ジャイタプール;
終わりのない闘い
(2)

シャムシェル・ユサフ、モニカ・ジャー
 

          
 Jaitapurの村

● 立ち上がるマドバン村;
女神の啓示が人々を一つにした


 2005年のある夜、上半身裸で赤青の短パンを履き、首に花輪をかけたガヴァンカールが燃え盛るたいまつをもって寺院に駆け込んだ。彼はデヴィ像の前で立ち止まった。そして前後に体を揺らし続け、八の字を描くように頭を動かしながら、デヴィ像の周りをまわり続けた。常にたいまつは体のすぐそばに掲げられていたため、炎が何度も彼の体をかすめた。人々が集まってきて掛け声をかけ始めた。彼は寺院の庭に出てきた。人々は後ずさって彼を取り巻くようにスペースを作った。ガヴァンカールはたいまつを人々に向けながら円を描くように歩き続けた。彼を取り囲む人々は少しずつ後ずさりながら円を大きくしていったが、掛け声が絶えることはなかった。とうとう彼は寺院にかけもどり、女神の前に身を投げだした。女神が、ガヴァンカールに乗り移ったのだろう。

 ヒンズー教の聖職者や村の代表者らが伝統にのっとって話し合い、この出来事が、女神の意図にかなうものとして、村の健やかな暮らしのために行なわれたことを確認した。こうした話し合いが取り扱うのは、伝統的には寺院と村のこととされてきた。しかし、土地取得の通達が出されたこともあり、人々は原発建設計画をやめさせるための祈りを求めるようになった。

 ガヴァンカールは、女神の啓示を受けたものとして、また、歴史的にこの土地を治めてきた家の末裔であることから、彼は押しも押されもしない正真正銘のリーダーとなった。彼の先祖はゴアからこの地へ来て村をつくり、村の中心にあるバグワティ寺院を支えてきた。独立後数年間、村議会は彼の家を拠点としていた。

 2006年は、土地の収用に反対して数えきれないほどの抗議行動が行なわれた。ガヴァンカールは運動をさらに発展させるために、何人かの活動家と連携するようになった。最初にマドバン村に迎え入れられた活動家の一人が、スレンドラ・ガデカルであった。核物理学者であると同時に、政府と頻繁にぶつかり合って闘ってきた活動家でもあった。スレンドラ・ガデカルは、妻のサンガミトラ・ガデカルと共に、グジャラート州のカクラパール原発の近くで若い活動家のための学校を運営していた。


スレンドラさん(右)はフィリピンでのNNAF、サンガミトラさんはタイ・韓国でのNNAFに参加した。二人とも1999年インドでのNNAFの実行委員

 スレンドラは、原発、ウラン鉱山、核実験場などの調査に30年近く身を投じてきた人物だ。ジャールカンド州のジャドゥゴダ・ウラン鉱山、ラジャスタン州のラワットバタ原発、グジャラート州のカクラパール原発で献身的に活動し、南アジアで唯一の反核雑誌「アヌムクティ」の創始者でもある。

 スレンドラは2007年の初頭にマドバン村を訪問し、ガヴァンカールと共に約2週間滞在した。ナヴレカールは「スレンドラ氏が運動の基礎を築いてくれた」と語る。

 滞在中、2人は毎朝ガヴァンカールのバンに飛び乗り、プロジェクターを携えて出発した。原発建設予定地の10キロ圏内のすべての村を回り、会合を持った。会合では、スレンドラとガヴァンカールが、なぜ原発に反対するのかを時間をかけて語った。さらに、原発に関する映画の上映も行なわれた。

 たいてい上映は、ラジャスタン州のラワットバタ原発に関する映画から始まった。その映画は、スレンドラの妻であるサンガミトラ医師がラワットバタ原発周辺で起きている健康被害に関して写真を示しながら説明する内容であった。スレンドラ夫妻が行なったラワットバタ原発周辺での健康調査に基づいたもので、清掃員、聖職者、学生など社会のさまざまな立場の人たちの証言も織り込まれていた。どの登場人物も、皮膚疾患、先天異常、がんなどで不調を訴える人々であった。

 ナヴレカールによると、映画を見ると人々は徐々に原発に反対するようになっていったが、その進展は非常にゆっくりとしたものだった。そもそも、映画の上映会をするのに十分な参加者を地域の村から集めることに苦心した。村内を歩き回って人々を誘い、ぜひ映画を見るようにと説得した。「一人が見れば、その人がさらに10人に伝えることができるから」と彼は語る。

