ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.52 より

第9回ノーニュークス・アジアフォーラム

第九回 ノーニュークス・アジアフォーラム (2001)
           
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●ソウル

 9月9日夜、ソウルのコ壽宮に近いフランチェスカ教会に各国、韓国各地からの参加者が到着。昨年の日本フォーラム以来1年ぶりの人、第2回韓国フォーラム以来7年ぶりの人、そして初めての出会い。反原発という共通点があるのですぐに仲良くなれる。1週間、行動を共にしたら古くからの仲間のようだ。アジアフォーラムならではのことである。
夕食後、明日からここで始まるフォーラムのガイダンスと自己紹介などが行われた。司会の青年環境センターのファンさんをはじめ韓国のスタッフ(とくに都市部の人)はみな若い。継続、継承という面で問題はあるが、日本とはだいぶ違い、うらやましい。

北京からの初の参加者も若者2人で、グリーンピースの彼女は20歳そこそこ。Tシャツの背中の「緑色和平」の文字がひときわ目立つ。もうひとりは「太平洋環境」というNGOの男性。この2人にフォーラムの期間中にいろいろ聞いてみたところ、「北京のグリーンピ−ス事務所は香港の事務所を移して出来た」「海外からの資金援助の疑いで弾圧を受けたことがある」「今回のフォーラム参加は問題ない。政府の方針に反することを発言していないから」とのこと。「中国は広いので、一歩一歩やっていく」と反原発を主張せずに再生エネルギー普及のための活動を進める彼らの活躍を願わずにいられない。

10日のシンポジウムは、環境運動連合のチェ・ヨル代表のあいさつから。
「今回のフォーラムは各現地の人々の運動を活性化させ、そして韓国の原発反対運動を強めることになるだろう」

各国の報告から。(以下、シンポでの報告者の敬称はすべて略)

宮島信夫「教科書問題、靖国参拝で明らかな日本政府の方向とプルトニウム利用政策、原発輸出政策に反対することが重要」

 サンガミトラ・ガデカー医師(インド)  「インドには12基の原発があるが、とくにラジャスタン原発(CANDU炉)やジャドゥゴダ・ウラン鉱山の周辺住民、子どもたちに病気や障害が現れている」
(サンガミトラさんは、腫瘍等の多発を疫学調査で明らかにし、その症状をスライドで紹介するので説得力がある。この後、現地交流でたびたび報告が行われることになった)

ウェン・ボ(中国)「4基の原発が稼動中。20基の建設計画が発表されている。核問題に関しての報道範囲は極めて制限されている。まれに原子力設備の業績が紹介される程度だ」
イ・ピリョル(韓国放送通信大学)「16基の原発が稼動中。過去に月城、霊光でメルトダウンになりかねない深刻な事故があった。政府・原子力委員会は第2次原子力振興総合計画(2002〜2006年)を確定した。その内容は、『2006年までに蔚珍5・6号、霊光5・6号の建設を完了、計20基の原発を運転。さらに新古里1・2・3・4号機、新月城1・2号機等計6基の追加建設に着手。中低レベル廃棄物処分施設を2008年までに、使用済核燃料の中間貯藏施設を2016年までに建設して、原子力技術と機資材の輸出を拡大』というものだ。これを許すことはできない」

パン・ハンチャン(台湾)「3ヶ所に計6基の原発がある。日本から輸入する第四原発は最大の政治問題の一つで、揺れている。核廃棄物を海外に輸出しようとする動きもある」

ピエ−ル・デ・ライク(WISEアムステルダム)「この30年間の経験で原発は経済的でも、安全でもないことは明確になった。が、『地球温暖化防止のため』という新たな口実しかし、衰退する原子力産業の復活につながるおそれがある」

イム・ソンジン(全州大学)「反核運動と新エネルギー促進を同時に進めなければならない」

この後、討論。さらにグループに分かれての討論を行った。
                     
 11日は、3・1独立運動のタプコル公園(パゴダ公園)前で集会を行う。公園前には日本帝国時代の蛮行を告発する写真が掲示されている。マスコミも大勢取材にきた。デモを行い、商店街の中で総括集会を行った後、約50名の参加者はバスに乗って霊光へ移動した。

●霊光(ヨングァン

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 バスで5時間ほど高速道路を走り、霊光に到着。体育館で「核廃棄場決死反対霊光郡民文化マダン」が開かれ、200名ほどの住民が参加。光州からもあの全南大学の学生をはじめたくさんの人が来ていた。昨年の日本フォーラムに霊光から参加した4名が忙しく動き回っている。

