日弁連 台湾調査報告

  第1章、第3章1〜4の抜粋、第3章5、第4章の全文を掲載します。
 


台湾の原子力政策 調査報告書
2002年6月6日
日本弁護士連合会
公害対策・環境保全委員会



第1 はじめに

「この報告書は、台湾における2度の調査(2001年3月11日から13日までの3日間の非公式の予備調査と、同年8月29日から31日までの3日間の本調査)をもとに作成したものであり、アジアで初めて政府の方針として脱原発へ動き始めた台湾の現状を明らかにして、2000年の日弁連人権シンポで議論され、その後の人権擁護大会で決議された脱原発への道を追求するための参考資料とするためのものである」
「調査団は、岩淵正明、津留崎直美、海渡雄一、河合弘之、杉山繁二郎、斉藤睦男、浅石紘爾、青木秀樹、栗山知、高橋耕、首藤重幸、橋本明夫、高見健次郎」
「政府機関、電力会社、各政党をほぼくまなく回り、第4原発の現地も訪れた」
「地元の人から、この地はもともと自然豊かな砂浜で、それが建設のために破壊されているとの説明を受けた。また、この土地は日本が侵略の際に初めて来た地であり、この土地の原発に日本から原子炉が輸入されるというのは再度の侵略であり、是非とも食い止めるために協力して欲しいとの要請もされた」

第2 台湾のエネルギー・原子力政策の現状と第4原発(略)

第3 台湾の現状から得られる教訓と
台湾におけるエネルギー原発政策の問 題点


1.日弁連の意見の視点(略)

2.着実に進行しているアジア初の台湾の 脱原発

「民進党は、第1原発をまず2010年までに閉鎖するとし、その他の原発の廃炉時期についても経済部の提案する商業運転開始後32年は長すぎるとし、行動要領では、 10年以内に現有の原発を閉鎖するとしている」
「これまで原発を推進してきた国民党も、第4原発は推進するが、新規原発建設はせず、第1〜3原発は順次廃止することを現在の政策としている。国民党の特徴は、原発の廃炉時期を運転期限の商業運転開始後40年とし、他の政党よりも長期であるだけである」
「親民党では、原発の必要性を強く唱え、第4原発の建設続行を主張する。 しかし、第1〜3原発は順次廃止されることや第4原発以降の新規原発の建設がないことには親民党も同意している」
「緑の党は、商業運転開始後32年で廃炉とする計画を長すぎると批判し、即時廃止を求めている」
「台湾電力は、国営企業のため、現在では民進党政権の政策に従い、第4原発以降の新規原発の建設は予定せず、第1〜3原発の廃炉についても、当初の40年の予定を変え陳政権の提案に従い32年で廃炉にするとしている」
「台湾環境保護連盟は、即時停止は無理としつつも、32年より早期の閉鎖を求めている」
「以上の概観から明らかなように、第4原発の建設の是非については意見は別れるが、第1〜3原発の順次廃炉と第4原発以降の新規原発の停止とする脱原発政策はすべての政党や団体の一致した政策であり、これに反対する政党はない。現在の焦点である第1〜3原発をいつから廃止するかについては、経済部の提案の商業運転開始後32年で廃炉とする案を中心として検討される状況にある。この32年は、ドイツで決められた原発廃止年限と同一である。台湾での脱原発は、確実に進展しているのである」

3.台湾の実情から参考にできる点(略)

4.原子力安全、環境保全の国際水準からみた問題点

(1)原子力安全審査の問題点

A 第4原発をめぐる安全規制
「安全規制の活動として目立つのは、監察院の活動である。1985年7月9日、行政院に対し、第4原発の建設については十分慎重に検討するよう要求した。1995年8月15日、 第4原発が出力100万kWから135万kWに変更されたとき、十分な調査をしないで変更されたので、原子能委員会に再調査を求めた。1999年4月23日、 建設許可を再検討すべきである。環境保護監督委員会をつくるべきである。という糾正案が原子能委員会と環境保護署に対して出された。
これらに対する原子能委員会の対応は、委員会を開かずに電話連絡で済ませたことなど慎重な手続をとらなかったことは問題であったが、技術面では問題はなかったというものであり、環境保護署の対応は、第4原発の環境アセスは6〜7年前に既に終了しており、温排水以外の問題は原子能委員会の所管であるというもので、いずれの機関にも第4原発の安全規制を慎重に検討するという姿勢は見られない。
第4原発をめぐる安全規制の動きを見る限り、十分に安全規制を検討すべき安全規制機関が存在しないと考えられる」

