ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.107より

第13回NNAF フィリピン・カントリーレポート

                           非核バタアン運動ネットワーク

■ 私たちの輝かしい過去

25年前、フィリピン民衆は独裁者に敢然と立ち向かい、バタアン原発に対する戦いを開始しました。

バタアン原発は、357ヘクタールに広がる怪物です。バタアン州のモロンに、アメリカのウエスチング・ハウス社によって建設されました。ウエスチング・ハウス社といえば、アメリカ本国においても安全性に関して不名誉な記録をもつ会社です。独裁者マルコスは中東における1970年代のオイルショックを、国内に原発を建設しなければならない理由として利用しました(もちろんそれは浅薄な議論です)。
 
バタアン原発が地域の人々にもたらす危険は現実的なものでした。バタアン原発は地質学的に危険な場所に立っています。そのためこの原発は、地震、断層の活動、火山の噴火などに脆弱です。そして、原発には400か所以上もの欠陥が見つかったのです。周囲の地域の人々の命やくらしを取り返しのつかない危険にさらすものでした。さらに、放射性廃棄物の貯蔵や処分について、有効な技術が全く存在していない状態でした。

また、バタアン原発の取引は汚職のショーケースのようなものであり、マルコス独裁政権の強権発動によって推し進められたものでした。ウエスチング・ハウス社の安全性に関する実績は目も当てられないものでしたが、ヘルミニオ・ディシニという仲介者を得て、ウエスチング・ハウス社とフィリピン政府による契約が決断されました。この契約は6億ドルとされましたが、最終的には23億ドルにまで膨れ上がり、数億ドルがマルコスとそのとりまきによって着服されたのです。

バタアン原発は、20年にわたるマルコスの独裁政治がフィリピン民衆を苦しめたあらゆる悪を象徴する存在なのです。人々の利益や安全を犠牲にした、強欲と腐敗の象徴なのです。だからバタアン原発は、建設が推し進められ実際に1984年に完成したにもかかわらず、民衆による大規模な反対運動によって中止に追い込まれました。

バタアン原発に対する反対運動の高まりの中で、バタアン州は州の動きを止めるに至りました。これが反核ゼネストとして強く記憶に刻まれることになった、1984年と1985年に行われたゼネラル・ストライキです。地域社会のみならず国際的な連帯をも実現したこの運動の中で、5千人もの人々が街頭に出ました。

反核ゼネストは、この問題の多い原発を凍結させるためのとどめの一撃となりました。1986年、マルコス独裁政権がついに倒されたとき、バタアン原発はコラソン・アキノ大統領によって閉鎖されました。

■ よみがえった原発計画
 
2008年、フィリピン政府(アロヨ政権)は、国会、エネルギー省(DOE)などの関連省庁、国営電力会社(Napocor)などを通じて、バタアン原発反対闘争が勝ち取ってきたものを覆そうとするさまざまな策動を開始しました。

2008年には、ミリアム・サンチアゴ議員による第2665号法案とマーク・コジュアンコ議員による第6300号法案が国会に上程されました。これらの法案は、バタアン原発の復旧と即時運転開始を求める内容です。

第2665号法案はうまくことが運ばず、第6300号法案は議員の多数の支持を取り付けたものの、どちらの法案も第14回国会の会期が正式に終わる2010年2月までに通過することはありませんでした。

バタアン原発に反対する民衆の運動が「非核バタアン運動ネットワーク」に先導されて再び巻き起こったことと、運動によってバタアン原発に対する否定的な世論を醸成しえたことが、とりあえずこの段階での成果をもたらした主な要因です。

なぜとりあえずと言うかといえば、マーク・コジュアンコの妻が最近になって国会議員に当選して、バタアン原発復活を求める法案を第15回国会に再び提出しているからです。

2008年11月、Napocorは韓国電力公社(KEPCO)との間で、バタアン原発を稼動させることが可能かどうかを調べるための調査の実施についての覚書を交わしました。2009年12月には、KEPCOがバタアン原発再開の可能性もありえると提言したことをNapocorが明らかにしています。

