NNAF2011

「福島原発事故の経験」を聞       
                             2011年7月30日 東京麻布台セミナーハウス

◆ 福島原発事故の概要:伴英幸・・・・割愛

◆ 放射能汚染と避難:中手聖一
(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク・代表)

 福島県に住んでいる大人の一人として、後悔と懺悔の思いでここに立っている。福島人だけではなく、日本、世界の人たちに対して、取り返しのつかない事故があったことを悔んでいる。事故はまだ収束していない。10億ベクレル/時、放出されているとも言われているが、これも低く見積もられているという意見もある。これから話す汚染と避難は現在のことだ。

 自分のことをまず話す。23年前、原発の危険に気づき、それから数年間、原発をとめるための活動をしたが、その後は本業に専念していた。昨年から3号機でプルサーマル運転計画があったので、廃炉を求める運動の輪に加わっていかなくては、と思っていた矢先の事故だった。事故後、子どもたちの命をどう守っていくか、一人でも犠牲者を減らす活動をしている。私は福島市に住んでいる。原発から北西60kmのところ。

 福島市でも地震ですごい影響があった。一時は情報源がラジオしかないときもあった。そんな中でかろうじてはいってくる情報、3月12日には原発から20kmが強制避難区域になった。しかし、すぐに全員が避難できたわけではない。結果的には何日間もかかった。30km圏内は、避難準備区域。強制ではないが、いつでも避難できる区域、屋内退避区域になった。その後、3号機の爆発も含め、次々と原子炉が爆発した。4回と言われているが、わからない。3号機の爆発も臨界ではなかったかという話もある。大量の放射能が出た。大部分の人たちは、報道が「直ちに健康に影響はない」と言っていたので、20km圏内を除いては、ほとんど避難しなかった。

 その後、カウンターを手に入れることができた。子どもが通っていた小学校を測定した。校庭で地表面をはかると、10マイクロシーベルト以上のところがたくさんあった。最も高いところでは、108.8マイクロシーベルト/時だった。あわせて7校の調査をして福島県にレポートを提出した。3月は春休みだったが、4月の始業式を延期して調査するように県の教育委員会に要請したが、結局、始業式は予定通り。

 しかし、調査は行われた。福島県内の小・中学校と幼稚園等、1600か所、校庭や園庭の放射線量の測定を、4月に3日間行なった。それが、事故後の広域調査の第一段。中身や方法は不十分だったが、県内全域が対象とされ県のHPに結果が公開された。

 0.6マイクロシーベルト/時は、放射線管理区域として、被曝労働者が働いていて、ここから先は人の出入り制限をし、出入りについては厳重な管理が必要な場所。3か月で、1.3ミリシーベルト、年で約5ミリシーベルトになる。学校の75.9%が、この放射線管理区域以上だった。福島県の子どもたちの4分の3が、原発内で働いているのと同じなのだ。空間線量2.3マイクロシーベルト/時だと、1年間で20ミリシーベルトを超えてしまう。これが、全体の2割あった。

 したがって、20km避難区域だけではすまないことがはっきりしてきた。飯館村をはじめ、川俣町、浪江町を含めて、その後、「計画的避難区域」に指定された。避難区域は汚染が予想され危険がせまっていることから事前に設定されたが、計画的避難区域は汚染がわかって事後的に設定されたもの。

 私の妹は3月15日に飯館村から県外へ避難した。家族10人。しかし、当時は計画的避難区域ではなかったため、飯館村には経済活動があった。妹の家族は土木業を営んでいたが、取引先から、もどってきてくれと言われた。やむをえず3月下旬には、妹夫婦のみが、飯館村ではなく福島市で事業を再開。それから、学校の再開もあったので、悩んだが、クラスメートから子どもを一人だけ離せないということで、子どもたちも戻ってきた。子どもも福島市から通うことになった。しかし、ついに計画的避難区域となって、クラスメートたちもいまは福島市にきている。

 飯館村の人たちは、いま福島市と川俣町に住んでいる。確かに飯館村は汚染の激しいところだが、避難先が、福島市・川俣町という、安全だと言えないところになっている。南相馬市の沿岸の旧小高町(おだかまち)の人たちも福島市にきている。しかし、旧小高町は汚染が低い。つまり、汚染が低いところから高いところに避難している。倍以上の被曝を避難によってさせられている。

 チェルノブイリの避難政策はどうだったかというと、ベラルーシでは、5ミリシーベルト/年を強制移住としていた。1〜5ミリ/年の区域は、移住の権利ゾーン(本人の希望で移住できるエリア)。これらの設定は、事故5年後だったが、最終的にこのような政策をとった。強制移住のゾーンは、いまは放置されている。ゾーンとして捨てられている。その人たちは、別のところに新たな居住地を作って移住した。避難ゾーンの除染コストが膨大なので、新たなところに住むほうがコスト安ですむということがあったのではないかと思う。

 小さな島国日本はどうなるか。この地図も完成されたものではないが、北海道でも徐々に観測される放射線量があがってきている。地区によっては年間1ミリシーベルト以上になるところが出てきていると報告されている。また、チェルノブイリと違うのは、台風があること。これにより、300〜400kmの範囲のものが撹拌される。その影響は、確定的なことはわからないが…。小さな島国で大規模原発事故が起きたとき、避難しようにも避難しようがないということが、日本人の認識として高まってくるのではないか。

 飯館村の場合は、20ミリシーベルト/年だが、チェルノブイリの4倍だ。しかし、これを広げられないのが現在の日本の政策だ。

 強制的避難の人たちは、最初は体育館で避難生活。その後、二次避難として旅館やホテルなどの宿泊施設。いまは、公営住宅・借り上げ住宅に移りつつある。計画的避難区域は、最初から公営住宅など。みんなが同じところにすむことができない。妹家族はばらばらになった。10人が一緒にすめるところはなかなかない。知り合いも家族が3つにばらばらに。汚染地域を避けて県外に避難した人も少なからずいる。もともとあった地域の共同体が崩壊してしまう。したがって、避難が難しい。

 本来避難すべき人、避難の必要を感じている人が避難できないのが、最大の問題だ。自主避難・自救避難の人たち。これは、5万人くらいではないかと推定している。私の妻と子どもも岡山に避難している。夏休みで、一時避難している人は約8万人。合計、10万人以上が自主避難せざるをえない。

