ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.80より
 5月の韓国


               金子貞男(原発のない住みよい巻町をつくる会)


 2年半ぶりに韓国を旅した。道づれはNNAF(J)事務局の佐藤さん、キム・ボンニョさん。5月24日ソウルに着いてみると、おりしも統一地方選挙の最中で、街には巨大な候補ポスターが壁面一杯いたるところに張り出されていた。

 原発問題に限っていえば、各地住民の反対闘争で20年にわたって阻止してきた核廃棄物処分場が慶州に決まり、関係者のあいだでは、一抹の落胆とともに新たな戦略を練り直しているようであったが、もうひとつの焦点である米軍基地の拡張は、平澤(ピョンテク)に軍隊を動員して強制収用が発動され、世論を揺るがしていた。まずはこの報告から始めたい。

  今年も種をまこう! 平澤市大秋里

 農地の強制収用は5月4日の未明から始まった。
子供ほど歳の離れた迷彩服の若者に杖を振るハルモニ。人々は小学校の分校に篭城し最後の抵抗を試みる。鉄条網を切断しようとした若者を軍人が追いかけ、捕まえ、羽交い絞めにする。パワーショベルが反対運動の拠点を無慈悲に壊していく。頭から血を流している人もいる。500人の市民が連行された。

 空を舞うヘリコプターは鉄条網をぶら下げている。警察と軍隊が動員された。その数は1万5千人。用水路が破壊され、27キロの鉄条網が集落を取り囲む。そのとき住民は80年の5月を思い浮かべたという。光州事件である。この剥き出しの暴力は日本でも大きく報道されたので、目にした人も多いのではないか。


           鉄条網で囲われたファンセウルの広大な農地

 平澤(ピョンテク)市大秋(テチュ)里。人々は平和と生命の里と呼ぶ。かつては日本軍の基地があった。住民の多くは、もともと現在キャンプ・ハンフリーズとなっている土地に住んでいた。朝鮮戦争期の1952年、米軍はここに滑走路を建設するため、拒否する農民には銃剣を使って追い出したという。そのため、住民たちはすぐ隣の現在の土地に家を建てた。

米軍に土地を奪われたため農地が不足し、何年もかけて近くの塩水湖を干拓した。最初は塩分を含んでいたため、うまく育たなかったが、時とともに塩分が抜けると、土が若いためよく育ったという。この地域は韓国でもおいしい米が獲れることで知られている。この干拓地はファンセウル(コウノトリの里)と呼ばれた。秋になるとコウノトリが訪れる。再び、里は米軍基地拡張のため強制収用され、広大な農地が破壊された。

米軍の戦略は何処にあるのだろうか。
 「5月初めにペンタゴンで会った国防総省の高位幹部は、駐韓米軍の戦略的柔軟性は譲歩できない原則であるとしながら、筆者にこの様に問いかけた。『北韓が南韓に侵攻するのに日本政府が駐日米軍出動に反対すればどうなりますか?』。 これに対して筆者は、『言いたいことは何ですか? 万一、中国が台湾を攻撃すれば韓国政府として駐韓米軍が投入されることに反対してはならないとう意味か?』と反問し、彼は『まさにそれだ』と答えた・・・・」。ジョン・ウクシク(平和ネットワーク代表)

 平澤はソウルから意外と近い。移転予定の竜山米軍基地を横目に漢江を渡り、南へ1時間ほどだろうか。5月25日、仁寺洞に近い公園で抗議のハンストを続けていたプアン聖堂のムン・ギュヒョン神父と一緒に大秋里に入った。村の入り口では警察が検問をしていて、「里帰りです」と告げると難なく通してくれた。

 強制収用後も続くキャンドル集会に参加する。集会はもう600日を越えるという。「今年も種を蒔こう!」といたるところで壁一面に大きなハングルの文字が書かれている。そして様々な壁画も。芸術家たちが集まり、平和と生命を表現しているのだ。村は補償金の受け取りを拒む200人あまりがいまも住むが、お年寄りが多い。

 しかし、そこは戒厳令下にあった。村も収用の対象なのだ。言いかえれば、いつでも軍を導入して村を破壊することができるということである。堀をめぐらし、鉄条網が村を取り囲み、数十メートルおきに機動隊が配置され、村に視線が注がれている。上空には、サーチライトを照らしたへリが一晩中旋回している。生まれて始めて消灯と起床のラッパを聴いた。

 広大な水田は完全に分断された。それでも村人は籾を直接蒔いたという。直播栽培である。「ここに住み続けたい。農業を続けたい。何処へも行きたくない」と集会で語った司会の青年の涙が胸に痛い。空き家となった民家に一晩お世話になり、ポシンタンの夕食をご馳走になった。 


        テチュ里で朝食。右から、金子さん、キム・ボンニョさん、
                    ムン・ジョンヒョン神父、ムン・ギュヒョン神父・・・

 若者たちが住民票を移し、住み着いている。最後まで抵抗を続けるためだ。プアン自主住民投票で知り合った顔も見える。ある日本のドキュメンタリー作家は、4ヶ月前から住み着き、農作業を手伝いながら、一部始終を映像に収めている。彼は偶然TVを見て衝動的に大秋里に来たのだった。1週間ホテルで悶々とした日々を過ごし、言葉もわからないまま、ある日村に入ると、とても暖かく迎えてくれた。気がつくと4ヶ月が過ぎ、強制収用の経過をつぶさに見てきたという。

