっぽど楽じゃないか」と。しかし、私たちは、簡単な道のりではなく難しい道を選びました。やってみると、すべてのものが貴重に思えて、その貴重なものに気づかなかった過ぎ去った日々を悔い改め、その貴重なものに命を吹き込むことこそ私たちがやることであり、私たちの希望を切り開く道だと確信しました。そのようにして、65日間、309キロを歩くことができました。これこそ、核のない世の中を作る、私たちの歩みとなるべきなのでしょう。

ある方が、核廃棄場を見学した後このように言いました。「あれは命のないものである。人が住めないところである。人がともに住むところならば、私たちも賛同できるけれど、あれは人が住むところではない、死の道である。だから私は核廃棄場に反対する」と。こういった方にもめぐり合うことができました。

ともに苦痛を分かち合い、自分が死ねば相手も死に、私が痛めば相手も痛む。喜びを分かち合い、私たちの未来をに切り開くことが確実にできると信じることができました。

質問「まず、激励してくださったことにお礼をいいたいと思います。私が住んでいる若狭の小浜もプアンのように海、山があり美しいところです。核廃棄物貯蔵場に反対してきましたが、どの地域にもつくってはいけないのだという市民がようやく増えてきました。しかしおおぜいで東京にのぼってアピールするところまではいっていません。
 若狭には15基の原発があります。このさきどうしていったらいいのか。ムン神父がとても深い精神と覚悟をもって運動をされるならば、私も疲れていてはいけない、もう一度がんばらなければならないと、勇気をもらいました。本当に感謝します」

今日プアンで核廃棄場の計画がありますが、歴史的に見ると、プアンは処分場設置地域として適当ではないということがわかっております。10年前にすでに政府は核廃棄場建設の意図を持っており、全国で適切な地域をリストアップしました。そのときプアンは全国で65番目とされていました。

しかしある日突然、プアンがもっとも適切であるという主張が出てきたのです。プアンの郡守が郡民の意思とは無関係に、核廃棄場の誘致を宣言したのです。それまでプアンの郡守は、郡民が望んでいないことはしない、と言っていたのですが、突然誘致を表明しました。そこから、今日の問題が起こりました。

そこから私たちの苦痛が始まったわけです。消費者は、農民たちが契約栽培していたお米を「買わない」といって契約解除してきました。プアンの美しい土地にやってくる観光客も減ってきました。

そこで私たちは、「核廃棄場がもしできるとしても、民主的に公開討論によって最も適切な場所を探して作っていくのが大切なことではないか」と主張しました。民間の専門家が集まって、どこが最も処理場として安全で、どのようにすることがもっとも正しいのかということを話し合い、国民的な共感を作っていこうとしたわけです。しかし政府はこの私たちの動きに背を向けました。ですからこの瞬間も私たちは、世論化する、国民の合意を求める、そういった機構を作って、エネルギー政策を再検討し、そして核廃棄物処理政策を新たに作らなければならないと叫んでいます。

私はいま頭をそっています。この9月10日に私たちは政府とある合意に達しました。すべての核廃棄場の準備を中断して、核エネルギー政策と廃棄物処理場政策を公開機構で論議する。その論議を今後1年間継続すると約束して、これまで間違った政策をとってきた人々の責任を追及し、プアンの人々の苦しみを癒すための方法を見出すことに努力する、という内容です。私たちはやっと、新しい道が開けたと喜んでいたのですが、おととい政府が「核廃棄物を中低レベルと高レベルに分離して処理する」といって、従来の核廃棄場建設計画をこのまま続けるという発表をしたのです。これは、プアンの郡民たちとの約束が破られたことを意味します。私は、このような政府を信頼し、国民との合意を導く案内役をした私自身の責任を感じて、このように髪をそり懺悔の気持ちを表しています。そしてプアン郡民たちと共に、私たちの主張を政府に聞いてもらうためにきのうからソウルに集まっています。

「いまある原発の近くに臨時に貯蔵施設を作り、それから時間をかけて核廃棄物処理場の場所探しをしていかなければならない」というのが共通の考え方です。私たちは民主的に、そして公開された形で、われわれの国の人々の間に、私たちの思いを伝え共感を広げていきたいと思います。私たちは政府にそのように要求しています。

しかし私たちが同時に考えたいのは、私たちの生き方のパラダイムを変えなければならないということです。いつまでも自分たちの欲望を満たすために生きるのでしょうか。私たちの欲望はどこまでも続くのでしょうか。貧しい人は幸せだという聖書の言葉を常に新しく感じています。私たちは心を空にして、所有することをせずに、そしてともに生きていく世の中を作っていくことがまさに私たちの未来を確認することであり、新たな救いであり、神に続く道であると考えています。ですから何よりも、生き方のパラダイムを変えようということが、もしかしたら、核廃棄場反対、核エネルギー政策反対のわれわれの一番底にある思いではないかと思います。

