ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.118より

インド・クダンクラム原発反対運動(7)

      宇野田陽子「yoko1214's blog」http://koodankulam.hatenablog.comより

 日本でも新聞やニュース等で報道されているように、9月10日、インド南部のタミルナドゥ州に建設されたクダンクラム原発への反対運動に対して大弾圧が加えられました。武装警官隊が女性や子供を多数含むデモ参加者に対して催涙ガスを発射、警棒などで無差別に殴打し、道路を封鎖し、ライフラインを寸断、さらには住民の家を次々と破壊するなど目を覆うような大弾圧です。武装警官の襲撃で、住民の一人である漁師の男性が射殺されました。

 1年間に及ぶありとあらゆる抗議行動を無視し続けた挙句に、中央政府および州政府は人々の闘いを暴力で粉砕するという選択をしました。インド国内でも、チェンナイやコルカタをはじめインド各地に連帯行動が広がっています。そしてクダンクラム現地では今も抗議行動が続いています。

 クダンクラム原発に対する反対運動のリーダーの一人であるウダヤクマールさんは、昨年夏に日本で開催された「ノーニュークス・アジアフォーラム2011」にも参加された仲間です。現在、ウダヤクマールさんらリーダーは、ねつ造された様々な容疑をかけられており、逮捕されてしまえば終身刑という状況です。数千人の住民が、リーダーたちをとり巻いて守り続けていますが、世界の人々の声を結集して、これ以上の非人道的な弾圧が起きないように監視しなければなりません。

 また、飲料水にも事欠く状態で権力に包囲されながらも一歩も引かずに原発反対の意思を貫いているクダンクラムの人々に対して、連帯の思いと具体的な行動を発信し続けたいと思います。

 クダンクラム原発はロシア製ですが、日本と非常に深い関係があります。民主党政権は新成長戦略のもと、原発輸出をこれからの輸出戦略の重要な柱と位置づけています。そしてここ数年間、日本政府は熱心にインドとの原子力協力協定締結に向けた画策を続けています。巨大なインドの核市場に乗り遅れまいと躍起になり、核保有国との原子力協力協定に踏み出そうとしているのです。あらゆる原発輸出は不道徳で非人道的ですが、万が一にも日本がインドの原発に肩入れするような事態となれば、それはインドの核保有を認め、南アジアの核開発競争に加担することになってしまいます。その陰で原発周辺に住む民衆が警棒で叩きのめされ、思慮深いリーダーが暗殺や不当逮捕の危険にさらされる。そんな状況を私たちは見過ごすことはできません。



■ 9月10日、女性や子どもたちを主体とする平和的な行動に
 武装警官隊が暴力的弾圧


 日本ではあまり報道されていませんでしたが、クダンクラムでは数千〜数万人規模の抗議行動がすでに1年ほど続いていました。人々の激しい抗議行動によって、昨年末に予定されていたクダンクラム原発の本格稼働は、現在まで実現していません。原発の建設はほぼ完了しているのですが。

 歴史上最大の反原発闘争と言えると思うのですが、インド政府もタミルナドゥ州政府も、住民たちの意見や願いを無視し続けてきました。

しかし、とうとう9月初旬、原子炉に核燃料が装荷されると発表されるや、人々は原発を包囲する行動を行うことを決めました。そして9月9日、地域の人々はもちろん、近隣の村々からも多くの参加者が集まり、3万人もの人々が結集しました。海岸沿いに建つクダンクラム原発を包囲して、抗議の声を上げたのです。

 そして9月10日、砂浜に泊まり込んでいた数千人の人々が朝を迎えると、完全武装した警官隊がデモ隊を包囲し、催涙ガスを発射、警棒などを用いて無差別に住民らを殴打するなど、大規模な弾圧を行いました。デモの主体は女性や子どもたちなのに、警官隊は容赦ない暴力に出ました。突然の襲撃におびえて泣き叫ぶ子どもたちの表情に、胸が詰まります。警察の発砲で、漁師である40代の男性が亡くなりました。

■ 武装警察による襲撃の痕跡

 9月10日の夜も混乱は続きました。運動の中心となっていたイディンタカライ村は言うまでもなく、その他の近隣の村々にも警官隊が押し寄せて略奪行為を行いました。

 イディンタカライ村では、この1年間にわたって拠点としてきた集会場が完全に破壊されました。そして、共同炊事場も執拗なまでに破壊されました。この1年、毎日のように数千人の村人たちがハンストや集会で集まり続けた集会場です。多くの人々が食べものを寄付したり協力して食事を作ったりして運動を支え合った大切な炊事場でした。保管されていた食料も荒らされ、土まみれの残骸として残されました。

 人々は衝撃を受け、恐怖におびえています。地域の住民たちは、村ごとに、学校ごとに、またはその他の場所ごとに、とにかく寸断されてとり囲まれ、お互いに連絡をとり合うこともできません。ライフラインもストップしたままです。

 「多数の死者が出た」「逮捕者が続出している」「再び警察が襲撃してくる」など、さまざまなうわさが飛び交うなか、人々は不安に耐えています。村には飲み水がありません。海辺の村にとって飲み水の供給は命綱です。しかし地元行政は、周到に準備して水道を寸断させています。