 (地図の)黄色と赤に住んでいる人は、150万人だろう。18歳以下は、30万人だろう。黄色と赤の地域はすべて避難すべきだが、1割しか避難できていない。本来避難すべきなのにできていない人が9割ということだ。避難は被曝をさけるため。健康被害を少なくするため。しかしそれができない状況だ。将来の被害者を大量に生み出しながら放置されている。

 ベラルーシを研究したいと思っているのは、なぜ5年後だったかということ。無視しようのない、隠しようのない健康被害が出ているのではないか。すでに、福島の子どもたちにも、放射能の影響と思われるような健康異常が報告されている。5月中旬から数週間、たくさんの子どもたちが鼻血を出すということがあった。科学的に原因が証明されているわけではないが、同じ時期にたくさんの子どもたちが鼻血を出した。私の子ども、小学校4年と1年の子が5月下旬に鼻血を出した。上の子はよく鼻血を出すので心配していなかったが、その翌日に二男が大量の鼻血を出した。二男は鼻血を出したことなかったので、妻があわてて電話してきた。このような例がたくさんある。

 私が想像していることをこれから話す。今回の健康被害は、予想以上に早く出てくるのではないか。警戒しなくてはならない。有名なところでは、ガンや白血病がある。それ以外のたくさんの健康被害もあるらしい。初期段階の被害は、調べているがわからない。全くの想像だが、私の心構えを話す。私は、1〜2年後から深刻な健康被害が出るかもしれないと覚悟している。数年後には、もっと広範囲なエリアが、強制避難エリアとされなければいけないような状況になるのではないか。そういうことが起こる前に、避難を実現したい。子どもが病に倒れてから避難するのでは遅い。その前に、必要な政策をとらなくてはいけない。

 「選択的避難区域」を早く設けてほしいと主張している。これは、チェルノブイリで避難の権利ゾーンと言われたもの。1ミリシーベルト/年以上を、選択的避難区域として、強制ではなく、希望に応じて避難できるようにという政策。これで、全員の被害が防げるわけではないが、将来の被害を避けるために、避難したいと思った人が避難できる政策が必要。

 低線量被曝というのがあるが、この影響については専門家でも意見が分かれる。意見が分かれることについては、複数の選択肢がなくてはならない。サテライト型避難を主張している。福島市には27万人いる。27万人が新たにまちを作るのは日本ではとうていできない。そういう意味で、市民が分散しながらも地域としてのアイデンティティー・コミュニティーを作って疎開生活をおくれるような避難の仕方を提案している。日本の場合、見捨てて使わない土地はたくさんないから、徹底した除染を行なう必要がある。除染したら、順次戻ってくる。そして、地域の共同体をまた作る。戻ることが前提の疎開。サテライト疎開のアイディアとして、日本のあちこちで、福島の学校をたてる。本校は福島に戻したまま、サテライト校を作る。ふるさとがきれいになるまで、そこに通う。家族が一緒に行ける場合には、借り上げ住宅などの支援策も必要。サテライト型疎開が日本にはこれから必要だ。

<質疑・応答>

Q(韓国):福島の人たちを支援する医者の会があると聞いたが、その人たちは何をしているのか?

中手:小児科医のネットワークがある。健康相談会が3回行なわれている。いまのところ、健康被害を心配する親の心理的なケアやアドバイスをしている。必要な医療とか、そういうことにはなっていない。彼らの活動に期待している。私が代表をしている「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」は、このお医者さんたちと動いている。
 ただ、報告させて欲しい。なぜ、このようなネットワークが立ち上げられなければならなかったのか? 子どもの鼻血などを、なぜ福島県内の医者がサポートしていないのか。地元の医者たちは、今回の事故を受けて、こういった子どもたちの健康サポートを行なっていない。むしろ反対のことをしている。世界中どこの原発でも、同様のことが起こるのではないか。事故一週間後には、県に「専門家」が招聘された。「健康管理リスクアドバイザー」の山下俊一氏がやったのは、子どもの健康被害を守るのとは逆のことだ。住民に、「何も心配がない」と教え、「いままで通り外での活動を行うように」と言った。牛乳の汚染があっても、「この程度では、健康被害は起きないから心配ない」と言った。彼は今月、福島県の病院の頂点に立つ福島県立医科大学の副学長に就任した。県内の病院は、この大学病院に反旗を振りかざすようなことをすれば、経営がなりたっていかない。県内の医者はすべて彼に従う。おそろしいことだ。私が通院している、斎藤紀(さいとうおさむ)さんという医者は、広島原爆症の裁判にもかかわった人で、被爆者を支援する活動をしてきた。しかし3月中にアドバイザーと同じ原発推進派に転向してしまった。いままでもっとも被曝者の支援をしてきた人が、「これまで通りの生活を」と語るようになってしまった。こういう状況のなかで、小児科ネットワークができた。

Q(タイ):二つ質問がある。県によって公にされている数字はどれくらい信用できるか? それの影響をどのように考えているのか? 地図で見せてもらったが、海がなかったが、海の汚染とその影響について教えてほしい。

中手:公表された汚染のデータの信頼性について、一言でこうだ、と言わない方がいいと思っている。ウソではないものがほとんど。しかし住民にとって必要な情報が適確に出ているとは言いにくい。たとえば、食品の汚染、出てきた数字はおそらくすべて事実だろう。しかし、その数字が出てくる前に、汚染された食品が出回っていたことは後からわかった。同じことが土地にも言える。福島の空間線量が出ているが、その数値に操作はないのだろうと思うが、それがネット上に掲載されているだけでは、自分たちが何をすればいいのかわからない。だから、市民がやらなくては。市民測定所ができて、自分たちが直接汚染を調べることになった。これによって裏付けていかないと、必要な事実の隠ぺいや対応の遅れを招くだろう。3〜4月、ごく一部の避難区域を除いて、それ以外の区域は、放射能は心配ないと言われていた。私の家族が避難しても、私が地域の中で異常者扱いをされるということだった。いまでは大部分の人が避難の必要性について考えるというところまで、地域は変わってきた。私たちが独自に測定して初めて、公の考えが変わり、住民の意識の変化も起こせる。土地の汚染は、放出された全体の放射能のうちのほんの一部。ほとんどは、海と言われている。

