9月9日、タミルナドゥの海岸を3万人が埋めつくした

反原発運動に暴力と入国拒否で応じたインド

             宇野田陽子  (「週刊金曜日」2012.10.19 より)



 インド亜大陸南端の小さな漁村が、歴史上最大ともいうべき大規模な反
原発闘争の中心となっている。タミルナドゥ州で南部の漁村にロシアの
原子力企業ロスアトムが建設したクダンクラム原発(1000MWの原子炉
2基が建設済み。さらに4基が増設予定)の稼働を渾身の力で阻止し続け
る民衆の運動である。

 昨年の夏以降、運動拠点であるイディンタカライ村に数千〜数万人が結集
して、ハンガーストライキや集会、道路封鎖、デモ行進などが連綿と続けら
れてきた。こうした力強い反対運動が工事を中断させ、昨年12月と予定さ
れていた運転開始は大幅に遅れることとなった。しかし今年3月、州首相が
態度を一変させて稼働に同意するや、州警察による原発周辺地域の封鎖、
運動に関わる住民の大量逮捕、ライフラインの遮断などの暴挙に出た。こ
の頃から運動への締め付けや嫌がらせが激化していった。

 9月に入ってからは原子力規制委員会が燃料棒の装荷を許可したため、現
地では人々の怒りが爆発。9日には、約3万人が結集してデモを行ない、原
発がそびえる海岸の砂浜を埋め尽くした。しかし翌10日、悲劇が起きた。そ
のまま砂浜で一夜を明かした人々に対して、数千人規模の武装警官隊が
催涙弾や棍棒をもって襲いかかり、多数の重軽傷者、逮捕者を出したのだ。
この様子はテレビでも放映され、州警察はインド全土から非難を浴びている。

 13日には多くの人々がその砂浜に再び集まり、海の中で「人間の鎖」を行っ
た。抗議行動はタミルナドゥ州の沿岸部に瞬く間に広がり、群衆が駅になだ
れ込んで特急列車をストップさせたり、700隻もの漁船が海に繰り出して港
を封鎖するなど、連帯行動が続いている。こうした連帯行動はインド全土に
広がりつつある。クダンクラム原発周辺の住民も、世界へメッセージを発信し
続け、連帯を呼びかけ続けている。

 昨年8月に日本で開催されたノーニュークス・アジアフォーラムで、クダンクラム
の運動の中心的リーダーであるウダヤクマールさんと出会っていた私は、運
動に連帯するため、同じくフォーラムに参加した2人の仲間と共に9月下旬に
インドを訪問することにした。出発直前に9月10日の大弾圧が起きたが、現
地からは「状況は緊迫しているが大歓迎する」と連絡をもらっていた。

 しかしチェンナイ空港で入国手続きをしようとした私たちは、1時間以上にわた
って入管職員たちから尋問を受けた。「ノーニュークス・アジアフォーラムのメン
バーだろう?」「5月にクダンクラム原発に反対する国際請願署名を組織した
だろう?」

 彼らはさらに「クダンクラムに行くんだろう? 反対運動に参加するんだろう!」
とまくし立てた。そして一人の職員が、私たちの名前が搭乗人として記載され
た国内線の旅程表の紙を突き出し、「おまえたち3人の名前で国内線が予約
してある」と言いだした。これには心底驚いた。それはインドの友人が前日に
予約してくれた国内線のフライトで、私たちはまだその旅程表を見たこともな
かったのだ。

 もっとも不愉快だったのは、「クダンクラムに行くんだろう。誰がトゥティコリン
空港に迎えに来るんだ? 誰がお前たちを招待した?」と大声で矢継ぎ早に
質問した後、彼らがはっきりと、インドの友人たち3人の名前を口にしたときだ
った。なぜ彼らの名前を入管職員が知っているのか?

 答えることを拒否した私たちは出国ゲートへと連れて行かれた。クアラルンプ
ール行きの飛行機に乗せられる直前に、なぜ強制退去なのかと若いスタッフ
に問うと、「インド政府がそう決めた。嫌なら牢屋に入れ」と居丈高に言われ、
有無を言わせず機内へ連れて行かれた。

クアラルンプールで返却されたパスポートには、私たちがインドの法律に違反
する可能性のある「容認しがたい人物」と判断されたので国外退去にすると書
かれた書類が挟んであった。

 秘密主義、議論封殺、住民無視、抗議行動への暴力、推進側相互の癒着・・・・、
そうした閉鎖的で抑圧的な社会状況が原発の破局事故をもたらすと、私たちは
昨年の3月11日にはっきりと学んだはずだ。インド政府がそれと同じ道を歩み
ながら、女性や子どもを中心としたデモ隊に暴力で応えたことは絶対に許されない。

 クダンクラムの状況は、これから日本政府が本格的に手を染めようとしている原
発輸出の先に、どのような状況が引き起こされるかを如実に示している。

 原発推進派は、利害共同体として世界規模で緊密に連携している。私たちは、
それを凌駕するつながりを世界の仲間と築かなければならない。

 強制退去となった私たちに現地の友人がくれたメッセージがその思いを確信に
変えた。「政府は、私たちが出会うことを妨害できても、連帯する気持ちを止め
ることはできない」

 福島原発事故がもたらした悲劇を忘れたかのように、原発輸出へと突き進む
日本政府を組み伏せる闘いは、日本の私たちの責務である。

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