 著名な活動家であるサンガミトラ・ガデカルさん(2001年韓国でのNNAFに参加)は、政府が1990年代の中頃にカクラパール原発の稼働を強行させた際も、全く同じ手法がとられたと指摘しています。当時も、1人の若者が警察の襲撃によって殺され、村は略奪され、村人にとって唯一のタンパク源であった牛乳の輸送が徹底的に妨害されたといいます。

 クダンクラムの運動の主体が女性や子どもたちであることを考えると、ライフラインを寸断するということがどれほど非人間的な戦術であるかが身にしみます。「クダンクラムのためにできるすべてのことをやろう!」という呼びかけのもと、インド各地で連帯抗議行動が起きています。

■ ウダヤクマールを守りぬく! クダンクラム住民たちの決断

 9月10日の弾圧を受けて、これまでクダンクラムの運動をけん引してきたリーダーの一人、ウダヤクマールさんが警察への出頭を決意してその旨を住民たちに伝えました。これ以上住民たちが権力による暴力で痛めつけられることがあってはならないという気持ち、自分が逮捕されてもこの運動が消え去らないという信頼など、さまざまな思いがあったと思います。ウダヤクマールさんは11日の朝に、「今日の夜に出頭する」と表明しました。

 しかし、ウダヤクマールさんには200以上のでっち上げの容疑がかけられており、それらの容疑の中には治安妨害罪や「国家に対して戦争をしかけた罪」など終身刑が言いわたされる可能性のある重罪も含まれています。村人たちは、泣き叫びながらウダヤクマールさんの出頭に反対したようです。怪我をさせられ、住居を壊されても、住民たちには確たる信念があることが感じられます。この1年 間、クダンクラムの小さな漁村にしつらえられた簡素な手作りの集会場で寝食を共にした仲間でありリーダーであるウダヤクマールさんを野蛮な警察の手に渡すなど、住民たちにとっては考えられないことだったようです。



 老若男女が涙を流しながら出頭を思いとどまるよう叫びながら説得しています。動画はタミル語なので全然わからないのですが、新聞記事などによると、「あなたが逮捕されてもよいのは、私たちが1人残らず逮捕された後だ!」「出頭するということは、私たちを置き去りにするということですよ!」など人々のことばの重みが痛感されます。

 住民とウダヤクマールさんとの議論は、朝から夕方まで続いたようです。そしてとうとうウダヤクマールさんは、リーダーとして村にとどまることを決意しました。これで当面、ウダヤクマールさんの逮捕はなくなりました。容疑の中に国家反逆罪に相当する重罪(もちろんでっちあげ)があるということから、死刑の可能性も皆無ではないと聞いていたので、遠く日本にいる私ですら気が気ではありませんでした。

 ウダヤクマールさんたちリーダーが逮捕されないよう、これまでも常に数千人の民衆が彼らを文字通りとり囲んで守り抜いてきました。大切な人が権力のほしいままにされないよう、多くの人々が集まって人垣を作ってとり巻いて守る。警察も、ウダヤクマールさんの周りにいつも数千人の人々がいるから手が出せない。このような状況が何カ月も続いていることに驚嘆します。非暴力不服従の原点を見る気がします。

 昨年の夏に広島でウダヤクマールさんにお会いしたときの、穏やかで優しい様子が思い出されます。ウダヤクマールさんは私に、「ぜひ子どもと一緒にクダンクラムへおいで。学ぶことがたくさんあるから」と言ってくれました。アメリカの大学で教えていたウダヤクマールさんが、故郷とはいえ南インドの小さな漁村に根を張って、どのようにしてこれほどの素晴らしい運動を作り上げたのかと考えます。その答えの一つが、あのことばの中に隠されているような気がします。

 現地支援者からのレポートは「ウダヤクマール氏が出頭を思いとどまったことで、クダンクラムにおける大規模で平和的な抗議行動は明日からもさらに強まるだろう」と結ばれていました。今の日本国内で反原発の運動に関わる者にとっても、学ぶべきことがこの闘いの中にはたくさんあると思います。



■ 民衆が海を占拠! 弾圧後も続くクダンクラムの闘い

 9月13日、新たな形態の抗議行動が始まりました。2000人以上の村人たち、漁民たち、女性たち、子どもたちが結集して海に入り、夜まで海を占拠したのです。

 警察の偵察機が不気味な様子で低空飛行し続けています。この低空飛行で、橋から落下して亡くなる方がでました。これで、発砲の犠牲となった男性とあわせて、2人が亡くなったことになります。

 それでも、民衆は抗議行動を続けています。
子どもたちが、まるで浜遊びを楽しむかのようにかわいらしい笑顔を見せています。

 この子たちの上を偵察機が低空飛行しているかと思うと、許せません。



■ 9月10日前後にクダンクラム現地で何が起きていたかの詳細報告

 10日の詳細な出来事とその前後の様子について、DiaNukeサイトに11日に投稿された、Nityanandさん(チェンナイの活動家)の報告から抜粋しました。9月9日の大規模デモ、それに続いて10日に起きた弾圧、その後の様子などがわかります。警察は、デモ隊を弾圧するだけではなくて、村人の心のよりどころを一つひとつ破壊することで運動を潰したいと考えている様子が伝わってきます。原発輸出の問題を考えるときに、現地では具体的にこうした弾圧が起きうるということを私たちが知っておくことは重要だと思います。

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 報道関係の友人によると、警察の精鋭部隊がすべてクダンクラムに召集されており、運動を一気に壊滅させるという戦略に打って出るらしい。