:海への放出量の正しい評価について政府発表はない。これまでのところ、東電によると、10の15乗ベクレル出たというふうに言われている。これは、排水と一緒に出たもの。爆発によって大気中に出て、それによってどの程度流れていたのかは、広域測定がされていないのでわからない。海域については、水に流れたものはチェックをしていた。総量は不明。魚の放射能汚染が発表されている。コウナゴなど、表層を泳いでいる魚から数千ベクレルの汚染が検出された。ヨウ素は半減期が短いので、ないが、セシウムは、中層を泳いでいる魚から数十〜数百ベクレル検出。範囲は、南ではいわき市。それ以上南の魚に関する発表はない。

Q(韓国):避難の必要性を日本政府に要求しなくてはいけないと思ったが、どのように福島県の人たちが要求しているのか? 交渉の窓口はあるのか?

中手:公害においてもよくあることだが、住民の望んでいることと、政府や地方政府が行なっていることには、大きなずれがある。住民は、何のサポートもないなかで避難している人が十万人以上。住民には、避難の必要性、政策の拡充を求める思いも広まっている。一方、自治体、県や市町村からそういう声が上がらない。除染について非常に熱心な発言をしてきたような自治体の長も、避難については消極的。なぜか? 行政者にとっては、住民がいなくなれば自分たちの仕事がなくなる。命より仕事が大事? それをチェックするのは地方議会の議員だが、議員も避難について消極的だ。避難をよびかければ、自分に投票する人がいなくなるという恐怖がある。会社経営者も同じ。避難を呼びかければ社員がいなくなる。私の勤める福祉施設も職員に「だまって避難したら首にする」と脅しをかけた。このように、人の上にたつリーダーたちは、避難について恐怖感をもっている。サテライト疎開も含め、子どもたちの命を一番に考えた上で、共同体を再生するための避難ということを進めていきたい。市民がリーダーシップをとらないとだれもやらないだろう。
 政府交渉についてだが、日本全国の市民団体の協力・支援に感謝している。福島県民だけでは、日本政府との交渉はほとんどだめだっただろう。4月半ばから政府交渉を行なっている。そして、政府の方針変換を一部実現できているが、大きな変化は生み出せていない。補償の問題は全く実現できていない。いまは、問題を告発すること。たとえば、自主避難者の経済的補償、私たちが言わなければ、問題として扱われなかった。私たちが活動をしてから、メディアでもとりあげられるようになった。
 いまの主張は、福島の県民も他の日本国民と等しく権利を持っている、無用な被曝を避けて生活する権利がある、避難後も同程度の生活を保証される必要がある、ということだ。「原発事故被害者補償法」を新たに作って、トータルな補償が日本で実現されなくてはならない。いまやっている日本政府との交渉、手を抜かずにとりくんでいきたい。

渡辺:政府の方針を変えさせた点というのは、政府文部科学省は20ミリシーベルト/年、以下なら学校で子どもが遊んでいいとしたが、これに対して署名を集めたり、福島の親が文科省を取り囲んで、文科省大臣に「年1ミリシーベルトをめざす」と発言させた。1ミリは一般の人の放射線許容量。

中手:全国の人たちが交渉の後押しをしてくれたりして、大変大きな力になった。海外からの市民のメッセージや支援も届いてきている。海外の団体も署名等に参加してくれて、それも日本政府の方針変更につながった。

Q(インドネシア):補償について、原発事故被害者補償法と原子力損害賠償法は何が違うのか。責任は東電では? 今回、地震・津波なので、例外あつかいされる? 補償法を作る必要性は何か? 東電が賠償金を払っていたら、その額は? また分配方法は?

Q(タイ):福島の人たちは普通に食べ物を食べているか? 子どもの健康被害を防ぐことについてどう考えているか? 原発を持ちたいという国に対するメッセージがあればお願いしたい。

Q(韓国):小学校の基準値については、20ミリシーベルト/年を、1ミリシーベルト/年に変更させたということだが、基準値を超えた学校については閉校になっているということか?

中手:インドネシアの質問について。賠償法は直接的経済被害に限定して金を払うというもの。今回は、それだけで済む問題ではない。たとえば、土地が汚染された場合、売れなかった生産物への補償だけでは済まない。除染までの収入補償などはどうする? 学校は誰が建てる? 広く、公の機関の支援政策が必要なのだ。総合的支援がなければ、被曝をせずに生きていける権利が実現できない。いずれにしても、賠償法だけでは済まない。東電は「仮払い」をしている。これだけは間違いなく支払わなければならないというものだけ。企業への補償も。しかし、その他はほとんど補償されていない。審査会の中間指針を受けて、これからつめられるところ。いずれ、大規模な訴訟になっていくんだろうという覚悟をもっている。
 タイの質問に対して。福島の食べ物についてだが、汚染された食品は全国に広まっている。輸出については水際でストップされているものもあるが。国内では、暫定基準以下であれば、自由な流通がある。チェック体制は、サンプリングによる非常に不十分なもの。日本人は等しく放射能を食べているかというと、そうではない。弱者に行っているのではないか? 例をあげると、福島のスーパーに九州産野菜が並んだ。しかし5月になってまた福島産が並んだ。いまでは、福島産あるいは近隣県産しか並ばない。なぜかというと、いままで県外に行っていたものが、県内に来ている。高くてもいいから安全なものを食べたいという都市部や遠隔地のニーズから、福島産がはじかれて、福島に戻って来ている。学校給食についても、貧しい予算のなかで行われていて、一食2百数十円。売れなくなった福島県産野菜が結構な量はいっているらしい。いくつかの例が発見されている。給食センターに問い合わせると、最近は「わかりません」という答えが返ってくる。これからは、放射能が低いものを食べれる仕組みを作っていくべきだ。内部被曝ゼロをめざすべきだ。子どもや病弱者などの健康被害を防ぐには、避難が一番だ。友人も海外に避難した。しかし、ほとんどの人はそうはできないから、汚染の少ない地区に避難するというのでもいい。とにかく避難が必要なのだ。
 韓国の質問について。30km圏外では、学校は通常通りだ。ただし、保護者が働きかけているところ、あるいは汚染がひどいところでは、プールはしないとか、屋外イベントの中止などの対策が取られている。しかし、原則は学校は平常通り。クラブ活動もかなり初期の段階から普通に再開された。除染されていないグラウンドを使っての競技大会の開催も決まった。内部被曝にどのような影響を与えるのか。
 最後、これから原発を持とうという国の方々へ、計画されている国の方々へだが、体を張ってでもとめなくてはならない。冒頭に言ったが、私自身、後悔・懺悔の気持ちで一杯だ。原発のリスクを知っていたのに反対運動をしなかった。原発を容認してきた責任がある。子どもたちには、原発事故で被害にあうような責任は一切ない。福島の親は、自分のことだけであれば、がまんしてきた。がまん強く、声をあげないところを狙って原発は建てられる。しかし、今回は、自分ががまんすれば済む話ではない。子どもたちが犠牲者だ。二度と事故を起こしたくない。原発と人類は共存できないことを、今回の事故が教えてくれた。すでに原発を持っている国の人たちは、一日でも早く原発をとめましょう。