NapocorとDOEのどちらもが、それぞれの立場から原発推進という政府の計画を声高に主張しています。

「私たちは今、原子力ルネサンスの時代を見ているのではないでしょうか。この地域の多くの国々が原子力へ参入しようとしています」。アロヨ政権のアンジェロ・エネルギー大臣は述べました。「懸念されるのは、2010年か11年までにわが国が、電力需要と供給の乖離を経験するのではないかということです。長期間にわたって、持続可能で安定的で質が高く経済的な電源を確保しなければなりません。まさに原子力こそが、そうした電力を供給できるのです」

Napocorは、政府がすでに将来の原発建設に関して、13ヵ所の新しい立地点の可能性を調査していると表明しています。

▽ルソン島の候補地
・モロンのマパラン(バタアン)
・サンジュアン(バタンガス)
・パドリー・バーゴス(ケソン)
・パリクピカン, テルナテ (カビテ)
・ポート・アイリーン/ラカット・ヒルのマタラ(カガヤン)
▽ビサヤ諸島の候補地
・シパライのタルサン(西ネグロス)
・イナガウアンのタグバルンギス(パラワン)
・タナバグのコンセプシオン(パラワン)
・バヤワンのカンシラン(東ネグロス)
・カワヤンのバルアンガン(東ネグロス)
▽ミンダナオ島の候補地
・ジェネラル・サントス
・サランガニ
・ピアカン(ザンボアンガ・デル・ノルテ)

■ 新政権も原発を推進
 
新しく大統領に当選したベニグノ・ピノイ・アキノ氏は、バタアン原発を凍結させた母親の足跡を踏襲して、「エネルギー供給不足の現状を打破するためにバタアン原発の凍結を解除する意図はない」と言明しました。

新しいエネルギー大臣のジョゼ・レネ・アルメンドラスは次のように述べました。
「バタアン原発の復活は、もはや選択肢にはありません。バタアン原発を運転しないというのは、大統領としての政策決定です。なぜなら、第一にバタアン原発のためにこれまで引き起こされてきた社会的な問題があまりにも複雑であり、第二に断層などあらゆることに関して安全性の問題が大きいからです」

アキノ政権の下で、核のないバタアンと核のないフィリピンが実現可能なのでしょうか? 残念ながら、答えは「NO」です。原発を推進してきたアロヨ政権の立場を引き継いで、ベニグノ・ピノイ・アキノ大統領の政権は、同国において原子力エネルギーを導入することに改めて関心を示しているのです。

6月30日に就任したアキノ大統領はこう述べました。「私たちの困窮した祖国において電力不足を解決するために、フィリピンは原子力へと舵を切るかもしれません。電源として原子力エネルギーを利用する可能性について、現在調査しています」

Napocorのフロイラン・タンピンコ社長は、すでに原発の運転に関してトレーニングを受け始めているフィリピン人がいることを明らかにしました。原発の候補地についての調査も進んでいます。

そして、こうした発言によって、韓国電力(KEPCO)以外にも、複数の大企業が投資への関心を表明してきました。その中には、ウエスチング・ハウス社を買収した東芝、関西電力、東京電力、コジュアンコ一族が所有するサンミゲル社などがあげられます。

■ 疑問視される利点

バタアン原発を復活し、原子力というオプションに手を出すことは、大多数の民衆にとって大変な不利益をもたらすことにつながるでしょう。なぜなら、原発の推進側は真実を捻じ曲げて伝えているからです。

エネルギー省のデータによると、わが国の総発電量は900万kWで、電力需要を上回っています。とすれば、バタアン原発を復活したり原発を導入したりすることにはそもそも何の理由も見出せません。また、地熱、風力、水力などの再生可能な資源はまだ枯渇してはいません。なぜ不必要で望まれもしないエネルギー源のために、さらに民衆から金を搾り取ろうとするのでしょうか?