 公安関係者は「女性警官2人が行方不明になっている」と報じている。村人たちは「警官を人質になど取っていない」と否定している。村人たちに対する非難の声を社会の中に作り上げ、警察による弾圧を正当化するために、こうしたうわさが流されているとして、村人たちは不安を強めている。

 こうした文脈から、これ以上不測の事態が起こらないよう、ウダヤクマール氏とその他の中心的リーダーは、今晩(9月11日の夜)、著名な政治指導者らと共にクダンクラム警察に出頭すると述べた。(訳注:村人たちの強い反対によって、ウダヤクマールさんは出頭しませんでした)

●昨日の悪夢が続いている

 原子力規制委員会がクダンクラム原発への核燃料装荷を許可したことに対して、PMANE(People's Movement Against Nuclear Energy)は、民衆が原発を9月9日に包囲することを発表した。無数の武装警察がこの地域に投入された。この日、子どもや女性たちを含む多くの人々が、イディンタカライ村やそのほかの近隣の村から集まり、イディンタカライの教会を出発した。

 舗装道路は、原発から800メートルの地点で、すでに警察に封鎖されていた。人々は舗装道路を避けて、海沿いの小道を歩いて行った。人々は砂浜に座り込み、自分たちの闘いをここで続けると宣言した。リーダーのウダヤクマール氏は、「タミルナドゥ州政府が介入して、反対している民衆の要求にこたえてほしい」と語った。浜辺で長時間座りこむことは大変なことであるが、すべての人々が砂浜にとどまり続けた。

 9月10日の朝、10時半ごろ、武装警官隊が鉄のたがの入った棍棒をもって集まってきた。小競り合いが数分間続いて、武装警官隊はいったん退却した。不穏な静けさがあたりに満ちた。すると、武装警官隊の隊列が見る間に膨れ上がり、暴動鎮圧などを想定した装備の隊列が最前線に整列した。催涙ガスの装置も設置された。

 そのような中、2人の若者がクダンクラム原発に向かって船で漕ぎだそうとした。住民たちはそれに反対し、警察に許可を得て2人の方へ行き、砂浜の座り込みの地点まで戻るよう説得した。2人が戻ってきたところ、ティルネルヴェリ警察署長の命令で、警官隊が彼らをとり押さえた。これをきっかけにして場が騒然となり、「なぜ戻ってきたのに2人を逮捕するのか」と人々は警官隊に抗議した。11時半ごろ、警察署長は住民たちに対して、10分以内に解散しなければ実力行使に出ると申し渡した。

 最前列には女性たちがいた。そこが、最も原発に近い地点であった。子どもと男性たちは砂浜に沿ってイディンタカライ村の方向へと並んでいた。攻撃が始まる直前、警官隊の隊長が隊員たちに、最前列に向き合うのではなく人々の真ん中に移動するよう指示した。男性と女性を分断するためである。

 タミルナドゥ州のすべての人々がこの出来事をすべてテレビで目撃していた。その場にいた報道記者たちも同様に、10分間のカウントダウンと共に催涙ガスによる攻撃が始まったことを誰もが見ていた。

 現場にいたある参加者によると、「警官隊が2人のボランティアの若者を小突きまわし始めたので、女性たちが警官に向かって叫び声をあげ、そこに多数の人々がどっと集まってきた。すると警官隊がそこへ駆け寄ってきて、棍棒による殴打が始まった。私たちに向かって催涙ガスが発砲されたことなど、全く気づかなかった」と話している。

 テレビの映像を見ると、催涙弾が多数発射され、警官隊は人々の中に突っ込んでいって警棒を振り回して人々を殴打している。武装警官の大群と海に挟まれて、女性や子どもたちは足もとの砂を手ですくって警官に投げつけて何とか応戦していた。子どもたちは、まさに混乱の極みの中にいた。多くの男たちが海に飛び込んだ。警官隊が石や棒などを男たちに向かって投げながら、「砂浜に戻ってきたら痛めつけて殺してやる」と脅していた。この時の状況を話してくれた情報元によると、警官はある若者が持っていた携帯電話をみて「あいつが爆弾を持っている」と叫んでいたという。

 運動の重要なリーダーであるサハヤ・イニタは警官隊の標的とされ、重傷を負った。テレビのインタビューによると、ウダヤクマール氏は安全な場所に移動することができたが、その際に狙撃されたと話した。ウダヤクマール氏がボートで海岸を離れようとした際に狙撃されたことは、そばにいた多くの参加者が目撃している(訳注:弾丸ははずれた)。

●マスコミ関係者も負傷

 タイムズナウのカメラマンは意図的に標的にされて負傷した。衝突は砂浜で起きたが、警察の別の部隊はそのとき別の場所で、デモ参加者が駐車していた車を破壊していた。たった一人、その様子を撮影していたのがタイムズナウのカメラマンであった。警察は彼を襲撃し、重傷を負わせた。カメラマンは、少なくとも額に4針縫う大けがを負った。彼のカメラは破壊されて海に投棄され、テープは抜き去られていたと言う。