◆ 事故による農業の被害と農民:大野和興(農業ジャーナリスト)

 今日は3点について話をしたいと思います。第1点は、作付禁止に関して。第2点は、作付した作物にどのような汚染が現われて、どういう被害が出ているかという点。第3点は、土壌・空気・水が汚染されて、いつ自分の作った農作物から放射線が検出されるか、それを気にしながら農作業をしている農民の気持ち。

 作付の状況がどうなっているのか。20km圏内は人が入れないので、農作業もできないし、家畜も避難させるか放置するしかない。畑も放置されている。30km圏内も土壌汚染がひどいということで、米については作付禁止。野菜については、作ったものを検査して、数値によっては出荷できるが、実際にはほとんど作られていない状況。飯館村は全村避難なので、畑もそのまま。南相馬市も放置されている田畑が多い。写真を見ていただく。

 (写真を映しながら)南相馬市の海岸の近くの水田だった所。大型トラクターが全壊して放置されている。同じく、海岸沿いの水田だったところ。船が乗り上げていて、米を植えるような状況ではない。これは、全住民が避難をしている飯館村。この写真を撮ったのは4月。グリーンに見えるのは牧草。放射能汚染が強くて牛に食べさせてはいけないということで、そのまま放置されている。田んぼももう作れないということで、春一度トラクターを入れて耕したまま放置されている。これらが、いまの原発周辺の土地の利用状況だ。

 それ以外のところ、30km圏から離れたところはどうかについても話をしたい。農作物で最初に放射能汚染が出てきたのは、野菜と牛乳だった。3月12日に福島県産の露地野菜(ハウスをかけないで植わっている野菜)と牛乳について、「出荷自粛」を農協を通して各農家に要請した。まず最初に放射能が出たのは、ホウレンソウ。3月は、ホウレンソウができる時期だ。そのホウレンソウから基準値500ベクレル/kgの3倍以上のヨウ素が検出された。源乳からも最高で5倍のヨウ素が検出。その後、福島県産のほとんどすべての野菜(露地もハウスも)について出荷禁止。牛のえさになる牧草も禁止された。牧草を作っていた農家は、そのままトラクターを入れて土の中にすきこむという対処をした。

 最初の段階でこのように福島に被害が出たが、それが近隣県に拡がっていった。茨城県、千葉県の野菜と牛乳に放射能汚染が出て、品目は限られたが出荷停止が出て廃棄となった。3月の段階。それから4月に入り、しいたけと魚介類に広がった。福島県・茨城県沖。まず最初はコウナゴ。4080ベクレル。水産物の暫定規制値は500ベクレルだから、5〜8倍以上。その地域の漁協は漁に出るのを自粛した。5月に入り、日本茶の葉っぱから検出。日本では、5〜6月がお茶の収穫時期。そのお茶からセシウムが検出された。まず最初に出たのは、神奈川県南部のお茶の産地。その後、埼玉県、千葉県のお茶からも検出。神奈川県南部に関しては、福島原発から300km以上離れている。6月に入り、このお茶の汚染がさらに南、静岡県から出た。400kmくらい離れているところ。静岡県は日本でも最大のお茶の産地で、お茶で生計を立てている人が非常に多い。いま、静岡のお茶はほとんど出荷できない状態。これが6月までの動き。

 7月に入り、問題はさらに広がった。セシウムに汚染された牛肉が出てきている。餌から取り込んで、内部被曝をした肉が出回るという事態。その餌は稲わら。牛は黒毛和種。肉用の牛のえさは主に穀物だが、草や稲ワラも欠かせない。稲ワラは1頭が1日に1〜2kg食べる。秋に刈り取ったワラを田んぼに寝かせ、寒さにあてると程よく分解して消化がよくなり、いいえさになる。それを春ワラというが、そのワラを集めたのがちょうど原発が爆発した後。それをちょうど集めて、全国に流通させたということが明らかになった。セシウムに汚染されたわらは、福島のものももちろんあるが、150km離れた宮城県や170km離れた岩手県でも高濃度のセシウムに汚染されたワラが確認された。それは、福島、山形、新潟、秋田、埼玉、静岡、三重などに流通した。そして、それを食べた牛が内部被曝をして、その肉が広く全国に流通した。現在までに3000頭と言われているが、まだまだこれは増える。生産者はいま国に全頭検査を要求している。県によってはすでにその準備を進めている。それが進めば、3000頭という数字から一気に増えてくるだろう。暫定規制値500ベクレル/kgを超えたのは現在51頭。出荷することができない。これもどんどん増えるだろう。生産者は汚染された牛は国が買い上げろと言っている。東京食肉市場の値段の動きだが、6〜7月初め、まだセシウム汚染が発覚していないときはキロ当たり1600円程度だったが、セシウムの問題が出たとたんに約3分の1の600円に下落した。農家は、生後30カ月くらいまで育てる。子牛を買ってきて、餌をやって。ずいぶんコストがかかっている。それが丸々赤字となって、農家にかぶっている。出荷できないので30か月を超えてそのまま飼っていると、長く置けば置くほど肉質が落ちて値段が安くなってしまう。場合によっては病気が起こって死んでしまう。日本全体とくに東日本の牛飼い農家にとっても、価格が下がって厳しい状況。これを風評被害と呼ぶが、全体的な打撃。これはまだまだ拡大していくだろう。

