ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.122より

マレーシア・レアアース製錬工場の環境影響

  (後篇):エィジアン・レアアース(ARE)社事件のその後

                   和田喜彦(同志社大学経済学部)

 エィジアン・レアアース(ARE)社事件とは、マレーシア・ペラ州イポー郊外ブキメラ村周辺において1970年代から1980年代にかけてモナザイト(モナズ石)からイットリウムなどのレアアース(希土類)金属を抽出する工程から発生した放射性トリウム(Th)などによる環境汚染のことである。

 ARE社は、日本の三菱化成が35 %出資、1979年にマレーシアで設立された合弁会社である(なお、三菱化成は、現在「三菱化学」となっている。1994年10月、三菱化成と三菱油化が合併し、「三菱化学」が発足した)。

 AREの立地場所は、首都クアラルンプールから約200km北方にあるイポー郊外のブキメラ村である。1973年にARE社の前身「マレーシア・レアアース」社が設立され、1982年7月、テレビの赤色発光体などに使用されるイットリウムなどのレアアースをモナザイトなどの原料から精製・抽出する操業を開始した。この工場で生産されたレアアースが100%日本に輸出されていた。

 問題の背景としては、 1968年の日本の原子炉等規制法改正により、放射性廃棄物の投棄や保管には厳重な管理が必要となったことがある。これに伴い、モナザイトからレアアースを抽出する工程は日本から海外に生産拠点を移動させていった(「公害輸出」の典型例とされる)。なお、1972年にはこの工程は日本から姿を消した(小島1999年)。

 精製・抽出の過程でトリウム232などの放射性物質が発生する。トリウム232は半減期141億年、アルファ線を出す有害物質だ。工場はトリウムを含む残土の保管施設を持たず、工場の裏にあった池や地面に警告表示もなしにそれを野積み状態にしていた。

 その結果、工場周辺では深刻な放射能汚染が発生した。投棄場の外周で自然放射線の約50倍の値を検出(地上1m)(1984年)、不法投棄された場所では、通常の730倍の線量も計測されている(1986年、市川定夫・ロザリー・バーテルらが測定)(市川2005年)。

 不適切極まりない廃棄物管理の結果、住民に健康被害の症状があらわれた。マレーシア平均の3倍の異常出産、40倍以上の発生率で子どもたちが白血病や癌に罹患するという痛ましい事態が発生したのだ。また、子どもたちの白血球数の減少という形でもあらわれた(下グラフ)。米国の核実験で被曝したマーシャル諸島の子どもたちの白血球減少数と似た数値を示したのである(T. Jayabalan 医師の調査による。小島1992年)。



 住民はARE社の操業停止を求めて抗議活動を展開。1985年にはイポー高等裁判所に提訴。高裁は仮処分として操業停止命令を出し、操業を一時止させた。その後ARE社は廃棄物の仮備蓄場を建設したため、マレーシア原子力許可委員会から操業の再開を認められた。ところが仮備蓄場は穴を掘っただけの粗末なものであったため、住民は抗議行動を再開。1992年にはイポー高裁で、操業中止命令。住民側の全面勝訴となった。しかし、1993年にマレーシア最高裁の上告審では操業を合法として認める逆転判決が出された。

 ARE社は1994年1月、「中国から輸入するほうが経済的」として、撤退。工場は閉鎖され、放射性トリウム14%を含むトリウム廃棄物が放置された。

 ARE工場の解体と廃棄物保管場所の設置と除染作業が行われたのは2003年から2005年にかけて、操業停止から9年もたってからであった。現在、従来の地上の保管場所が古くなり、放射性廃棄物を新しい地下保管場所に移転中である。

 三菱化学も州政府も、現在に至るまで、被害者の病気とARE社の排出した汚染物質との因果関係を認めていない。見舞金と称して、月いくらかの生活費補助を出しているのみである。ただ、廃棄物の管理・保管、見舞金の支出には莫大な費用がかかっており、操業収益を上回るコスト負担が三菱化学の肩にのしかかっているという。

 ちなみに、三菱化成(現、三菱化学)は、四日市ぜんそくの加害企業のひとつである。1972年に、三菱化成は四日市工場の建設前に、環境影響評価を行わなかった過失があったとする判決を受けた。そして、ぜんそく患者に対し、損害賠償を支払うことが命じられた。三菱化成は、四日市で得た教訓をマレーシアでまったく活かしていなかったのだ(小島1990年)。


              廃棄物の最終処分場(南方向から見る)

 筆者は、2012年11月イポーに赴き、30年を経てもなお傷跡が残っているブキメラ村を訪ねた。28年前にARE社の従業員として工場施設の拡張工事に当たっていた女性に出会った。彼女の名は、ライ・クアンさん。当時、工場の拡張工事が始まったころ彼女は子どもをお腹に宿していた。しばらくして生まれたレオン君は先天性の白内障、心臓に穴があり小脳症という三重の重い障がいを持っていた。レオンさんは、何とか生き延びたが、2012年春、28歳の若さで亡くなっている。「ロザリー・バーテル医師が、彼がまだ幼い頃訪問して診察してくださったが、その時先生は、『お子さんは、30歳まで生き延びることができないかもしれない』とおっしゃいました。まさにその通りになってしまった」と涙ながら述懐された。