 その他にも、警察によってメディア関係者のバイクが3台破壊されたという情報もある。

●警察による破壊行為

 別のカメラマンからは、次のような証言も得た。警官たちは組織的に、海岸に停泊していたボートのエンジンも破壊した。さらに1人の巡査が砂浜に張られたテントに放火しようとしたが、写真に撮られていることに気づいてやめた。しかし巡査はあきらめられないのかもう一度放火しようとして、カメラマンに向かって邪魔をするなと罵倒した。警察によって、テントは引きずり倒され、ライトやスピーカーも破壊された。この日の昼にデモ参加者にふるまわれるはずだった昼食がテント内に準備されていたが、その料理にも大量の砂が投げつけられた。

●イディンタカライ村に入る

 砂浜で混乱が起きていた間に、武装警察官の別動部隊約400人は、イディンタカライ村に入った。マスコミは砂浜での状況を取材するのに忙しく、村に入った警官隊の後を追った者はいなかった。警察は家を一軒一軒しらみつぶしに調べ、男性がいないか探していた。その警官たちが海岸沿いに回ったとき、150〜200人の若者が集まっているのを見つけた。若者たちは驚いて海に飛び込んで逃げた。警官たちは砂浜から発砲しながら、戻ったら殺してやると叫んでいた。

●教会での冒涜行為

 同じ時に、警察はロードゥ・マーサ教会も破壊していた。聖像が破壊され、警察は教会内で放尿したりした。デモ参加者のために教会の外に張られていたテントも引き倒され、明かりが破壊された。貯水槽も破壊された。村人によると、タミルナドゥ州上下水道局が所有する公的な給水設備も破壊されたという。

 この様子を隠れて見ていた村の女性によると、白い腰布とシャツをつけた見慣れない男が警察車両に投石しており、一緒にいた警察官がそれを写真に撮っていたという。

 ニュース報道では、クダンクラムのパンチャヤット事務所とTASMAC(政府管轄の酒類販売所)が村人によって放火されたと報じられているが、村人たちは「パンチャヤット事務所もTASMAC も、放火どころか傷もつけられていない」と話している。

 この日の夜、村では約65人が逮捕された。警察が一軒ずつ村人の家をしらみつぶしに捜索していた。
 
●現在の状況

 嵐の前の静けさのような不穏な状況である。イディンタカライ村への必要最低限の供給がストップしている。10日に警察によって貯水槽が破壊されて以来、ここには水がない。9月11日の午前9時半の時点で、警察の検問があるトーマス・マンダパムですべての輸送がストップしている。地域の人々が、トラックで水を運び込んでくれた。

 9月10日の夜に、5つの村への電力供給が遮断されたと報じられた。報道によると、ウダヤクマール氏などリーダーを見つけ出すために、村人の電話が盗聴されているとのことである。

 数時間に及ぶ警察による弾圧の間に、タミルナドゥ州南部中の漁村に、燎原の火のごとく抗議行動が広がった。トゥトゥクディのマナッパド村ではアンソニー・サミー(40)が警官に撃たれて亡くなった。1万人以上の人々がトゥトゥクディ駅に結集して線路を占拠し、マイソール特急を2時間以上遅延させた。

●負傷者、逮捕者、病院搬送者

 砂浜では多くの人々が逮捕された。あるジャーナリストによると、昨日25人が逮捕されたという。

 報道によると、1人の子どもの頭に催涙ガス弾が命中し、現在ティルネルベリ医科大学病院で危篤状態になっているとの情報がある。この件については、まだ正確な情報は得られていない。

 タミルナドゥ州では、立場の弱い人々が行う抗議行動に対して、過剰な暴力で対応することがこれまでもくり返されてきた。1999年にはティルネルベリで、労働条件の向上を要求したダリット(カースト制度で最下層に位置付けられた人々)の茶葉工場労働者17人に対して、警棒で武装した警官が追跡の末に川に追い落とすという出来事があった。ちょうど1年前にも、パラマクディにおいて、ダリットの人々がリーダーであるインマニュエル・セカラン氏を囲んで集会を行っていたところ、警官隊が集会に乱入し、銃撃によって6人が死亡、30人以上が負傷する事件も起きた。

●連帯抗議行動

 チェンナイ、ティルッチ、コインバトーレ、トゥトゥクディ、カニャクマリ、ティルネルベリ、ニューデリー、デリー、ケララ、トリヴァンドラム、コルカタなどで、市民による道路封鎖、大学生によるキャンパスへの立てこもり行動、漁民による抗議行動など様々な抗議行動が行われた。

9月13日

■ クダンクラムに連帯する日本人3人がインドで入国拒否に

 日本のマスコミでも取り上げられましたが、9月10日にインドのクダンクラム原発で平和的な抗議デモに対する大弾圧がありました。クダンクラムの人々は世界に連帯を呼び掛けており、私たちも9月25日にインドを訪問しようとしました。しかし、下記の書簡に書いたような出来事があり、入国拒否され強制送還となりました。

 私たちのような小さな個人を標的にして入国を拒否するような、秘密主義と非民主的な態度がいったい何をもたらすのか、強い懸念を覚えます。そのような閉鎖された文脈の中で、武装警官隊が民衆に催涙ガスやこん棒で襲いかかり、力で民衆を抑え込みながら、核がさらに膨張していくことに恐怖を感じます。

 この経験と懸念を広く知ってもらいたくて、英文での書簡を発信しました。DiaNukeなどインドの多くのウェブサイトに掲載されました。

 下記は、その日本語訳です。クダンクラム原発はロシア製ですが、日本はインドとの間で日印原子力協力協定の問題も抱えています。核も原発もない世界をめざすインドと日本の人々が、国境を越えて手を取り合えるよう、私たちがなすべきことを地道に続けたいと思います。