(2)耐震設計・地震断層の調査・分析

「原発付近の地震断層の調査については、第4原発建設地には6本の断層が通過していると言われているが、台湾電力の報告書ではこれらの断層はいわゆる『活断層』ではないとされている。しかし、これらの断層が『活断層』であるかどうか専門家による科学的調査がなされているかは疑問である。
ある特定の断層がいつ、どの程度変位したかを調べるのに、『トレンチ掘削法』がある。『トレンチ掘削法』とは、断層を横切ってトレンチ(溝)を掘り、直接断層によって切断された地層の年代や切断された大きさ(長さ)を測定することにより、過去の地震の時期や規模を知る方法であり、この方法は過去の断層の活動を調べるのに有効な方法と言われている。
原発建設地の近傍にある断層については、このような科学的手法により、その断層がいつ、どの程度の規模の地震を起こしたか調査すべきである」

「台湾においては、1999年9月21日の台湾集集地震で大きな被害を被ったにもかかわらず、原発の耐震設計指針の再検討はなされていないようである。台湾では、耐震設計を含めた安全審査は原子能委員会が行っているが、原子能委員会は台湾集集地震で既存の原発にほとんど被害がなかったことを挙げ、今までの耐震に関する調査が正しかったと言うが、もっと原発に近い所でこのような大地震が発生した場合、原発の安全性に問題はないのであろうか。このような点からも、耐震設計指針は常に最新の知見をもって見直すべきであり、このような大地震で得られた研究成果を反映した耐震設計指針とすべきであろう」

「また、2000年8月頃、第4原発から半径20〜80kmの範囲に11の海底火山(活火山)が新しく発見された。火山の近くに原子力発電所を建設することは、火山の地熱・噴火・火山性地震(群発地震)等から重大な被害を被る蓋然性が高く、非常に危険である。この第4原発周辺の海底火山の噴火・地震等による第4原発への影響や安全性も十分に調査されなくてはならない」

(3)環境アセスメントの問題点

「監察院は、1999年5月9日に通過させた第79号糾正案により、行政院の関係機関に対し、次の点につき改善するように要求した。『行政院原子能委員会の原子炉の等級に対する分類に問題がある。環境調査審査委員会が審査を通過させた原子炉は100万kWのものであった。しかし、その後、原子能委員会は台湾電力が第4原発の出力を135万kWへと引き上げる検討報告をした当日に、権限を超えて、行政上の手続きもないままに許可を出してしまった。なお、世界的にも、改良型沸騰水型原子炉の実績がないにもかかわらず、台湾電力はそれを強行採用した。原子能委員会と環境保護署は第4原発の135万kWへの変更という容量拡大に伴う新しい環境影響調査を行っていない。行政院はまたその所属機関の監督、改善指導を行っておらず過失があった』」
「・・・…このように、第4原発についての環境アセスメントは未だ不十分なままである」

(4)放射性廃棄物の処理・処分の問題点

「放射性廃棄物の処分に関する法律は制定されていない。
原子能委員会(原子力委員会)の設置を決めた法律はあるが、原発の建設、運転、廃棄物処理、処分に関する事項は全て行政命令で措置されている。
原子力安全に関する国内法規は存在せず、放射能災害対応計画も存在しない。
台湾の放射能災害の補償金額の上限は42億台湾元(約150億円)と極めて低額である。
放射線漏れの安全基準は国際基準に比べて5倍の緩さである。
放射性廃棄物の処分を含めて原子力に関する法律案が立法院に提出されているが、審議は始まっていない」    (以上、抜粋)

5.輸出手続の問題点  (以下、全文)

(1)台湾政府自体が過去において核武装の計画を持っていたこと

台湾政府は国際法上極めて特殊な法的地位にある。最近まで台湾における政権政党であった国民党は、中国全土を領土とする中華民国を名乗っており、中国本土は中国共産党が不法占領している状態であると主張してきた。しかし、このような主張は国際社会の中で受け入れられなくなっており、国連においても、中華人民共和国が議席を占め、台湾政府は国連の加盟資格も失っている。
他方、台湾における国民党の軍政は1987年の戒厳令の解除によって終わりを告げ、現在の大統領は台湾独立を掲げてきた民進党の党首である陳水扁氏である。
このように、核武装国である中華人民共和国と長い軍事的な対抗関係にあった台湾政府が、核武装の計画を持っていたことは、国際社会においては、いわば、公然の秘密と言うべきものであった。台湾における国民党政権下の性急な原子力開発はこのような核武装計画との関連抜きには理解できないものである。
このことを台湾における核開発に関与した当事者に綿密に取材してまとめ、実証的に論証したのが、世界で最も権威のある核関係の科学雑誌「ブレティン・オブ・アトミック・サイエンティスト」の1998年1/2月号に掲載されたディビッド・オルブライトらによる「台湾:回避された核の悪夢」である。