 問題はこれだけにとどまらない。牛の汚染は土壌汚染の拡大を生む。ひとつは稲ワラ。4月くらいになってトラクターを田んぼにいれて、ワラを土の中にすきこむ作業がはじまった。ワラはとても良い有機質肥料となる。そのとき高濃度に汚染されているということは明らかになっていなかったし誰も教えてはくれないから、そのまま土にすき込んで、水を入れて、田植えをした。この秋にとれる米にどういう影響が出るか、米農家はいま頭を抱えている。ふたつめ。牛は肉をとるが、たい肥の製造機でもある。成牛1頭が、30kgの糞、20kg以上の尿を毎日出す。その糞尿は、わらや草、木のチップと混ぜて発酵させて、たい肥にする。肉牛農家はそうやってたい肥を作り、自分の田畑に入れたり、近くの野菜農家に買ってもらったり、稲わらと交換したりしている。牛を通じて、循環型農業が成り立っていた。化学肥料や農薬を使わないで済む農業、地域の有機物の循環のかなめになっていた。毎日1頭あたり50kg以上も出る放射能汚染された糞尿をどこに持っていけばいいのか? 河川に垂れ流すわけにもいかないし、農家が保管するにも限度がある。

 東日本の農家が一番頭をいためているのは、9〜10月に収穫を迎える米がどうなるのか? という不安だ。

 農家の苦しみ・悲しみについて話したい。志賀一郎さん(64歳)。原発がある双葉町で有機農法で12ヘクタールの稲作をしていた。海岸から300mほどのところに家があったので、家も流され、妻も孫も見つかっていない。急いで家に戻ってきたときには何もなかった。2人を探している間に、避難命令が出て、すぐ戻れるだろうと思って離れたまま、戻れなくなった。品評会で金賞をとるくらいの有機農民。いまは友人のところに居候しながら、農業を手伝っている。日本では、いつ田んぼに水を入れるかなど水の調整は、その水を使う地域の全農家のバランスを取りながらやっていくのだが、彼はその世話役をしていた。彼と最初にあったのは4月の初めだったが、水路のことを気にしていた。早く帰って田んぼをしたい、と。

 彼の場合は土地も家もなくなったが、土地も家もまだあって、種をまこうと思えばまける農家はどうか? 中村和夫さん・喜代さん。ご夫婦で原発から50kmの郡山市で有機農業。お米、野菜、大豆を作っている。郡山は50〜60km離れているが、風の具合で放射線量が高い地域。以前からの知り合いで、福島原発事故のあと電話で話をしていて、そろそろじゃがいもをまかなくちゃいけないんだけれど、県から田畑をいじるなと通達があって畑仕事が何もできない、と悩んでいた。4月に会いに行ったとき、いつもはおしゃべりな喜代さんがだまりこくっていた。仲間と一緒に自分が作った野菜を加工して売る直売加工所をやっていたのだけれど、売ることができなくなってしまったので、毎日やることが何もなくなってしまった。とても大きな不安を抱えている。「百姓(農民)は種をまいてこそ百姓」と言っていた。仮に食べられないものができあがってしまったとしても、自分は作るしかないという気持ち。

 東京電力の本社の前に、5月に福島と茨城の農民たちが抗議にきた。「東電は俺たちの田んぼを汚した。許せねぇ」と書いたむしろ旗。昔から権力に対して農民が一揆を起こすときに使っていたむしろ旗。それを掲げて、和夫さん喜代さん夫婦は東電前の抗議に参加した。作ったものが放射能汚染を免れるのか? 放射能で大なり小なり汚染されている土地に、人が食べるものを作っていいのか? という悩み。売れればいい、というのではなく、悩みながら作っている。そういう生産者の悩みを、ぜひ都会の人にわかってほしいと思う。

 高田善一さん。60代。郡山の農民で、集落のリーダー。6人のグループを作って、60ヘクタールという大規模な田で稲作をやる生産組合のリーダーをしている。農民の利益を守るために行政とわたり合ってずっとやってきた。3月末に電話があって、「今年は米作ったもんかなぁ」と相談された。ぼくも答えようがなかった。5月に久々に会って酒を飲みながら話をした。「気分が落ち込み、なんだか精神的におかしくなっている」という。「前だったら自分はいつでも何かを考えていた、いまは物事が考えられなくて、気がついたらぼんやりしている。夜眠れない。本が読めなくなった」。酒が好きな人で、仕事が終わると仲間と酒を飲んでいたのに、「福島原発事故以降、誰も酒を飲もうというふうにはならなくて、きょう久々に酒を飲んだ」。地域の農民業リーダーとして活動しも、農業技術にも優れているベテランのタフな百姓が、そういう状況になっている。福島の農民は多かれ少なかれみなウツ状況だ。

 種代、肥料代、燃料代など、お金をかけて、捨て金になるかもしれないと思いながら、百姓は土を耕して食べ物を作っている。都会では「私たちに汚染されたものを食わせるな、作るな」という人が多い。農民の悩みをもっとわかれよ、とぼくは伝えるが、とにかく断絶が大きいと感じている。

 多くの農民は、農協を通じて東電に補償を要求している。農協は農民から委任状をとって風評被害も含めて毎月要求している。先日も6月分を要求した。その総額が6月請求分までで432億円。こんなに少ないのか、とも思うが。わかった分から出していくということなので、これから積みあがっていくと思う。何千億、何兆円に広がっていく可能性もある。どの程度被害が広がり、どの程度補償されるのかまったくわからない。精神的な被害についても慰謝料を請求していく必要があるが、まだできていない。また女性農家やお年寄りなど、農協からこぼれ落ちている人も多い。弱者と呼ばれるそういう人たちをどうしていくのか。

<質疑・応答>

Q(韓国):農民はどのような活動をしているのか? 農民を支援するグループはいるのか?