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「核のない未来をめざす友人たちへ」

 タミルナドゥ州で、クダンクラム原発に反対する歴史的な運動が続いています。世界中の人々が、その闘いに感銘を受け、連帯の意を表明したいと思っています。

 私たちも、連帯の思いを伝えるため9月25日にインドを訪問しようとしましたが、チェンナイ空港で入国を拒否されました。1時間以上に及ぶとり調べの後、入国拒否の書類に書かれたことばは「Inadmissible person(容認しがたい人物)」でした。

 欧米から核の商人を次々と呼びこんでいるインド政府が、私たちのような小さな市民の入国を拒否したことは、許されることではありません。私たちの経験を皆さんにも知っていただきたくてこの手紙を書いています。

 チェンナイ空港で飛行機を降りて入国カウンターの方へ歩いて行くと、1人の係員が微笑みながら近づいてきました。

 私たちは彼に、「到着ビザはどこで手続きをするのか」と尋ねました。彼は即座に私たちのパスポートを確認すると、入国管理事務所について来るようにと言いました。5人以上の職員がいて、それぞれ尋問されました。宇野田さんだけは別の部屋に連れて行かれ、開口一番「ノーニュークス・アジアフォーラムの活動家だろう」と言われました。その職員が「反原発運動のために来たんだろう」と聞くのではなく、具体的な団体名を言ったことに彼女は驚きました。

 「クダンクラムに反対する国際請願に署名したな?あなたの名前ものっていたぞ。つまりあなたは反原発だということだ」とも言われました。私たち3人ともが、今年5月にとりくまれた国際署名に賛同していました。すると次に別の職員が「クダンクラムに行って何をするのか?」と詰問してきました。誰もクダンクラムという地名を一言も言っていないのに、彼らがクダンクラムの話を持ち出したので、さらに驚きました。その男性職員は、私たちが乗ることになっていた国内線のフライトスケジュール表のプリントアウトを私たちに向かって突き出しました。私たちが、まだ見たこともない書類でした。なぜこの人たちがすでにそれを持っているのか?

 「あなたたちが国内線を予約したことはもうわかっている。だから、行くんだろう?誰があなたたちを招待した?今ここの到着ゲートで待っているのは誰だ?トゥティコリン空港に誰が迎えに来る?彼らの名前を言いなさい。電話番号も言いなさい。抗議行動に参加するんだろう!」。彼らは大声で矢継ぎ早に質問してきました。そしてさらに驚いたことに、彼らはすでに私たちのインドの友人たちの名前を知っていたのです。私たちは恐怖を感じました。友人たちに何かが起きるのではないかと感じたのです。私たちは答えませんでした。

 原発に賛成する科学者や、原子力産業から金をもらった人々が次々とインドを訪れ、原発を擁護する発言を行っていることはよく知られています。こうした人々のインド訪問は、インド政府によって許可されて行われているというよりは、奨励されて行われています。インドが民主主義を標榜するなら、反対の見解を述べることも奨励されてしかるべきなのではないでしょうか。

 職員たちは、分厚い書類に目を通しながら、私たち自身のことも問い詰め始めました。「渡田さんの職業は?彼は上関原発の反対運動に関わっているだろう?」。その書類を間近に見ると、3人がそれぞれ日本でとりくんでいる活動について多くのことが書かれていました。彼らはすでに詳細に調査を行っていたのです。

 彼らは、いろいろな質問をして情報を得ようとしました。最初のうち、彼らはにこやかに話していました。「クダンクラムの運動について知っていることを話せば入国させてやる」と言った職員もいました。しかし、徐々に彼らはいら立ってきました。私たちをできるだけ早く強制退去させたかったのです。1時間半ほど前にクアラルンプールから私たちをチェンナイ空港まで乗せてきたエアアジアの飛行機が、チェンナイで乗客を乗せて再びクアラルンプールに向かうところでした。彼らは、私たちをその飛行機に乗せたかったのです。私たちの取調べが始まってから、すでに1時間半もたっていました。1人の男性職員が、「5分以内に全部答えなさい。そうでなければ強制退去だ」と言い放ちました。私たちは、答えられる範囲で答えましたが、その内容は彼らを満足させるようなものではなかったようでした。

 私たちは出国エリアに連れて行かれました。その途中、私たちはトイレに行かせてほしいと頼みましたが、拒否されました。トイレの中からインドの仲間に電話で連絡をとられるのがいやだったのかもしれないし、私たちが彼らの目の前で電話をとり出して誰かインドの活動家に連絡をとるのを待っていたのかもしれません。彼らはとにかく、私たちの友人たちの名前と連絡先を執拗に聞いていたからです。

 最後のゲートで、「なぜ強制退去になるのか」と職員たちに聞いてみました。すると若い男性職員が「インド政府がそのように決めたからだ。従わないなら牢屋に入れ」と、にこりともせずに言いました。私たちが乗り込むと、飛行機はすぐに飛び立ちました。

 退去に際して、入国拒否の理由が書かれた書類を渡されました。難解な文章ですが、「クアラルンプールからチェンナイ空港に到着したこの外国人はインドへの入国を拒否された。1948年施行の外国人令の第6節で規定されている行動に外れた行いをとる可能性があるので、できるだけ早い航空便で国外に追放する」というようなことが書かれていました。

