放射能の被害者にも加害者にもなりたくないA     

             佐藤大介(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)

 2006年秋以降の日本の原発輸出の動きとアジアの反原発運動について述べたい。

1.原発輸出が日本の「国策」になった

 2009年12月、UAEの原発は、李明博大統領のトップセールスで韓国が200億ドルで受注、4基の建設・運営を請け負うことになった。10年2月、ベトナムの南部ニントゥアンの2か所に2基ずつ計4基建設する計画のうち、2基をロシアが受注。軍事や資源協力を武器にしたプーチン首相によるトップセールスが決め手となった。

 韓国とロシアに敗れた日本の原子力産業は民主党に圧力をかけた。民主党政権は、10年6月に、今後10年間の経済運営の指針となる新成長戦略を決定し、「原発輸出」を掲げた。政府は6月末に、核不拡散条約(NPT)に入らないまま核武装したインドとの原子力協力協定締結に向けて交渉を開始した。これはNPTに基づく核不拡散体制を根底から覆す。インドは、東南アジア数カ国分以上の市場である。

 政府と産業が一体となって、アジア各国へ売り込みをかけはじめたのである。原発輸出がとうとう「国策」になってしまった。原発輸出は最悪の公害輸出であり、原発拡散は核拡散につながるというのに。

 同じ6月、福井県でAPEC(アジア太平洋経済協力)エネルギー大臣会合が開催され、日本が強く求めて、APECとして原発推進を初めて明記する「福井宣言」を採択した。

 これに対し、11カ国25団体で「ノーニュークス・アジアフォーラム共同声明」を発表した。内容は、美浜原発や「もんじゅ」などで重大事故を何度も起こしてきた福井県で原発推進をアピールするのは「最高の皮肉」とし、「原発は気候変動の効果的な解決策ではない。むしろ、原発の拡大は、再生可能エネルギーの拡大やエネルギー効率の向上、省エネなどによっておこなわれるべき地球温暖化問題の解決を妨げてしまう」。

 9月には、日本とヨルダンが原子力協定に署名した。三菱がフランスのアレバと組んで、2019年までに建設予定の原発の受注を目指しているという。

 10月、「国際原子力開発」社が設立された。東京電力、関西電力、中部電力などと、日立、東芝、三菱重工業が共同出資。原発を新たに導入する国を対象に原発プロジェクトに関して包括的に提案する新会社である。そして、日本の菅直人首相とベトナムのグエン・タン・ズン首相が、10月31日ハノイ会談で、日本が原発2基の建設を受注することに事実上合意した。日本は借款790億円を供与する。

 産経新聞(10月31日付)は次のように書いている。「東南アジア地域では、ベトナム以外にもタイやインドネシアが原発建設計画を進め、マレーシアやフィリピンも検討を急いでいる。いずれも経済成長に伴う電力不足の解消が目的だが、同時に原発保有で国の発展を印象づける狙いもある。日本が原発受注を決めたことで、今後は日米韓に中国、ロシアが加わった、アジアでの受注合戦が加速しそうだ」

 また、経済産業省が昨年秋から米エネルギー省と共同で、使用済み核燃料処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に進めていることが明らかになった。同時に原子炉も輸出するという。貧しい地域の人々の顔を札びらで叩く常套手段の国際適用である。

 日本政府は、政府系の国際協力銀行(JBC)の融資や、政府開発援助(ODA)の活用を打ち出している。これらの原資は、財政投融資(公的年金など)や税金である。さらに貿易保険が適用されるかもしれない。私たち庶民の金を原発輸出に使い、原子力産業にもうけさせようというのだ。輸入国には、事故の危険と、核廃棄物と、借金が残る。

 現在、アジア各地に原発を売るために、日立 ― GE(米)、東芝 ― WH(米)、三菱 ― Areva(仏)が連携している。

 輸出国の民衆と輸入国の民衆が、「挟み撃ち」にして、原発輸出をくい止めたい。

2.アジア各国の反原発運動

● インドネシア

 90年代、スハルト軍事独裁が初のムリア原発(ジャワ島中部、700万kW)を計画したが、日本とインドネシアをつなぐ「ストップ原発輸出キャンペーン」や、96年の第4回ノーニュークス・アジアフォーラム(インドネシア)を含め、軍事独裁の厳しい状況のなかで反原発運動が続けられ、反核全国ネットワークも誕生し、97年に原発建設は延期となった。そして、98年、スハルト軍事独裁は崩壊し、原発計画も立ち消えとなった。

 07年にムリア原発建設計画が復活したが、6月、広範な反対運動がまき起こった。そして7月、予定地ジュパラ県から聖職者ヌルディン・アミンさんが、輸出する可能性の強い日本と韓国をまわり、日本政府・企業への申し入れ、東京・大阪で集会、浜岡原発現地で住民と交流、韓国NGOと交流、韓国電力への抗議行動などを行った。

 8月31日夜、ジュパラ県バロン村から約6000人の住民たちが35キロを歩くたいまつデモを行って翌日県庁に到着、抗議行動を展開した。さらに同日、中部ジャワ一円からジュパラ県に集結したナフダトゥール・ウラマの聖職者たち100人が、ムリア原発を「ハラム」(イスラムで禁じられるもの)であると結論づけた。原発建設計画は粉砕された。しかし原発推進勢力はいまだあきらめていない。

● 台湾

 台湾では、民主化運動と結合した長期の大規模な反対運動にもかかわらず、第四原発が着工されてしまい、03年に日立の1号機原子炉が、04年に東芝の2号機原子炉が上陸してしまった。日本初の本格的原発輸出だ。

