ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.101より
カヤック隊に参加して 林純一郎(虹のカヤック隊) 虹のカヤック隊(撮影/東条雅之) ● 頭に染みついていた原発 私は田布施町に生まれ育ちました。上関町は近いので上関原発のことは子供のころから知っていました。中学校の社会の授業で日本にはまだ核廃棄物の処理場ができていないことを知りました。そのとき初めて原発に対して「おかしい!」と思い、「青森県上北郡六ヶ所村」という地名は頭に焼きつきました。でもそのときはまだ子供で何をすることもできませんでした。 それから20年がたち、祝島の反対運動を記録した1冊の本に出会って衝撃を受け、何か自分にもできることをしなければ!と思いました。原発のことを勉強し始め、反対運動の人たちと少しずつ知り合っていきました。 ● 田名埠頭での阻止行動 09年9月10日、中国電力の工事に対する反対派の阻止行動が田名埠頭で始まりました。初めは行くつもりはなかったのですが、私の家は田名埠頭まで直線でわずか2km、マスコミのヘリやセスナが飛び交っているようすがずっと見えていたので、気になって見に行きました。祝島の人たちの抗議のようすを初めて目にして、初めは見守るだけで参加する勇気はありませんでした。 9日目になって、祝島の人たちが阻止行動を終了するという話を聞きました。これで工事が進められてしまうのかと思うと焦り、今まで祝島頼りだった自分に気づき、自分たちで阻止行動をやろうと決心しました。 ● カヤック出艇の決意 祝島の船が来ないことになっていた日の早朝、田名埠頭には若者を中心として十数人が集まりました。組織的に集合したのではなく、それぞれが話を聞きつけて自分の意思でやって来た個人の集まりです。 今までは約30隻の祝島漁船団が中国電力の船を阻止していましたが、漁船が来ないということはシーカヤックだけで阻止しなければなりません。カヤックは10艇ほどしか出せず、集まった人たちもカヤック初心者が多いので、実際に阻止できるのか不安がありました。今まで祝島が完全に阻止してきた工事を、部外者のカヤッカーが勝手に引き継いで工事を許してしまうぐらいなら、やらない方がいいのではないかという意見もありました。 でも、集まった人たちは、祝島のためにではなく自分の問題として「工事を止めたい!」という強い意思があったので、みんなで出艇することを決意しました。 ● みんなが団結した日 その日は祝島のお父さんたちの漁船団も、お母さんたちの陸上部隊もいません。10艇ほどのカヤックと、陸上に集まった約30人の反対派だけです。祝島がいないせいか、中国電力はものすごく高圧的でした。カヤックに1艇ずつ近づいて「あなたの名前は? ここにいる目的は何ですか?」と責めるように言ってきます。推進派の漁船も嫌がらせに来ました。そのうち海上保安庁の巡視船もカヤックに対して警告し、「もうダメか」と思いかけましたが、直後の中国電力の危険行為によって私たちは逆に結束しました。陸上からも中国電力の危険行為に対して抗議の声を上げました。 そんなようすをテレビで見たり直接電話で聞いた祝島の人たちが、急きょ駆けつけてくれました。そして私たちの無事を確認した後、中国電力に対して猛抗議してくれたのです。私たちは祝島に助けられ、祝島も私たちの行動を喜んでくれ、お互いに手を取り合って頑張ろう!という信頼関係が生まれました。漁船とカヤックからお互いに「ありがとーーー!」と手を振り合うシーンは感動的でした。 ● 阻止行動の広がり 「虹のカヤック隊」結成後、インターネットや人づてに情報が広まり、全国からカヤッカーが集まり始めました。カヤックを愛する人は自然を愛する人なのです。カヤック未経験者も、田名埠頭に来て練習して上達していきました。炊き出しなど陸上で支援してくれる人も集まってきました。 仕事の合間に1週間とか、仕事を犠牲にして何ヶ月も滞在する人もいます。今までにカヤック隊に参加した人は40人を超えています。地域も、山口県内では10市町村、県外では広島、愛媛、香川、高知、徳島、大分、兵庫、大阪、和歌山、京都、愛知、東京など、広範囲に及んでいます。短期の応援を含めるともっと多地域になります。本当にいろんな地域の多くの人が反対していることを実感し、嬉しく思います。 ● 下請け業者とのぶつかり合い 交通の便が非常に悪い田ノ浦へ阻止行動の場が移り、来訪者がガクッと減りました。田名埠頭では毎日来ていたマスコミや海上保安庁、中国電力さえもほとんど来なくなりました。田ノ浦にいるのは反対派十数人と遺跡発掘の人たち、そして反対派が対立している中国電力の下請け業者です。 この「人の目が少ない」状況で、中電側は田名埠頭のときとうって変わって安全を無視した強引なやり方で作業を進めてきました。私たちも抗議するだけではその状況を止められないので、体を張って阻止します。けが人も出ました。 しかし、私たちがいくら抗議をしても相手が下請け業者では話が通じません。業者は中国電力に指示されて工事をしているだけなのです。中国電力と反対派に挟まれて、業者の人が気の毒にさえ感じてきました。私たちは業者の人と話をし、「原発の仕事から手を引いてくれたら全力で応援しますよ」と提案したこともありました。魚を釣ってあげた人もいるそうです。下請け業者も地元であり、敵ではないのです。誰かが言った言葉が心に残っています・・・・「みんなが幸せにならないと意味がない」と。 ● 持久戦へ 今は中国電力から指示がこなくなったらしく、業者は作業を始めるようすがありません。でも現場のようすは監視されているので、反対派がいなくなったらすかさず作業が始まると思われます。工事を進めさせないためには毎日浜に姿を見せる必要があります。 田ノ浦は27年前から祝島が阻止行動をくり返してきた場所です。これまでは田ノ浦の阻止行動のようすが報道されることはほとんどなく、周辺市町村の住民にも知られていませんでした。そんななか阻止行動を続けてこられた祝島の人たちには頭が下がります。今回は田名埠頭のようすが連日報道され、インターネットでも反対派が積極的に情報を発信し、多くの人が阻止行動のようすを気にかけています。 田ノ浦には祝島に代わって若いカヤック隊が常駐し、祝島や本土の支援者と協力して阻止行動を続けています。今までは報道や推進派は「上関原発に反対しているのは祝島」という言い方をしてきましたが、もうそういう表現はさせません。反対運動は確実に若い世代に引き継がれていっています。 10月2日には上関原発反対の署名61万人分が経済産業省に提出されました。地元、周辺市町村、そして全国61万人、こんなにもたくさんの人が反対しているのだから、原発の是非に関係なく上関原発は建てるべきではないと思います。私たちは「一部の反対派」ではなく「反対派の一部」なのです。これからも61万人の代表として、毅然とした態度で反対運動を続けていきたいと思います。
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