 私たちは、原発の危険性についてさらに学ぶために、平和的にインドを訪問しました。日本人として、軍事利用であれ、いわゆる平和利用であれ、核の持つ問題について知っておかなければなりません。インドでは、原子力産業による国際会議が開催され、原発関連企業の人々が国賓のようにしてやってきて、自分たちの商品を見せびらかしています。私たちには、何も売るものはありません。私たちにあるのは、原発がもたらし得る危険と痛みについてのたくさんの証言だけです。

 インド政府が私たちを入国拒否とし、インドの人々が私たちのために温めていてくれたもてなしの気持ちを無にしたことは、本当に残念なことです。

 民主主義の社会においては、とりわけ原発のように複雑な問題を含んだ技術については、抑圧されない雰囲気の中で、自由で公平な議論を尽くす必要があります。インドの原発推進側に、自由で公平な議論への準備ができていないことは明らかです。

 日本では、福島事故後に国会で組織された事故調査委員会が、今回の事故に関して、秘密主義や、国民の疑問を政府が無視していたこと、原発を規制する者と原発を運転する者が癒着していたことなど日本特有の事情によってもたらされた面があると指摘しました。

 原発に関して自分たちとは違う意見を持っているというだけでインド政府が私たちを入国拒否したことは、民主的な理想や言論の自由に関して脆弱であることの表れではないでしょうか。私たちは、このように秘密主義に貫かれた抑圧的な文脈の中で、原発のような危険な技術を導入することの結果を考えると、非常に恐ろしく感じます。

 今回、私たちはクダンクラムの人々や、クダンクラムの人々に心を寄せる人々に会うことができませんでした。彼らに会えなかったことは、本当に残念でした。しかし入国を拒否されたことによって、私たちの懸念はさらに強まり、連帯の思いはさらに強まりました。原発推進側は、世界規模で緊密に連携しています。そして、核の被害にも国境はありません。ならば私たちも、国や言語の違いを超えて、何千、何万の仲間たちが手をつなぎ合って、核のない未来のために共にたたかいましょう。次の機会にインドでお会いできることを願っています。

渡田正弘(上関原発止めよう!広島ネットワーク)
中井信介(ビデオジャーナリスト)
宇野田陽子(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)

■ 闘いは今も続いている!

 運動の中心であるイディンタカライ村の若者の29日のメッセージから抜粋します。

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 私はずっとイディンタカライ村にいます。他に行くところもありません。村外の人たちは、どんな情報を得ているのでしょうか。互いに矛盾しあう情報もあると思います。それは、誰から情報を得ているか、どんな新聞を読んでいるかなどによって変わるのでしょう。

 抗議行動は続いています。10月8日にはイディンタカライで、10月29日にはチェンナイで、大規模な海上封鎖が予定されています。いまや、タミルナドゥ州とケララ州の全域から支援の声が届いています。さらに重要なのは、カニャクマリのような場所からも協力が得られるようになったことです。これで、私たちの運動はさらに強まります。カニャクマリはクダンクラム原発からみて西で、イディンタカライは東側ですから。10月8日の行動が、世界からさらに注目されることを祈っています。

 最高裁判所は政府に対して、安全面で不備があるとわかれば原発の閉鎖を命令すると表明し、国民の安全のためであれば費用は問題ではないと述べました。最高裁は環境省にも通知を出しています。重要な法律家の人たちも、私たちの勝利のために力を貸してくれるよう願っています。しかし政府は、何の根拠もないのに「とても安全です」の議論をくり返しています。

 核燃料の装荷についても、クダンクラム原発は思った通りむちゃくちゃな態度をとっています。嘘の情報を流して混乱させています。メディアでは9月19日に燃料装荷が始まったと報じているのに、原子力規制委員会は「発電が始まるのは来年から」と述べました。いったい、いつなのか?こうして、人々の心に疑念を抱かせ、不安定な状況に陥れようとしています。私たちは、このやり方で振りまわされ、馬鹿にされてきたのです。推進側は25年にわたって嘘のニュースを流し続けてきました。原発周辺に住む3万人だけではなく、タミルナドゥ州、ケララ州の人々すべてが馬鹿にされてきたのです。

 これに対して、私たちの闘いは400日以上続いています。主な行動をあげてみます。

・100人が9日間のハンスト
・500人が12日間のハンスト
・リーダーらが13日間のハンスト
・リレーハンスト400日間
・黒い旗を揚げて200隻のボートが海上封鎖
・イディンタカライからラダプラムまで2万5千人が12kmの行進
・イディンタカライからプルマナル、チェティクラムまで3万人が10kmの行進
・子どもたちが7kmの行進
・剃髪をして抗議
・5万人が参加してのカニャクマリでの反原発集会
・200隻の漁船と1000隻のボートによるトゥティコリンでの海上封鎖
・年長者たちによる3日間のクダンクラム原発正門前封鎖行動
・多数のデモ行進や祈りの会
・浜辺での原発包囲行動
・多くの村から数千人が集まり、海の中での「人間の鎖」
・数千人の人々が原発付近の浜辺に集まり、自分の体を首まで砂に埋める抗議行動
・墓地での祈りの会
・多くの逮捕者、拘束者、「国家に対して戦争を仕掛けた罪」など、ギネス記録級の罪状の数
・2人の死者。これは警察の攻撃によるもの

 ここに書ききれなかった行動もたくさんあります。血なまぐさいと思いますか?いいえ、私たちはウダヤクマールの助言のもと、ガンジー主義で、非暴力で行動しています。

 状況は厳しいですが、私たちは次の段階に進みます。それは、これまでよりも激しい行動となるでしょう。私たちは虎のように吠え、勇敢な民衆がさらに結集して、キツネどもを巣穴に追い込んでやります。

■ クダンクラムは神からの贈り物、電気と引き換えにはできない!