 日本からは、「地震と原発の危険」を伝え続けている。

 07年7月の新潟中越沖地震が柏崎刈羽原発を襲った直後、チェ・スーシンさんが柏崎刈羽を訪れてテレビカメラをまわし、帰国して報道した。彼女は緑色公民行動連盟の活動家で、ドキュメンタリー映画「こんにちは貢寮」の監督でもある。1980年代から第四原発に反対し続けてきた現地貢寮郷の住民たちの、たたかいと、その顔と、その涙を映した(http://www.selectourfuture.org/gongliao/)。

 08年、柏崎刈羽で行なった第12回フォーラムにも台湾から多数が参加。10年1月、刈羽村の武本和幸さんが訪台し原発震災の危険を訴え、10年9月には塩坂邦雄さんが地質調査を行い、第四原発で新断層を発見し、直後の第13回フォーラム(台湾)で発表、参加者たちは耐震基準を引き上げるようにと呼びかけた。

 建設工事は大幅に遅れており、10年3月と5月に中央制御室で火災事故が発生した。さらに施工において700か所もの不正な設計変更が行われていたことが、IAEAによる査察で今年発見されたという。来年、試運転が予定されているが、台湾の人々はそれを許さないだろう。

● フィリピン

 マルコス独裁時代に建設されたバタアン原発は、1986年、ピープルズパワーで運転前に凍結された。08年に、このバタアン原発を復活させようという動きが起こったが、09年、現地を中心とした広範な人々が立ち上がり、さまざまな反対運動を展開し、原発復活をはねかえした。6月20日には、バタアン原発反対キャラバン行進に3000人が参加した。これは、独裁政権下の1985年6月のゼネストを記念して行われたものだ。

 政府は、原発建設に関して13ヵ所の新しい立地点の可能性を調査していると表明した。これに対して、反原発運動団体が全国各地に結成された。

 10年2月、バタアン原発の補修再生の事業化調査(FS)を行った韓国電力(KEPCO)が、「再生は可能だが、補修費用が10億米ドル必要」と報告。7月アキノ大統領が、バタアン原発を再生しないことを最終決定したが、原発の利用そのものは排除しない方針。アキノ大統領は「原発技術は韓国から導入する可能性がある」と述べている。

● インド

 07年3月、クダンクラム原発建設に対して、7000人の人々が抗議のハンガーストライキを行なった。09年6月には、インド全土から100を超える運動団体、市民らがインド南部のタミル・ナドゥ州カニャクマリに結集し、クダンクラム原発など全国の原発建設に反対する「カニャクマリ宣言を発表し、「反核運動全国連合」と名づけられたネットワークを創設した。

 インド政府は、ムンバイに近い中西部ジャイタプールで計990万kWの原発建設を計画(フランスのアレヴァが165万kWの原発を供給予定)。09年から今年にかけて、ジャイタプールでは広範な住民の反対闘争が行われており、数千人規模の抗議行動、集会、デモが何度もくりかえされている。しかし弾圧が厳しく、数百人が逮捕されたり、今年4月には死者も出てしまった。

● タイ

 タイ政府は昨年、「11年上半期に原発建設候補地を3か所に絞り込む」と発表していた。そのため11年夏の第14回フォーラムは、タイの「候補地」住民たちとともに開催される予定であった。

 福島原発事故を受けて、3月、市民運動や「候補地」住民運動が結集し、「原発に反対する民衆ネットワーク」を結成した。候補地として名前があがっているのは、トラート、チュンポーン、ナコン・サワン、スラーターニー、ウボン・ラチャタニー、コンケーン、カラシン、プラチュアップキリカーンの8カ所である。同ネットワークは、3月15日に政府に対して原発建設計画を即時中止するよう申し入れた。「福島第一原発の大事故は、原発が危険であることの明らかな証拠である」と主張した。

 タイ政府は原発建設計画の凍結を発表した。タイの仲間たちは、日本で第14回フォーラムを開催してほしいと提案。アジア各国の仲間たちも「もっとフクシマを知りたい」と。

3.日本で第14回ノーニュークス・アジアフォーラム

 世界で建設中の原発62基のうち43基が中国・インドなどのアジアだ。計画中の原発も同様にアジアが多い。アジア各国では原発建設計画がずっとあるが、粘り強い反対運動がくい止めてきたところも多い。アジア各国で続けられている反原発運動は、民主化を求める運動でもある。

 チェルノブイリ以降、ヨーロッパで広範な反原発運動が巻き起こり脱原発に向かわせたのと、同じことがアジアで起こりつつある。この春、インド・フィリピン・タイ・韓国などでもデモや集会が頻繁に行われている。台湾では4月30日に15000人のデモがあり、福島から2人の女性が参加し「フクシマをくり返さないで」と訴えた。

 1993年に日本で第1回ノーニュークス・アジアフォーラムを開催して以来、各国持ち回りで開催されてきたフォーラムには8〜10ヶ国から集まり、情報の交換、経験の交流、共同の行動を積み重ね、対等で緊密なネットワークをつくってきた。アジア各国の原発現地・原発予定地の人々をはじめ、ぼう大な人々が参加し、お互いに学びあい、お互いに励ましあってきた。「アジアへ反原発運動が輸出されている」と言う推進派もいる。

 第14回ノーニュークス・アジアフォーラムを日本で8月1〜6日に開催します。フクシマをアジアに伝えなければなりません。参加、協力を、どうかよろしくお願いします。

「アジェンダ」33号より

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