 霊光は、現在稼動している1〜4号機の温排水で漁業被害を受けており、漁民、農民の強い反対を押し切って、5、6号機が建設され稼動準備中である。また、核廃棄物処分場の候補に上がっている所でもある。住民たちはこの1年間、核追放協議会と並べて核廃棄場反対対策委員会を組織しさまざまな活動を行ってきた。この8月も500あまりの村々を対象にした懇談会を行ったという。

文化マダンでは、パンソリや円仏教の学生コーラスなど出し物が続き、唄で反対を訴えていた。最後はサムルノリにあわせて全員で踊った。


 深夜、世界貿易センターのニュースを聞き、誰もが言葉を失った。このような暴力は決して許されない。しかし私たちは戦争反対だ。ブッシュ政権の戦争政策とミサイル防衛と原発推進政策は一体のものでもある。

 翌12日午前中のシンポジウムは核廃棄場問題をテーマに行なわれた。韓国は霊光核廃棄場反対対策委員会のキム・ヨングク、日本は末田一秀、台湾はパン・ハンチャン(各敬称略)が、韓日台それぞれの状況とたたかいについて報告した。

昨年の第8回フォーラムで、次回開催国として韓国が立候補した理由は、2001年の夏が核廃棄物処分場反対闘争の山場になるのではないかという予想からであった。
 この10年間、推進側は、核廃棄物処分場建設地を強引に選定しては、アンミョン島、クロプ島など各地住民の激烈な反対闘争を招き、8戦8敗してきた。そこで推進側は昨年より、250億円の「地域支援金」をエサにした公募方式に切りかえ、今年6月末を締め切りとした。誘致委員会の工作が活発だったのは全羅南道の霊光、康津、珍島、全羅北道の高敞だったが、いずれの自治体も反対運動により誘致にいたらなかった。
 推進側は大統領選挙後の2003年、再び強引な選定を行ってくるのではないかといわれている。

●月城(ウォルソン)

 またバスで移動。朝鮮半島の西海岸から東海岸への横断だ。目指す慶州(キョンジュ)は新羅の首都だったところで観光地。ところが、夜になって到着した慶州の大きなホテルの立ち並ぶ地域は当然通過。慶州の街を出てしばらく走り、やっと小さな集落についた。月城原発現地、ヤンブク面という村だ。

 民家で食事を頂き、役場の2階で交流会が始まったのは午後9時に近かった。こちらの参加者が簡単に紹介された後、地元のえらいさんが地元来賓を一人一人紹介する。慶州は古都だけに昔の貴族の流れを汲んで保守的な土地柄だと聞かされてはいたが、大仰だ。

4基の月城原発(CANDU炉)が稼動中。99年は3号炉で重水漏れ、22人の労働者が被曝。昨年は1号炉で重水漏れ、4人の労働者が被曝。ここに、さらに2基の増設計画がある。ところが、最近になり活断層が見つかったという。そこで、地震の問題について菅井益郎さんが話をしたが、やや長くなった話が終わって司会から飛んできた質問は、「学者はどの国でも話が長い。日本では補償金がもらえるのはどの範囲でいくらか?」というものだった。

 翌日13日は、その月城原発ゲート前で抗議集会だ。トラック2台で作られた舞台の上には例によって地元の来賓が並び、代表に送り出された北野進石川県議は後ろの席、7〜800名の住民と私たちは地べただ。何度もシュプレヒコールの練習があった後に、最初に韓国国旗の敬礼で集会が始まった。どうしたらいいか戸惑ってしまう。次ぎに反対運動に貢献したという二人の表彰式。受賞理由を聞くと、逮捕されてまで頑張ったことだそうだ。昨日の司会のえらいさんが主催者挨拶を始める。これが長い長い。昨日、菅井さんの話が長いと批判したのはあんたじゃないか。通訳の金福女さんもくだらないことを言っているからと途中で通訳を放棄。演説で訴えていたのは、「霊光では690億ウォン(約69億円)の補償金を受け取っているのに我々は一銭も受け取っていない。我々にも補償金をよこせ」ということだそうだ。増設反対の集会と聞いていたが・・・・。そういえば、舞台の下の横断幕にも690という数字があり、この要求が書かれているようだ。小雨の降る中、昼時にまでかかる長い集会に参加している住民も大変だ。

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 補償金要求は、フォーラム参加者にとって強烈な印象となった。当然批判的な意見が多かったが、既設原発は軍事政権下に建設されており、補償金要求は地域にとっては無理もない。地域ボスの言いなりから住民が脱したときに本当の反対運動が生まれてくることだろう。そのことの必要性をこの集会への参加をコーディネイトした、韓国の反対運動のリーダーたちが一番感じたと思う。「反原発運動は民主主義を求める運動」(北野さん、コラソンさん)ということを違った形でストレートに見せてもらったのではないだろうか。