質問「私は仏教者ですが、ムン神父のお話は仏教人のことばを聞くかのようでした。托鉢をしたことがありますが、川のせせらぎや、朝の明るい光、清い空気、蝶やへび、小さな命たちをいとおしく感じるような経験をしました。1980年、ミクロネシアの海に日本が核廃棄物を捨てる計画に反対する運動にかかわり、撤回させましたが、ミクロネシアの人々も、母なる大地、母なる海、神聖な場所に核のゴミを捨ててはいけないという強い気持ちを持っていました。どこにも核廃棄場をつくってはいけないのです。いっしょに闘っていきたいと思います」

プアン周辺は非常に漁業が盛んな地域でした。特にウィド(蛸島)は漁業のさかんな地域でした。イシモチなどはほとんどそこから取れているといっても過言ではないほどでした。しかし20年前にヨングァン原発ができて、漁場が破壊され始めました。10年後の1990年からセマングム干拓事業が始まり、ウィドの漁場はさらに打撃を受けました。人間の果てしない欲望はこうして豊かな漁場を殺し、人を殺す結果をもたらしました。だから、生きるすべのないウィドの漁民は、核廃棄場がここに誘致されたら一世帯あたり3億から5億ウオンの保証金がもらえるという嘘を吹き込まれて、工作活動が始められました。人々は、どっちに転んでも生き残れないならお金だけでももらおうじゃないか、と考えました。一生かけても漁民が3億から5億ウオンというお金を手に入れることはできません。荒廃して死んでいった漁場によって増えるのは借金ばかりで、彼らに未来はありませんでした。未来を金で切り開いていこうというのが、ウィドの民衆の破壊された人間性だったのです。

核廃棄場誘致というのはまさに、生を死に変えることはできないという問題につながります。私たちがこれを受け入れてしまったら、また次のものも受け入れて、死に至るしかないからです。死の行進を続けるわけにはいかなかったのです。今日、身を粉にしてもともに生きられる世界を切り開いていくことこそ、私たちの生きる意味であり、未来を確認する道ではないかと思いました。

先ほどのお話、私も心から共感できました。私たちも、そうした心で、祈っていきたいと思います。引き続き、核のない世の中のために祈り続けます。

おそらく皆さまは、もっと大きな連帯の責任を感じるべきだと思います。この瞬間に世界の核エネルギー政策が変わりつつありますが、もっともその問題に直面しているのが韓国、日本、フランスであると思います。日本の核エネルギー政策は、日本だけを殺すのではなく、全世界を殺してしまう、自らの欲望を満たそうとする過ちではないでしょうか。

三歩一拝の意味は、無知、文明、貪欲に対する懺悔と、神聖な生命の母体である大地に対する尊敬であり、大地に対して口づけを送る、そうした悔い改めの気持ちを持って美しい世界に向かって歩き続けることなのです。セマングム干潟を生かすために三歩一拝をおこないました。セマングムの干潟で死んでいく命と、核廃棄場によって死んでいく命も、ひとつの同じ命であるわけです。セマングム干拓反対運動も反核運動も、変わらないひとつです。

私は皆さまと一緒にともに祈り、ともに希望を開いていくことができると信じます。
希望に続く道で、同僚、兄弟、姉妹と会えるということ、そういう場を作ってくださった皆さまに心から感謝したいと思います。

質問「私も仏教です。25年間反原発を続けています。日本では宗教者が積極的に社会問題にかかわることは少ないです。韓国では、仏教者と、キリスト教の方々と、民衆がいっしょにやっているのが感動的です。日本でもそんなふうにならなければならないと思いますが、どうしたらいいのでしょうか」

仏教では浄土を願い、キリスト教では神の国を望みます。創造神話を見ると、この世を作り、生き物を作り、人間を作り、そのたびごとに神は「満足なさった」と聖書では表現されています。そして最後のところで、すべての世の生き物がともにある姿を見て「大変これはよい」とおっしゃった、とキリスト教の創造神話にあります。これが、私たちが望んでいる、望まなければならない世の中ではないかと思います。

神の存在というのは、大地が尊く、人が尊く、すべての命が尊く、その尊い生き方を絶えず外に現していくことが大切だと思います。その思いで、宗教を超えてともにすることができました。仏教の教えも儒教の教えも、キリスト教の教えも、この信念の中ではひとつだということです。

民衆とともにいるのでないなら、民衆とまったく関係のない神だけを語ることになります。もしそうであれば、それは関係性というものを絶つことです。絶えず関係を回復しようとする力、互いに相手を尊敬することこそが求められているのですから、本当に最後に結果を見て「これでよい」と神がおっしゃった結果を再び繰り返すことに私たちは力を使いたい。

相手のために自分を犠牲にし、相手の姿を現すことができる、そのような歴史が現在の歴史へとつながったわけですし、それらは別々の論ではないと思います。

私たちも、まだまだです。先は遠いのです。まだ韓国でも宗教者はひとつになっていません。しかしひとつになるまで私はいきたいと思いますし、いつかひとつになれると思います。

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