 それは、ほんとうに骨の折れる仕事だった。二人は朝早く出発し、夕食をとるために戻ってくるのはいつも深夜だった。

 スレンドラが加わったのをきっかけに、人々は運動をもっと組織化することを決意する。2007年8月、新しい委員会が結成された。名前は「民衆福祉委員会」。ガヴァンカールが委員長に選出され、ナヴレカールが事務局長となった。マドバン村の村民以外の人は、誰であってもこの委員会には入れないとされた。ミティガヴァネ村のミリンド・デサイやサクリナテ村のアムジャド・ボルカルなど他の村で反対運動を行なっている人も、マドバン村の委員会には入れない。村民以外の活動家や政治政党もしかりであった。

 これについては、非常に慎重に行なわれた。マイエカールは「これはマドバン村民による抗議行動だ」とし、活動家や政治政党には「もし抗議行動に参加したい場合は、民衆福祉委員会の横断幕のもとで結集してほしい」と説明した。地域で影響力を持つシブセナ党は乗り気ではなかったが、NGOはガヴァンカールの下に結集するのになんのためらいもなかった。

 活動家らは、村人たちの運動を大いに後押しした。NPCIL(原子力公社)との討論があるときは、いつもスレンドラがその先頭に立った。民衆福祉委員会が結成されて間もなく、委員会とNPCILを仲介するためにラトナギリの行政長官が大規模な討論会を開催したことがあった。NPCILは自らの能力を誇示してジャイタプール原発計画の必要性を主張したが、スレンドラは、NPCILがインド各地でやっていることが、彼らの立派なスピーチとは正反対の事態であることを列挙した。討論会は、袋小路に突き当たって終わった。

 それからまもなく、インド中から活動家がガヴァンカールに支援表明を届けるようになった。地元ではあまり知られていないものの、グリーンピース・インドもキャンペーンを開始した。

 最も重要な位置を占めていた外部のグループは、コンカン保全委員会(KBS)であった。KBSは左翼的な考え方に共鳴するジャーナリストや環境活動家らのグループで、これまでもエンロンなどが出資する巨大なダブホル火力発電所の反対運動を行なってきた。原発の技術的な側面について理解したり批判を展開したりする際に、KBSがその知識をもって運動を支えた。また、NPCILとの討論には、しばしばKBSのメンバーが対話の相手として登壇した。環境影響評価報告書に関する公聴会でも、KBSが鋭い批判と議論を展開した。

 民衆福祉委員会は、ボンベイの裁判所に対して土地取得の問題で裁判を起こした。2008年の1月、5人が個人としてそれぞれ申し立てを行ない、5つの裁判が始まった。2009年7月、2人の裁判官の合議で、土地所有に関して現状を維持することが言い渡され、NPCILに対しては土地取得を停止するよう求めた。

 しかしこの勝利は短命なものであった。8月になって控訴審で、土地取得に何の問題もないとの判断が下された。請願者の一人であるデサイ氏は、土地の登記記録について「我々の名前はあっさりと削除され、NPCILの名前が上書きされた」と語った。

 マドバン村では、土地取得のやり方に憤った人々の闘いがヒートアップしていた。11月の市民集会は、多くの人々が原発の模型を燃やしながら抗議した。2009年の暮れと2010年1月に土地収用を任された担当官が村に入って補償金の小切手を配ろうとしたが、誰も受け取らなかった。

 事態が険悪な状況に陥ったのは、1月22日だった。大集会が開かれ、警官や役人らは村人によって村への立ち入りを阻止された。すると武装した警官たちが村人たちに襲い掛かり、暴力が勃発した。警官たちは人々を叩きのめし、人々も警官たちを殴り返した。ひどいけがを負うほど殴られた女性もいた。この出来事で、72人が逮捕された。

 ジャイタプール原発反対運動の中で暴力が起きたのは、これが最初だった。指導者らは、「ガヴァンカールは一度たりとも暴力を容認したことはない、あれは偶発的なものであった」と語る。しかしこのとき発生した暴力という出来事は、不吉な雲のように、運動の上にあって影を落とし続けることとなる。

● 海を守るための闘い;いかにしてサクリナテ村の人々が反対運動に加わったか

 サクリナテ村の市場では、ジャマ・マスジッドと書かれた道標から細い路地に入る。急な坂を下りて鋭角になった角を2回曲がると、いきなり視界が開けて、生き生きとして混とんとした村の広場に出る。この地域で最もにぎやかな光景だ。

 道の片側では、ヤギたちが木につながれ、男たちが魚網を繕いなおしながら談笑している。もう一方では、女性たちガイドから水をくみ上げていて、明るい黄色に塗られた壁にはNo Nuclear(原発はいらない)Areva,go back(アレバは出ていけ)とペンキで書かれている。アレバは、フランスの核企業で、NPCILとジャイタプール原発の概要についてすでに合意している。