午後は、月城原発風下にある村(ヤンナン面)の消防署講堂でシンポジウムを行った。内容は、月城原発をめぐる状況(イ・チェグン慶州環境運動連合事務局長)、地震と原発の危険性(菅井益郎)、東海村臨界事故(藤野聡)、ロシアの国際的な放射性廃棄物処分場問題(アンドレイ・ペトロフ)など。
前夜の泊まりが小さな教会の礼拝室で、これでは眠れないと深夜2時ごろまで飲み屋に繰り出していたせいもあって、さすがにくたびれた。しかし、強行スケジュールは続く。

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●蔚山(ウルサン)

夕方から蔚山市の新古里(コリ)原発予定地、西生面(ソセンミョン)へ移動した。漁村だ。宿泊所となる公民館前には歓迎の人垣と横断幕が待ちうけていた。夕食後の遅い時間からまたしても集会が始まる。公民館に戻ってから果物やビールが用意され、交流会が続く。前夜の飲み過ぎでどちらかというと早く寝たい。しかし、これがまた大変。用意されている毛布は人数分にはるかに足りない。韓国の田舎では、大きな毛布に何人も入って寝る風習が最近まであり、ソウルからそのことを懸念して何度も念を押したのだけれどとスタッフは謝っていたが…。また、ここまでの宿泊場所で風呂のあったところは霊光のホテルのみ。他はたいてい水しか出ないシャワー設備だったが、ここにはそれもない。そこで、翌朝、サウナに案内してもらった。少し歩いたところに3階建の公衆浴場があった。日本のものと同じスタイルだった。

 14日は蔚山市街でシンポジウム。司会は昨年日本フォーラムに参加した民主労総反核特別委員会のイ・サンボムさん。新古里原発建設反対は大都市蔚山でも幅広い陣形でたたかわれてきており、市議会も市長も建設反対だが、現代自動車労組の元委員長で元市議員、昨年国会議員になりそこねたサンボムさん(ちっともえらそうにしない)が果たしてきた役割は少なくない。

反核議会対策委員会のキム・ムヨル委員長(蔚山市議会議長)のあいさつでシンポは始まった。
ユ・ソクファン蔚山大教授は「震度8以上の地震が10回以上発生しているヤンサン断層に隣接した蔚山に核発電所を建設するなら、蔚山石油化学公団とともに、連鎖的な大災害をひきおこす。核電新設をとめるのは私たちの生命、地球の未来を守ることである」と。
続いて、多くの報告があった。
「核エネルギ−を越える対案エネルギ−のシナリオ:日本」飯田哲也
「同:中国」マ・チャオ
「同:台湾」ガォ・ジンチワン
「同:韓国」ファ・ハックァ韓国エネルギ−対案センタ−理事
「台湾第四原発取消闘争の意義」ライ・フェンラン
「マレ−シアの原発放棄宣言」オイ・キムアゥン
「フィリピン民衆の反核闘争の経験」コラソン・ファブロス
「蔚山新規原発計画反対闘争の経過」ユ・ソクファン蔚山環境運動連合事務局長
「反原発運動と地方自治」北野進
「刈羽村住民投票の勝利」小木曽茂子
 蔚山で初めての国際シンポジウムということだそうだが、詰めこみ過ぎできつかったのではないだろうか。

 その後の屋外集会とデモは感動的だった。バスを止めた市役所に移動すると機動隊によって正門が封鎖されている。昨日泊まった公民館の放送設備で朝から集会参加を呼びかける放送が西生面では流されていたが、バス4台をチャーターして駆けつけた住民が正門前を埋めている。「蔚山新規核発電所計画撤回集会」が始まった。サムルノリの後、力強いアピールが続く。パク・ジュンソク民主労総蔚山地域本部長、コラソン、とーち・・・・。
雨の中を街宣車を先頭に、500名の長い隊列でデモを行い、解散地点前では交叉点でフランスデモまで行った。

 ホテルで行われた交流集会では別れを惜しんでの記念撮影大会。
キャンプ場の山荘に移動。まとめの会議(2001年反核アジアフォ−ラムの評価、共同声明採択、来年開催国決定)。
現代自動車労組のサムルノリ・サークルが来てくれて、またしてもみんなで踊ったり、歌ったり、深夜遅くまで最終の夜の交流は続いたのであった。

15日、ソウルへバスでもどる人、釜山空港から帰国する人、釜山で韓日交流会に参加する人、三方に別れる。
「来年台湾でまた会おう」と。

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