大野:全国的にグローバリゼーションに対抗する運動がある。また、日本の有機農業運動は40年の歴史があるが、一瞬にして放射能に汚染された。どうしたら良いのかと頭を抱えている。学校給食も30年前は大手食品会社のものを使っていたが、その後、地域の農家の運動で、地域のものを給食で食べさせるという運動が広がってきていた。しかし、事故で地域のものを給食に出すことが問題になった。
 消費者運動は活発であった。福島は生活協同組合(生協)と提携して農作物を出していたが、スーパーに続いて、生協も福島との契約を切ってきている。生協は安全なものを提供するのが条件ということもあるが、生協運動は何だったのかという疑問が湧く。
 農家支援だが、学者たちが除染のための実験的な調査活動をやっている。私の仲間が三春町を拠点にして農村女性たちが積み上げてきた食品加工場があるが、それらが壊滅してしまった。再生するための共同プロジェクトを立ち上げている。生産者と消費者が共同で放射能測定をして、納得して食べてもらう、自分たちの数字を持つ、というところから始めようという構想でやっている。

Q(タイ):汚染はどれくらい続くのか? 政府がどれだけ賠償するのかははっきりしているのか。

大野:セシウムの半減期が30年なので、汚染はこれからも続く。除染について、実験的にいろいろ行われている。ヒマワリや菜種を植えて吸収させて根っこごと取り除く手法など。ミネラルを多く含んだ腐葉土を入れることで、セシウムが土に入りにくいということも言われている。セシウムは水を入れると流れるので田んぼを休ませない方が良いということを言っている人もいる。
 何にどう払うのかは第三者委員会で後手後手で対応策を協議している。そのつど、そのつどの対応になっている。政府は農業について風評被害までは補償すると言っている。慰謝料について、官房長官が一度出すと発言したがこれから。慰謝料をどれくらい出すかは未定。牛について、政府は暫定基準の500ベクレルを超えたものは政府が買い上げ東電に買わせるといっている。

Q(フィリピン):日本の食料自給率にどのような影響があるか?

大野
:海外からの輸入が増えるだろう。ある生協が米をカリフォルニアから買うことを考え始めている。その生協はこれまで「国産の米を食べよう」と訴えてきたのだが。また、日本政府はTPPに参加しようとしているが、安全性の危惧にTPPの影響が加われば、輸入依存が高まるだろう。日本の商社が中国で日本向けの農業プロジェクトを発表した。これは事故を踏まえた対応。こういう動きは強まるだろう。

Q(韓国):都市住民は生協のものを安全と見るのか、中国のものを安全と見るのか? 東電にすべてを補償させるのは無理だと思うが、日本は財政が厳しい。日本は岐路にさしかかっていると思うがどうか。日本の農民運動の展望は?

大野:一般的な都市の人の考え方とすると、安全なものならどこで作ったものでも良いという対応をするだろう。すでに米不足になることを流通業者が見込んでいて、業者が高い値段で買い付け契約をしている。生協はまず安全なもの、国産でなくてもという選択を強めるだろう。生協も売り上げが落ちている。
 補償については、国民がどれくらい負担をするかで決まってくるだろう。お互いが負担し合おうということになるだろう。
日本の農民運動はほとんど影響力がなくなっている。農民の運動を再構築しようという動きはある。農民単独ではなくて、労働者や若者といっしょに運動を作っていかなければならないだろう。

Q(タイ):農民の苦しみを日本で伝えることは難しいのか?

大野:農民の気持ちを伝えるのは農村を足場とする私のジャーナリストとしての務め。しかし、メインストリームのメディアにはのりにくい。きちんと伝えていくことが重要。

Q(韓国)
:農民2人が自殺したと聞いている。韓国でもオイル流失で農業者が自殺したことがあった。農業者の不安が大変だと思うがどうか。チェルノブイリ事故では、ドイツが汚染食品を東南アジアや南米に輸出したことがあった。福島の汚染食品を食べている人はいるのか? 輸出されるのか?

大野:農民の精神的なことだが、2人という報道は氷山の一角。遺書が残されていなかったり、自殺かどうかわからなかったり、とても多いと聞く。農民は精神的なケアのために病院に行くことはない。ケアなしにほっておかれている。汚染された食べ物の流れだが、福島で安く買いたたいて、産地をごまかして売っていることはあるだろう。海外で日本産と言えば検査が厳しいが、流れる可能性もあるだろう。チェルノブイリ事故のとき、周辺で生産された牛乳がシンガポールを経由して、そこで加工されてシンガポール産として日本に来たという例がある。いろんなルートがあるのでつかみづらい。

◆ 原発立地が地元社会に与えた影響:大賀あや子
                            (廃炉アクション福島原発40年実行委員会)

 私は福島第一原発から5kmの所に住んでいた。戻れない。20km圏内の人口は約8万人だった。30Km圏と計画的避難区域を含め、約12万人が避難している。3分の1から半分くらいが福島県内に避難。残りの人たちは、他県にばらばらにいる。最初は、早く避難しろと言われ、パニックで避難した。多くの住民は2〜3日で戻れると思っていた。ちょっとした荷物しか持っていかなかった。

 原発を容認してきた、原発の経済のなかで生きてきた、いろんな人が葛藤を抱えている。距離によって補償の違いもあり、分断させられる恐れを感じている。原発に近い双葉郡住民は、帰郷できるのかどうなるのかわからない絶望感がある。

 双葉地方は典型的な日本の農村。第一原発の敷地は、太平洋戦争中に軍が土地を買い飛行場を作っていたものを、戦後、財閥が買い上げた。1960年ごろから原発計画が浮上して、63年に土地が買収された。炉心の土地は財閥がもっていて転売したもの。ここは、くりかえし冷害に襲われてきた寒村。出稼ぎ、過疎化があった土地。町の財政も原発計画前から苦しかったので、原発に飛びついたという面もある。

 第一原発は67年に着工。71年に運転開始。実験炉段階から急ぎ商業炉に移行したような経緯で、技術的トラブルも多かった。労働被曝、排気塔からの汚染なども明らかになったりした。

 隣町では第二原発も。第二のほうは、まったく民間の土地だったので反対運動があったが、あめとムチの工作があって、進められた。70年代初めから原発反対同盟が組織され、労働組合や政党とのつながりのなかで、第二原発の手続きに対して反対運動が行われた。