 崩れかけた2階建ての家々が、海に向かって少し傾きながら丘一面に広がっている。多くの家々では、家財道具が家の外まであふれ出している。路上で台所用品が洗われ、野菜が刻まれ、洗濯された衣類がはためき、湯が沸かされている。道路の一部が、家に組み込まれているかのようだ。薪とロープで追加の収納場所が作られて、子どもの自転車が置かれていたり、古い船やタイヤなどがまだ価値があると考えられているようで収納されていたりした。

 埃っぽい村の一角にある藁ぶき屋根の掘っ立て小屋が、お茶を飲むのに人気の場所となっていた。人々はそこでお茶を飲みながら何時間も原発について語り合っていた。人々の暮らしが公衆の面前でくり広げられる混沌とした賑わいの中で、その雰囲気を治めているものは海と魚だった。魚は、干物も、釣りたてのものも。海と魚たちが、村の空気の中で存在感を放っていた。

 サクリナテ村のにおいは、この村が地域で一番豊かな村であることを示している。1万人が、漁業とその関連産業で暮らしている。

 2014年9月のこと、スルタン・マクチワラは携帯電話でラトナギリの業者と商談を行なっていた。まだ、漁に出た漁船は戻ってきていないというのにだ。

 漁船が漁を終えて帰ってくると、村中の人々が集まってくる。大きな船を所有する男たちは今日の取れ高を見に来る。ネパールから来た労働者に指示を出して魚を船からおろし、トラックに積みかえさせるものもいる。小さな船の所有者は、それらを自分の家族の女性や子どもたちと力を併せて行う。魚やイカがいっぱいに詰め込まれたトラックは、氷で覆われて、ラトナギリへと走る。ムンバイにも出荷されているし、ここから直接、海外に輸出されている魚もある。

 このときは、電話でしゃべる声が飛び交い、とにかく商売だけが人々の関心事だ。一時間ごとが、数千ルピーを意味するのだ。この男たちが、警察に立ち向かうために海に向かって切り立った崖をよじ登った人たちだとは思えない。警察が陸路で予定地に入る道を封鎖したので、彼らは海側から上って予定地に入ったのだ。

 女性たちは地域の市場に卸す魚の取引のレートの交渉をしており、ときには口げんかも起きる。喧嘩に発展することもある。平手打ちやげんこつの応酬があり髪の毛を引っ張られるものもいる。男たちは離れたところからその光景を見て笑っている。これは、日々のくり返しの一部なのだ。

 ナテ警察が恐れているのが、この女性たちだ。彼女たちが抗議行動に加わると、運動は最高潮に達する。

 マドバンやそのほかの村と違って、サクリナテには土地の取り上げに直面しているものはいない。村の経済が、全面的に漁業に依存しているのだ。ビジネスマンで漁民のコミュニティのリーダーであるアムジャッド・ボルカルは、村全体で毎年60億ルピーの歳入があると語る。

 人々が恐れているのは、この豊かさをすべて原発が根こそぎ奪ってしまうのではないかということだ。予定地とサクリナテ村の間に位置する入り江の港は、間違いなく影響を受けることになる。活動家によると、予定地の周りには防壁が建設されることになり、船の出入りも制限されることになりそうだ。さらに、原発から排出される温排水が魚の産卵場所でもある周辺の海域の水温を上昇させて壊滅させるのではないかということを、村の人々は恐れている。彼らは、運動に参加することを決めた。

 そして、彼らの影響力は、マドバン村で開かれた環境影響評価の公聴会からほどなくして感じられることとなった。
       (公聴会については、次回)

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ノーニュークス・アジアフォーラム通信
No.136もくじ
(10月20日発行) B5版28ページ
●川内原発2号機の再稼働を断念せよ! 10.12鹿児島集会アピール         
●茶番に終わった地元の理解「劇」 ― 伊方原発の再稼働問題(小倉正)
●潜在する再稼働反対のマグマは、表層を覆う再稼働容認の公的力とどう対峙できるか(八木健彦)
●不安定化するトルコ政治に揺れる原発建設計画:11月再選挙を控えて(森山拓也)
●インド・ジャイタプール;終わりのない闘い(2)(シャムシェル・ユサフ、モニカ・ジャー)
●日韓交流20年で思いがけないこと(沢村和世)
●韓国・ヨンドクで11月11日に住民投票(古屋敷一葉)
●原発メーカー訴訟第1回口頭弁論が開かれました(原告団・弁護団通信より)
●意見陳述書(原告・森園かずえ) 
●『原発をとめるアジアの人びと』出版記念・映画祭(9月26日、大阪)プログラム 
●成長なんてするもんか(とーち)
●『原発をとめるアジアの人びと』推薦文(広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之)
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