(2)「台湾:回避された核の悪夢」に分析された台湾の核武装計画

1995年7月に中国が台湾近海にミサイルを試射した直後に李登輝総統は国会で、「我々はこの(核兵器の)問題を長期的な視点から再研究しなければならない」「我々がその計画を持っていたことは周知の事実である」と述べた。
この論文によると、台湾は中国が1964年に最初の核実験を行った後に、核兵器プログラムに着手した。1967年には国防部が核兵器の開発のために1億4千万ドルの予算を提案した。この計画は中山科学院によって作成された。当時台北の中央研究院の前委員長であり、当時の台湾国家安全会議の科学発展顧問委員会の主任委員であった呉大猷はこのような計画についてコストがかかりすぎると言う理由でこれに反対したという。呉はこの事実をこの論文の筆者のインタビューに直接語っている。核エネルギー研究所(INER)がカナダから輸入した天然ウラン重水減速炉(1969年に開始され、1973年に稼働をはじめた)が核開発計画の中心となった。このカナダ炉はインドにおいて、1974年の核実験用のプルトニウムの生産に使用された炉と同型のものであった。
1970年頃この研究炉の隣の「熱実験室」で再処理施設の工事が始まった。1970年代半ばまでに「プルトニウム燃料科学実験所」には金属プルトニウムを取り扱うことのできる設備が設置された。1974年にCIAは台湾政府が明確に核兵器の開発を志向していること、5年程度の内に台湾は核兵器を製造できる立場にあるとレポートしていた。
IAEAの査察長官ルドルフ・ロメシュは1976年5月にINERを訪問し、プルトニウム燃料科学実験所にも立ち入った。そのうえで、台湾の核開発の計画が台湾の利益をもたらすかどうかを再考するように求めた。1976年7月にはIAEAはINERに大規模な査察を実施した。これらの査察をうけて、当時首相であった蒋経国はアメリカ大使に対して、台湾が独自に再処理施設を保有したり、再処理に関連する如何なる活動にも関与しないことを約束した。
しかし、その後もINERは1987年にこの約束を破ってMutiple hot cell facility という名の再処理施設の建設をはじめた。この建設は蒋経国の意思によって始められた。
1988年1月、INERの副所長張憲義はCIAの助けを借りてアメリカに亡命した。アメリカがこの施設が秘密の再処理施設であることを知ったのは張からの情報によるものと推測されている。
1988年3月、台湾はIAEAに対してこの研究炉を軽水炉に転換するために閉鎖すると伝えた。この転換工事は進んでおらず、1997年の段階でも工事の進捗は初期のままである。

(3)政府が計画が存在したことを認めておらず、これを放棄したことが確認できていないこと

このように、台湾政府が過去において核武装の計画を持っていたことは、ほぼ確実な事実として認識できる。現在の陳大統領の率いる台湾政府が核武装の計画を持ち、これを実施しているという証拠はない。しかし、過去に核武装を計画した勢力の影響が政府から一掃されているとみなすこともできない。
第一に指摘しなければならない事実は、このような決定的ともいえる証言や論文の発表にも係わらず、現在も台湾政府は公式には過去に核武装を計画していたことを認めていない。
これに対して、スイス政府は冷戦時に核武装計画を持っていたことを公開している。スイスは各地に核シェルターを作るなど核戦争対策を積極的に押し進めてきた国として有名であるが、最近スイスにおいて1988年まで、核武装の計画が現実的な政策として検討されていたことが明らかになった。スイス連邦軍図書館に保管されていた文書によって、1946年に設置された原子力委員会は核武装を視野に入れて研究を開始し、74年には原子爆弾の設計に必要な研究を終了し、中性子爆弾についても研究していた。86年の段階で2年以内に核保有が可能と判断していたが、1988年に至ってソ連の外交政策が変更されたとして核武装計画を中止したという。
スイスのような小国が原子力開発に熱心に取り組んできた背景には核武装への志向が隠されていたことが判明したのである。
台湾政府の核武装の計画が過去のものとなったと国際社会において評価されるためには、スイスのように、政府自らが過去の核武装計画を進んで公表し、計画が確実に放棄されたことを確認できることが必要であろう。

(4)台湾は核拡散防止条約を批准していない

台湾は核拡散防止条約を批准していない。この点については、原子能委員会でも説明されたように、台湾としては批准をしたくとも、中国政府の反対によって不可能という事情は理解できる。しかし、現実に条約を批准していないと言うことは、国際法上その規制の下に置かれていないと言うことを示している。