 インド原子力発電公社は最近、法廷での供述書でアブドゥル・カラム博士のことばに言及した。「クダンクラム原発は『神』のプロジェクトだ。2030年には5万メガワットに達すると考えられるインドの電力需要を満たすだけの発電が可能になる。これは、必要なプロジェクトだ」ということばだ。

 ここイディンタカライ村、クダンクラム原発に最も近い村において、地元の女性たちがクダンクラムについての考えを分かち合った。ここで語られたことは一切報道されることはなかったが、平和と調和に関する長年にわたる思索に彩られたものとして、歴史の深層に残ることになるだろう。



 低空飛行する警察の偵察機の接近によって引き起こされた事故で一人の男性が亡くなった。シェラマさんは、その男性の姉である。「この土地と海は私たちのもの?それらを私たちに与えたのは政府なの?ここの砂は神聖なんです。神様からの贈り物です。私たちはもう何代もここに住んでいるんです。ここを絶対に離れません」。シェラマさんは静かな声で話した。

 チンナ・タンカムさんは、高齢ながら今年3月には1週間以上にわたるハンストに参加した。彼女も、夜になってから重い口を開いた。「私たちは海の子どもです。海で遊びながら大きくなったんです。母なる海が、私たちの暮らしに必要なものをすべて与えてくれるんです。この海を離れては絶対に生きられません」



 この2人の女性たちのことばは、その他の多くの女性たちの言葉でもある。数メガワットの電気と直結したカラム博士のことばなどとはかけ離れた、深い意味を持つことばだ。

 10歳のシャミリ、この子の発言について今書くことは、すこし不適当かもしれないが。彼女の母親は、9月10日に行方不明となった。そして、トゥリチの留置場で拘束されているのを発見された。そのシャミリは、「放射能で汚染された魚がここから輸出されて、どこか知らない他の場所の子どもたちが危ない目にあうかもしれない」と苦悩の思いを話してくれた。

 多くの女性たちは、次の世代のこと、そして海や空気への影響を深く心配している。この地域の生態系や環境に関して包括的な調査を全く行わないままに、クダンクラム原発にゴーサインが出される状況の中で、人々はこのように大きな懸念を抱いている。

 複雑を極める海洋の生態系や自然の営みが破壊される行為が、どうして「神のプロジェクトだから」「安全だから大丈夫です」などという空疎な一言で免罪されるのだろうか。

 クダンクラムという地域は、確かに神からの贈り物である。しかし、それは原発のことではない。この海と土地が、何世代にもわたって人々の生活と文化を育んできたのだ。

 原発プロジェクトを可能にしてきたあらゆる規範や命令を再チェックし、再検討する包括的なプロセスが今こそ必要なのだ。人間が神をもてあそび、将来の世代の命を操作するような原発については、そのプロジェクトを中止するのに遅すぎるということはない。クダンクラムを指針としよう。

 もし私たちがクダンクラムを「神のプロジェクト」から「神からの贈り物」へと変えることができれば、全世界は数メガワットの電力の代わりに、真の意味での進歩を遂げるだろう。(アニタ・シャルマの記事から抜粋)

■ リシタからの手紙

 私はリシタ、14歳です。タミルナドゥ州南部のベンガル湾に面した村、すっかり有名になったイディンタカライ村に住んでいます。この小さな漁村がこんなに有名になったのは、クダンクラム原発に一番近い村だからです。私たちが原発の黄色いドームからたった500メートルのところに住んでいるのを見たら、たぶん誰でも驚くでしょう。



 私は、12歳のポスティンと、おとといから旅行をしています。数えきれない警察官が私たちを犯罪者であるかのように見張っていますが、私たちは大切な使命のためになんとかチェンナイに来ました。

 私は8月にもチェンナイに来たことがありました。その時は、25人の友だちと、シャヴィエランマおばさん、メルリットおばさん、マラルおばさんたちも一緒でした。今、シャヴィエランマおばさんはトゥリチ刑務所にいます。メルリットおばさんは警察に目をつけられているので村を出られません。マラルおばさんは強くて、落ち着いています。

 8月の最後の週にチェンナイに来たとき、私たちは州首相に会うはずでした。そして、インドと原子力協定を結んでいる国々の領事たちに手紙を渡そうとしました。会うことはできなかったけれど、チェンナイの仲間たちが記者会見をしてくれたので、そこで話すことができました。自信をみなぎらせていたそのときの仲間たちに会いたいです。

 私たちは10月17日、「子どもの権利保護のための全国委員会(NCPCR)」がチェンナイで開いた公聴会で私たちの状況を訴えました。著名な委員の人たちが、出席した様々なグループの子どもたちの話を忍耐強く聞いてくれているのがわかりました。私は、子どもの権利とは何なのかと考えていました。他の人たちの話を聞いているうちに、そして私たちが何を話すべきか助言を受けるうちに、私はそれが何なのかわかりました。