  ARE元従業員で被害者の母でもあるライ・クアンさん(右)と筆者(撮影:Ray Ng氏)

 筆者は、ARE工場跡地で放射線測定を実施した。地上からの高さ1mでの放射線(ガンマ線のみ)は、0.115、0.109、0.118, 0.128

 マイクロSv/h程度で、バックグラウンドの2〜3倍程度であり、汚染の程度はそれほど大きくはない。工場跡地から数キロ離れたところにある廃棄物最終処分場付近も計測した。その付近で、通常の10倍程度の線量を計測した場所もある(地点番号:エジアン-6: 0.444マイクロSv/h)。


        廃棄物の最終処分場付近での放射線計測

 それらの地点での土壌サンプルを採取し、含まれている放射性物質や重金属の含有値を分析した結果を次に提示する(分析は大阪大学理学部福本敬夫氏に依頼した)。





 有害な重金属や放射性物質であるトリウム、ウランともに異常に高い値を示してはいなかった。最も高い値を示したのは、エジアン-9という地点であるが、トリウムが、58.0ppm、ウランは23.0ppmであった。ちなみに日本におけるトリウムの環境基準は、92ppmである(京都大学小出裕章氏による)。ただし、オーストラリアのモナッシ大学工学部教授Gavin Mudd博士によれば、地殻中の平均含有値は、トリウムが10.5ppm、ウランは2.7ppm(Rudnick,et al., 2003)であるから、汚染物質の漏えいがあった可能性も否定できない。今後、より広範囲な分析が必要とされる。



 30年前に発生した「公害輸出」によって甚大な健康被害が発生し、外国企業の加害責任が曖昧にされ、被害者の救済は不十分のままという実態があるからこそ、マレーシア市民は、ライナス社の製錬工場を信用していないのではないか(ライナス社製錬工場問題については拙稿前篇(本誌120号)を参照)。そうであるのならば、加害企業が所属する国である日本は、ライナス社問題に対してより積極的な働きかけを行う必要があるのではないか。

 日本政府もマレーシア政府も、そして国際社会も、レアアース市場が活気づく今こそ、過去の教訓から学ぶことが必要であろう。

 現在、日本政府と原発メーカーは、トルコ、インド、ヨルダン、ベトナムなどに原発を輸出しようとしている。原発輸出も輸入国現地に放射能汚染と被曝を引き起こすばかりか、大量の放射性物質を発生させる。万一事故が発生した場合には、放射性物質が大地と海を汚染し、放射能被曝は甚大なものとなる。日本政府やメーカーは、フクシマの過酷事故の教訓から何も学ばないまま原発輸出を強行しようとしているが、四日市ぜんそく事件から何も学ばなかった三菱化成と同じ罪をおかすことになるだろう。

 先日、トルコとインドから環境NGOスタッフが来日した。現地では大規模な原発輸入反対運動が起こっているという。日本に住む私たちもこの運動に連帯し、日本政府や経団連への働きかけを強めるとともに、原発メーカーや融資銀行などに対しても強力なプレッシャーをかける必要があるだろう。とりわけ、原発メーカーの製品の不買運動(ボイコット)を全国的、国際的に広めていく必要があると思われる。

*参考文献(著者名アルファベット順)

Consumer Association of Penang.
http://www.consumer.org.my/index.php/health/454-chronology-of-events
-in-the-bukit-merah-asian-rare-earth-developments 2013/5/17 最終アクセス。

市川定夫、2005年。「ロザリー・バーテル博士と私」、ロザリー・バーテル著『戦争はいかに地球を破壊するか』緑風出版。pp. 21-30。

小島延夫。1990年。「公害輸出:その実態と法的問題点」『法学セミナー』。422号、pp. 48-51。

小島延夫。1992年。「日系企業AREによる公害の悲劇:マレーシア」 土生長穂・小島延夫編。『アジアの人びとを知る本 @ 環境破壊とたたかう人びと』大月書店。pp. 45-65。

小島延夫。1999年。「公害と環境破壊を輸出する日本政府と企業」『前衛』1999年10月号(通巻717号) pp. 99-106。

日本弁護士連合会:公害対策・環境保全委員会編。1991年『日本の公害輸出と環境破壊:東南アジアにおける企業進出とODA』日本評論社。

『ノーニュークス・アジアフォーラム通信』No.105(2010年8月20日発行))

Rudnick, R L & Gao, S, 2003, Composition of the Continental Crust. In "Treatise on Geochemistry", H D Holland & K K Turekian (Ed's), Elsevier Pergamon, Vol. 3 of 9, Chap. 3.01, 64 p.


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