また、「原発で発電する電気は、はかれないほど安い」という言説が真っ赤なうそであることが証明されています。実際には、原発は維持費がより高額にならざるをえず、原子炉を動かすためにはウランを輸入することが不可欠になるのだから、私たちは石油依存からウラン依存へと変わるだけなのではないでしょうか。

バタアン原発を復活させたり核プログラムを導入したりすることを正当化する論理的な理由はどこにも存在しません。過去にバタアン原発を拒否するときに用いられた理由が、今日も説得力を持っているのです。

わが国に原発が建設されれば、人々は終わることのない危機の状態の中に置かれることになるでしょう。

■ 核のないフィリピンをめざすキャンペーン
        ー非核バタアン運動ネットワークの構築ー


「非核バタアン運動ネットワーク」は、80年代にバタアン原発の運転に反対するフィリピン民衆の戦いの最前線であった「非核バタアン運動」― これはまさに、共通の目的によって強く連帯した民衆の力の輝かしいシンボルです ― から派生したものです。

バタアン原発を復活させ、さらに原発を建設しようという政府の動きを受けて、バタアン原発反対運動を担ったベテランたちと現在の反原発活動家らが、核のないバタアン、核のないフィリピンをめざす民衆のたたかいを率いることに、再び挑戦しようとしているのです。

これは、バタアンやその他の地域で核の怪物を解き放とうとする邪悪な筋書きを阻止しようとするキャンペーンです。

2009年に再び結集して以来、このネットワークは、より効果的な情報提供のための基盤を築き、地元政府、宗教のグループや地域に根ざしたその他の組織から、バタアン原発を閉鎖し核のないフィリピンを実現するためのとりくみを深める支援を取り付けることに成功しています。

さまざまな形態の反対行動を行なってきました。たとえば、請願署名、吹流しを掲げる、決まった時刻に鐘を鳴らす、議会でのピケ、ピースサイクリング、キャラバン隊、反核コンサートなどです。こうしたさまざまな行動を通して、一般の人々の良心に訴えかけ、政府が原発導入の選択肢を放棄し、バタアン原発を完全に閉鎖する決断をするよう政府にプレッシャーをかけることをめざしています。なかでももっとも大きなイベントは、2009年6月20日に3000人が参加したバタアン原発反対キャラバン行進でした。これは、1985年6月のゼネストを記念して行われたものです。

私たちのキャンペーンにおいては、支部の構築が非常に重要な側面です。2009年のキャンペーン期間を通して、非核バタアン運動ネットワークの支部があちこちに結成されました。ルソン中央部、ルソン北部、セブ島などに、地域本部が設置されました。「非核バタアン運動・若者ネットワーク」のように、分野ごとのネットワークも形成されています。

バタアン原発復活も、原発を導入する政策も、人々にとっていかなる利益ももたらしません。論理的な代替案は、それらに反対することしかありません。

核の怪物がうろつきまわる限り、非核バタアン運動ネットワークは闘い続けます。バタアン原発に反対する歴史上の勝利が勝ち取ったものを守るために。怪物の復活を許さず、棺に閉じ込めて永遠に封印するために。

私たちは、バタアン原発に反対する! 核に反対しよう!



ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.107もくじ

              
 (10年12月20日発行)B5版28ページ

● 「2010韓日市民社会反核フォーラム」報告 (イ・ホンソク) 
        
●韓日市民社会反核フォーラムに参加して (安達由起)            

●フィリピン・カントリーレポート (非核バタアン運動ネットワーク)  

●タイ・カントリーレポート (AEPS)

●「完成できない第四原発は遊園地にすべきだ」 (陳炯霖)   
       
●上関原発を止める抗議行動の現場から (渡田正弘)     
       
●美しい能登から原発がなくなる日まで (高橋伸二)    
         
●インドのシン首相宛の手紙   
         
●「ベトナム原子力発電所建設のためのフィージィビリティ・スタディに
   関する要請書 〜原発輸出に関する日本政府支援について〜 」

●青森県・六ヶ所村への探査 (陳威志)
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