 79年にはスリ―マイル、86年にはチェルノブイリ。消費地の関東地方の脱原発運動とも結び付いて、いろんな原発反対運動もあったが、政府の広報や選挙での工作による圧力を受けて、建設後数十年という中で、立地地域では反対運動が弱くなっていった。

 原発建設の時に土木建設業の雇用需要があった。また原発を作れば、多額の交付金が県・町に交付される。まだ、舗装していない道もあったころ、原発の町に行くと舗装してあったり、下水道、体育館、農業用ダム、温泉施設などいろいろなものにお金が使われた。その建設事業の時も雇用。しかし、原発建設が終わると、定期検査では雇用はあるが、地域自体の経済や地域社会に活力が出てきたわけではなく、人口は横ばいだ。町の財政は、交付金が減って、箱モノの維持費がかかって、財政難になっていくところが増えた。

 90年代からプルサーマル計画。プルサーマルを受け入れれば補助金を出すと言われる。あるいは、使用済み燃料のプールを増設するなら補助金を出すということもあった。また、東京電力からの何十億円もの寄付もあった。

 2000年代にはいってから、東京電力が多くのトラブルを隠ぺいしていたということ明らかになった。住民に、情報が正しく詳しく報告されていなかった。住民に、不安感・不信感が広がっていった。

当初は30年で廃炉と言っていたのに、今年40年を迎えることに。原発に疑問を持つ人、核廃棄物の解 決方法がない中で真剣に考えなくてはいけないのではないかと思う人、いままで反原発運動していない人にも、輪を広げるために、福島県内で「廃炉アクション」を起こそうとした。3月26日に立ち上げシンポジウムを開催するところだったが、直前に事故が起った。

 私自身は、いま会津にいる。大熊町から避難した人たちが何千人かいるところで暮らしている。
 
<質疑・応答>

Q(韓国):原発立地地域の住民のつらさは韓国も一緒。原発から再生可能エネルギーに転換していく動きはどうか?

大賀:エネルギー政策は国レベルで決めていくしかない面もある。しかし、福島県は、県の復興計画を定める委員会で、脱原発を考えないと始まらないという意見が強い。県民の世論が強いという背景もあるが、原発を廃止し原発に頼らない社会づくりにとりくんでいくということが県で大きく打ち出された。ただ、避難とか、除染とか、緊急的に必要な面から見ると、復興ビジョンそのものが妥当かどうかという疑問はあるが。6月の県の中間報告で脱原発が打ち出された。県知事も後から追いかける形で公言したので、日本全国へのインパクトは大きいのでは。

:いま福島県の話があったが、市民運動のレベルでは、いまが非常に大きな転換期であるという認識のもとに、省エネルギーの進展と再生可能エネルギーの導入を制度的に実現させていこうという動きがある。どんなふうに制度に取り入れられるかわからないが、議論になっている点としては、再生可能エネルギーの全量買い取り、発電送電の分離(破綻している東京電力から切り離す)、電力の自由化、これを一般消費者まで拡大するという議論。いまは一般の消費者は、住んでいる地域で電力会社が決まってしまっているが、どこの会社とも契約できるように自由化しようという議論。また、規制当局を独立させるべきという議論もある。IAEAからさんざん指摘されてきたが、規制当局と推進当局が経済産業省の下に同時にある。それを改善する。運動側も声が大きくなってきているが、既得権益の側も必死。ここ2〜3年が脱原発運動の正念場だ。

渡辺
:管首相が脱原発の方針を打ち出したが、政府内では「首相の個人的な解釈だ」と。管首相は求心力を失っていて、もうすぐ辞めるとも言われている。昨日の報道だと、政府は「減原発」を打ち出した。電力業界のロビー力が非常に大きい。国会議員にも東電の株主が多い。そういう背景なので、今回のことでどこまで脱原発に舵を切れるか、まだ見えない。市民側では、3月に「エネルギー・シフト」というネットワークを作った。

アイリーン:原発のコストについて。欧米では、新規原発についてコスト計算がしっかりなされている。欧米では、新規原発に1ドル投資するより、再生エネルギーに1ドル投資した方が、CO2削減に寄与できるというのが通説。ムーディーズなどは、原発に投資した企業を格下げしている。資料をグリーンアクションの英語サイトで見てください。

Q(タイ): 先程のお話で立地町村が貧しかったと聞いたが、原発建設後に生活は変わったのか? 東電は事故後にどの程度補償したのか? 子どものころから原発があるのが当然であまり考えてこなかったという人たちは、事故後にどう考えが変わったか? C事故後、原発に関する広報のトーンはどう変わったのか?

大賀: @出稼ぎが非常に多かったが、それがなくなり、建設労働、そして被曝労働。A事故の補償。20km圏内の人に対しては一律の仮払い。1度目は一世帯で100万円。子どもがいて、持ち物もなく避難している家族に対しては足りない金額。2度目の仮払いが8月にあると聞いている。しかし30km圏より外の人たちにはまったく補償がない現状だ。B親しい関係の場合には、話に上がる(あの家で白血病で亡くなったよね、被曝の影響だよね、というような)が、それ以外はタブー。目の前の生活がどうなるんだろう? という思いがあるので、原発がどうこうということになかなかつながらない。C東京電力は、必要があるときにお詫びをし、節電のお願いをする、ということだけで、推進の広報をするということは、いまはない。

Q(台湾)
:フランスや米国からフィルターを買って、汚染水のろ過をしていると聞いたが、実際の効果は? そのフィルターは高いものでしょうか? 海に漏れる汚染水はいまでもあるのか? それをどうやって防ぐのか?

:水1トンあたり21万円の処理費用。処理すべき水が数万トンあるので相当な金額になる。稼働率は6割ぐらいで、初期の目標に全然達していない。汚染水を処理するといっても完全に放射能がなくなるわけではない。つかまえた放射性物質は高レベル廃棄物になり、それをどうするかは決まっていない。
 海の汚染については、いま現在は放出は止まっている模様。海の汚染については、一度意図的に高濃度汚染水を放出したときと、亀裂から出てしまっていたというとき、2度あった。亀裂は閉じたので、現在漏れ出ているという状態ではない。ただ、集中豪雨などが福島原発を襲った時には、また漏れ出てしまうという可能性は残っている。一番最初のときに出た総量は10の15乗ベクレルだという計算上の評価がある。原発の真東のポイントで3月15日に160ベクレル/リットルという値が検出されている。1トン当たりにすると16万ベクレルのものが一時検出されていた。2号機の放水口があるところの値がすごい、4月初めに1立方センチあたりで20万ベクレルに近いヨウ素が検出された記録が公開されている。セシウムでいうと10万ベクレルくらい。

Q(タイ):魚の汚染度が測られたということだが、魚は海を移動していると思うので、汚染の広がりがわかっているのか?