 イディンタカライ村の子どもたちがこの1年間以上にわたって何を否定されてきたのかを考えました。もしそれが、子どもが生まれたところで自由に遊んだり散歩したりする権利なのであれば、私たちはそれを奪われてきました。9月10日に警察の大群が平和的に抵抗している人たちを攻撃してから、私たちは外で自由に遊んだり走ったりすることを恐れてきました。これまでなら、学校の帰り道に浜辺へ寄って風や波を感じたものでした。弟が寄り道ばかりしてなかなか学校から帰ってこないので、お母さんは弟を叱ったりしたものでした。

 しかしこの1カ月以上、私たちはほとんど学校に行っていません。学校は再開されたけれど、こわいのでできるだけ急いで帰ります。

 自由に教育を受ける権利、学校に通う権利も、9月10日以来、私たちは奪われてきました。3月に警察の最初の弾圧があったときに、子どもたちは学校に行くために安全な道を選んだためたいへんな距離を歩かなければならず、試験を受けられなかった子もいました。今回も、子どもたちは2週間以上学校に通えませんでした。

 恐怖を感じないで、両親や愛する人たちと幸せに暮らすことも子どもたちの権利だとしたら、私たちはこの1ヶ月間、それも奪われてきました。

 10歳のシャミリと7歳のシャヒールに対して、「お母さんのスンダリはトゥリチ刑務所で元気にしているよ」などとどうやって説明するのでしょうか。

 多くのお年寄りたちが牢屋に入れられるとはどういうことなのかと心配していました。まともに扱われるのか、食べ物は与えられるのか、などと。

 4人の少年たちが拘束され、身体的にも精神的にも虐待を受けたことが知られています。何が起きたのか、私たちは彼らにどうしても聞けません。でも、彼らが多くを語ろうとしないことが、何よりの証拠です。

 親が警察に連れ去られてしまった幼い子どもたちの恐怖や不安は想像を超えます。あの日、セルヴィさんやシャヴィエランマさんたちがどのように警察によって乱暴に連れ去られていったか、私たちは自分の目で目撃しました。彼らが帰ってくるまで、「きっと大丈夫だ」なんてどうして言えるでしょうか。

 命をかけた闘いであろうが、日常の生活であろうが、子どもにとって親と一緒にいることが子どもの権利であるならば、それも私たちは奪われています。

 母や兄弟が痛めつけられるのを見るのは容易なことではありません。息子が警察に殴られているのを見て、見過ごす母親がいるでしょうか? 警察が浴びせる催涙ガスの中で母親が倒れていたら、娘がどうして母に駆け寄らないことがあるでしょうか。あの日、母親のイニタが警察の暴力によって負傷したのを見たシジの恐怖に満ちた表情を私は覚えています。息子が攻撃されるのを見て駆け寄った母のリタンマは、警官によって警棒で顔を殴られました。

 娘が警官隊と海に挟まれたのを見て、助けに行こうとした足の不自由なラヴィニアの心の痛みを感じます。警察が彼女に浴びせたひどい言葉の暴力。まだ若い少女の心に、どんな傷が残ったでしょうか。

 ことば、身体的、精神的など、いかなる虐待の犠牲にもならない権利についても、私たちは奪われています。

 6歳のロビンが鼻を負傷していた様子を、私たちは決して忘れません。私たちがあの日砂浜でどんなふうに袋叩きにされたか、私たちの記憶から消えることはありません。あの日シェルターである教会へと逃げながら感じた、無力感、恐怖、絶望は、いまも残っています。教会で両親を見つけるまで、生きた心地もしませんでした。

 家族に再会できた人が多かったですが、多くの男女が逮捕、拘留されているので、家族に会えていない人たちもいます。サハヤムさんが亡くなったこと、そして彼の子どもたちの泣き叫ぶ声、すべてが毎晩寝るときに記憶によみがえってきます。

 
 NCPCRの人たちが、私たちの話を聞き、「子どもが政治的な理由のために警察の弾圧の犠牲になることがあってはならない」と言ってくれたので安心しました。彼らが私たちの村に来て調査をしてくれるのを歓迎します。

 政府と関係機関は、私たちと対話し、私たちの安全、生活、海、私たちの未来の安全を守ってください。それはそんなに大それた望みなのでしょうか?専門家を派遣して、私たちの心の健康のチェックをするなどという計画はやめてください。そんなことはいらないから、ただ私たちに、クダンクラム原発は再生可能エネルギーの発電所に変えることにしたと言ってください。そして、質素で真っすぐで労働にいそしむこれまで通りの生活を送り続けることができると言ってください。そうすれば私たちの恐怖は消え、私たちは微笑み、笑い、遊び、けんかし、泣き、いたずらをし、勉強し、眠ります。普通の子どものように。

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ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.118もくじ

                        (12年10月20日発行)B5版28ページ

● クダンクラム原発反対運動への弾圧に対する抗議声明
  
● インド・クダンクラム原発反対運動(7)   
                 
● 連帯声明「歴史的な闘いの中にあるクダンクラムのみなさんへ」

● Koodankulam Solidarity Protest in Osaka, Japan  
             
● モンゴル国のウラン鉱山開発・原発建設・
         使用済み核燃料処分場問題、経緯 (今岡良子)

● 田中三彦氏がソウルで講演(高野聡)         

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