(5)核爆発用に転用しないと言う確約がなく、IAEAの保障措置も義務づけられていない

核物質の輸出に際しては核拡散防止条約の遵守とロンドンガイドラインを尊重しなければならない。必要な規制は、@平和利用目的・非爆発利用目的であること、AIAEAによる保障措置を受け入れること、B核物質防護措置を受け入れること、C第三国への移転を制限することの4点である。
核拡散防止条約第3条はIAEAと保障措置協定を締結するように義務づけている。しかし、日本と台湾の間には国交がなく、二国間の原子力協定が存在しない。条約上、原子力施設の移転には輸出国は受け入れ国から核爆発用に転用しない確約を取り付けることが求められている。しかし、日本と台湾は国交がなく、日本は中華人民共和国を唯一の中国政府とする外交的立場をとっている。
そして、現状は、我が国の外務省はアメリカ国務省から在米日本大使館宛の口上書によって、台湾政府が輸出された原子炉が核兵器開発用に転用されないことを確認したという立場に立っている。原子炉機器の輸出について許認可の権限を持っている経済産業省もこのような見解に立っているものと考えられる。
しかし、この口上書はアメリカ政府から出されたものにすぎず、台湾政府の公式の外交上の約束とは認められない。また、第二項は「IAEAが台湾の核施設や核技術に関する保障措置を確保しない場合、アメリカ政府は保障措置を執るよう日本政府と相談する」とされており、台湾政府が常にIAEAの保障措置を確保するという前提に立っていない。

(6)IAEAの事実上の査察を受けているとされるが、その法的な根拠が不明確

今回の訪問時の原子能委員会での説明によれば、「台湾とアメリカ原子力委員会ではNIC条約がある。台湾は国連のIAEAの監督も受けている」という回答がなされた。日本と台湾との二国間には正式な原子力協力条約はない。台湾の原子力設備についてはIAEAの監督を受けているという説明が繰り返しなされた。アメリカとの条約に基づく事実上の措置と考えられるが、台湾政府がIAEAの保障措置を義務づけられているわけではない。このことは、前述した口上書にも示されているとおり。

(7)まとめ

過去にインド政府はカナダ原子力公社から輸入した重水炉を用いて、核開発を行い、核兵器を製造した。もし万が一、今後、日本から輸出された原子炉を利用した核武装の計画が明らかになれば、我が国の核拡散政策に国際的な強い批判が起こることは避けられないであろう。少なくとも、過去の核武装計画の存在を台湾政府が認め、その放棄を国際社会において明らかにしない限り、台湾に対する核技術の輸出は認めるべきでない。

第4 まとめ

1  2度にわたる台湾訪問は、わが国での脱原発への展望を見いだすのに有意義であった。第4原発問題では揺れ動きつつあるものの、台湾は着実に脱原発の道を進んでおり、長く政権党であり、今もなお大きな支配力をもっていると思われる国民党ですら脱原発を言わなければならない社会状況は、大いに参考となった。

2 2000年5月に民進党の陳総統は、第4原発の新規発注を中止するとともに、賛否同数の有識者で構成する「再評価委員会」を発足させ、環境・エネルギーなど全体の見地から3ケ月にわたり公聴会で建設の是非を検討したが、この検討の過程はテレビで公開され、世論の形成に寄与した。
このような、国のレベルの原発政策の公開討論など日本では見られない。台湾の民主的かつ公開の討議はわが国のエネルギー政策を考える場合に大いに参考にすべきである。

3  台湾では、監察院が1999年に、第4原発の建設に関して原子力委員会の建設許可手続きが不適切であったとして糾正案を出している。その他2回にわたり第4原発に関する糾正案が出されている。この監察院は中立的立場で行政の監視を行う機関であるが、このシステムも日本での原発政策監視のシステムとしても参考となる。

4  今回の日弁連調査では、幾つかの行政機関の方々と面談したが、面談者のエネルギー・原発に対する考え方は実に多様であった。これまで原発の推進機関の中心であった台湾電力の理事の1人が脱原発の立場であったことなどが典型的事例である。推進機関のメンバーには、脱原発のメンバーがいない日本とは異なる実態である。多様な意見をエネルギー政策に生かす知恵は日本でも参考とすべきである。

5  他方、台湾では、原子力に対する安全審査や環境アセスメント及び放射性廃棄物の処分政策の不十分さが目についた。しかし、それはほとんどがわが国にも当てはまることであり、他山の石として日本でも一層慎重な対応が望まれる。

6  またそのような中で原発の原子炉など 主要機器が、過去に核武装計画を持ちかつ核拡散防止条約の未批准国でありIAEAの保障措置も義務付けられていない台湾に対し、日本から輸出されていることは、あらためてわが国の輸出手続における問題点を考えさせられるものである。

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