:放出された廃液の移行の予測というのは難しいが、主要な潮の流れは北から南に流れ、南からの潮とぶつかって、太平洋の方に流れていくという大まかな動きがあるとは思うが、実際にはもっと複雑でよくわからない。水の流れもよくわからないのに加えて、魚も自由に動くのでもっとわからない。およそ50km離れているいわき市のあたりの中層・海底から水揚げされた魚にセシウム汚染が出ている。長期的にはもっと南の方に広がっていくと思う。北の方も汚染が広がっていてもおかしくないのだが、津波で漁業自体が壊滅的被害を受けているので、いまのところ測定値は出ていない。

Q(タイ):40年間稼働していて、いろいろ事故があったということだったが、被害者の方に関するデータはあるのか? どのような症状が出ているのか?

大賀:今回のように大量に放射能が漏れるという事故はなかったが、毎日仕事をしていての被曝労働や小さなアクシデントなどの中で、色々な病気があるようだ、ということが地域の人たちにも知られている。特徴的なものとしては、白血病、ガン、骨髄腫の発生が多い。しかし原発関係で労災を申請して認定されたのは、この40年で10件ほどしかない。却下された例も10件ほど。そのほかの何千人という病人がいたはずだけれど、東電や下請け会社に見舞金などを渡され、書面を交わして、一切余計なことを公言しないようにという誓約をさせられてきた。ガンなどのように特徴的な病気ではなくても、倦怠感や色々な病気になりやすい、心筋梗塞、脳血管の障害なども被曝の影響ではないかと言われている。

渡辺:労災を申請して認定されたという中で、年間5ミリで労災認定というケースもある。

Q(インドネシア):避難する際にヨウ素剤は与えられたのか? 入手するのは簡単か?

大賀:通信回線がズタズタになっている中で避難命令が出た。各町役場に10日分のヨウ素剤が置いてある。国・県の指示に従って配るという防災計画マニュアルだった。その指示は一度も出されなかった。しかし、いくつかの町で動きがあった。3月12日の夕方に双葉町から川俣に避難した人は配られたとのこと。分散して避難しているので、双葉町の全町民には配られていないだろう。14日、15日は爆発が続いていたので、大熊町、富岡町の役場の人が避難先の一部で配ってしまおうか、という話をしたとのこと。約40kmの三春町は全町民に配った。約30〜60kmのいわき市では原発に近いところから配った。非常事態の中でまちまちとなった。ヨウ素剤はあまり高価ではなく、日本では平時には薬局で取り寄せ購入できる。

Q(インドネシア)
:4年前に浜岡原発を訪れたときに、土地に50倍の補償金が支払われたと聞いた。そのようなやり方はインドネシアでも起こり得る。また、だいたい何パーセントくらいの人が地元で雇用されたのか? どういう仕事に就いていたのか?

大賀:土地買収については、どこでも浜岡と同じようなことをやっているだろう。定期検査は1年に数カ月で数千人必要と言われている。専門の技術はそれほど必要ない。

Q(台湾): 原発で働く人が子どもとじゃれあうときに子どもに影響するか? もし福島県が賛成しても隣の県が反対していれば原発はできないのか?

大賀:原発労働者は終了時に全身を検査して除染することが義務付けられている。

:隣接県に権限はない。隣町が反対している状況では、知事が賛成しないケースが多い。

Q(タイ):これからの反対運動はどうするのか? 新規のもの、既存のものに対しては? タイの予定地の中産階級の人々を反対運動に加えるにはどうしたらいいか? 日本が原発に頼らないのであれば、何があるのか?

大賀:日本では新規の原発はできないだろう。

:日本ではまず商工会が誘致に動く。農民・漁民が反対する。日本で原発を止めているところは、農地を売らない、漁業権を売らない、町で反対議決をするなどしている。エネルギーの選択肢だが、日本は技術的には全部ある。省エネで4割カットできる。再生可能エネルギー技術はレベルが高いが、国内で制度的な問題がある。長期的には省エネと再生可能エネで賄える。過渡的には天然ガスを使うだろうが。いくつかのシナリオはできている。

アイリーン:いまアンケートをすると8割の市民は脱原発した方が良いという。国会議員は電力会社からお金をもらっていたり、電力労組にバックアップしてもらっている。39基の原子力が止まっている。15基しか動いていない。これからどんどん定期検査。運動の争点は定期点検後の運転再開をOKするかどうか。
大賀:再稼働を決断した場合、何か問題があったとき責任を問われる。福島で被害に合った人にもう一度放射能を浴びせて良いのか。

Q(台湾):いまの節電は影響はないのか。原発を止めていくことしかないのではないか。

大賀:照明を暗くしたり、冷房の温度を上げたりしている。この夏に乗り切れると、一般の人の意識が変わるのではないか。

Q:予備電力はどれくらいあったのか?

:日本全体でいうと火力と水力だけで賄える設備はある。原子力がなくてもOK。なぜ大騒ぎしているかと言うと、東電や東北電力は火力も被害を受けている。騒ぐことによって原発は必要だと言うイメージを与えたいのかもしれない。大企業が15%節電命令で努力している部分はある。西日本は燃料代が上がるので電力コストが上がる。関西の経済界が反対している。

佐藤:先ほどのタイの方の質問に答えて、都会の活動家が現地に行って、ともに考えることが重要と思う。

Q(タイ):日本の皆さんにお願いしたいのは、原発のテクノロジーを売らないでほしい。お金を出さないでほしい。

Q(韓国)
:日本の8割の人が脱原発に向かっていることは勇気づけられる。国民投票のような動きはあるか?

:原発について国民投票を行なおうという動きもある。国民投票についてはいろんな意見がある。

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