 村人の日常は、基地の拡張というより、今年は何を植えるか、もっぱら農業の話が交わされているという。過去の経験を思えば、圧倒的な権力を前にした村人の恨の深さを思う。何回かあった強制収用の動きは実力で阻止してきたが、今回の軍の導入ほど国家権力の恐ろしさを感じたことはない、と語る彼はすっかり村に溶け込んでいる。きっと既成観念にとらわれない柔らかい感性の持ち主なのだろう。どんなドキュメンタリー映画ができるのだろうか。

 しかし事態は急を告げている。ユ・カンウン国防部長官は「反対運動参加者に対して軍刑法を適用する」と強制的な鎮圧を宣言した。暴力行為に対する謝罪はおろか、6月にも空き家となった家の取り壊しを始め、残りの住民の強制退去に踏み切るのではないかと分析していた。住民対策委員会では基地問題の世界フォーラムと大規模な集会を開き、この蛮行を世界に訴え、ノ大統領の謝罪と現状の回復を求めていくと語っていた。たたかいは続いている。私たちにできることは何か、可能性を探りたい。


                       ファンセウルの丘で
                    「青い鳥と少女」、ボンニョさん、金子さん

  月城原発、核廃棄場と慶州

 統一新羅千年の都、慶州(キョンジュ)。文禄・慶長の役で廃墟となった王宮跡に立つと天の中心を感じる。核廃棄物処分場の予定地は、峠を越え東海に面した月城(ウォルソン)原発の敷地の隣だ。渚の近くには、新羅王朝の斎場である文武大王海中陵がある。ウォルソンは5、6号機の敷地造成工事中で、山が削られ、ダンプカーがひっきりなしに往来していた。処分場のタイムスケジュールを調べに、PR館に立ち寄った。

 「反核が来た!」と事務所の電話が響く。すったもんだのあげくようやくスケジュール表を見せてくれたが、6月に設置許可申請の審査が始まるそうで、着工は2008年の予定である。


                   PR館の会議室で韓水原と話す

 このことからも政府がいかに拙速に予定地を決めたがっていたかがわかる。プアンの経験の波及を恐れていたのだろう。

 それだけに利益誘導政策はすさまじい。3千億ウォンは慶州市に払い込まれたそうだが、韓国水力原子力本社の移転をめぐって、市街地と地元との間で綱引きが始まっているようだ。

 ちょうど統一地方選挙の最中で、夕食をとりながら民主労働党候補の事務局長から話をお伺いした。

 多額のお金が飛び交い、おおよそ住民投票の精神からはかけ離れた不正が横行した住民投票運動ではあったが、90%近い人が誘致に賛成した事実は重いようだ。

 それでも労組を支持基盤にした民主労働党の人たちはあきらめてはいない。選挙終了後直ちに反対運動を再健すべく議論を持ちたいと語っていた。

 圧倒的な小数であった私たちの経験を思い浮かべる。だが必ず反転のときが訪れる。問題はその時のために何をつくりあげていくのかだろう。話を聞いていて、戦略的な構想と地道な歩みが必要な気がした。

  再び、プアンを訪ねて
 
 2年半ぶりに訪ねたプアンは、厳冬の乾いた大地とは一変して、地平線に広がる水田が淡い緑に染め上げられている。田植えの盛りなのだ。プアン聖堂で反核対策委員会の政策室長だったイ・ヒョンミンさんと再会した。彼は9ヘクタールの水田を耕作する農家である。

 町はすっかり落ち着きをとりもどしていたが、ちょうど首長選挙の最中で、商業ビルの壁面いっぱいに候補者のポスターが張られていた。核廃棄物処分場の誘致を決めた金宗規郡守の宣伝カーはワイドなTV付だ。反核広場だった十字路は4〜5人の候補が陣取り、女性たちがコマーシャルソングにあわせて踊っている。どこか楽しげだ。

 核廃棄物処分場を撤回に追い込んだ住民たちはプアン郡民会議を結成。巻、柏崎へも来たことがある全北道議のイ・ビョンハクさんを郡守(郡長)に推薦し、31日見事当選。「反核民主の最終勝利。反核プアンはついに解放された。まずはマッコリで祝杯をあげよう!」とウェブ新聞の「プアン21」は伝えている。

 一方、もうひとつセマングム干拓の問題はついに4月、上告が棄却され33キロの防潮堤が閉じられた。地元の漁民や市民は船を出し、工事の阻止を試みたが、力及ばず、すでにアサリなどの貝類が減少してきているという。梅雨時に入ると干潟の塩分濃度が変り、もっと生態系が変っていくだろうとイ・ヒョンミンさんは語っていた。



 とくに干潟は女性たちに良質な魚場を提供してきた。クレと呼ばれる道具一つでハマグリやアサリが取れ、収入を保証してきたからだ。海苔の加工場を改造した研修所で、学生たちと一緒にマッコリを飲みながら話をうかがった。


    セマングムのはまぐりをいただく 。右がイ・ヒョンミンさん

 「防潮堤を壊さなければならない。だが、建設を阻止できなかった私たちはその力があるのか。早く別の生計手段を見つけてと家人から言われている。マッコリなしでは思いを語れない」。わずかな補償金で漁業権を売り渡したことへの悔恨と干潟の変質を目にして、漁師さんの話は刹那を帯びてくる。



 研修所に常駐しているという若者は、「これは環境保護運動ではない。生活を奪う開発国家とのたたかいなのだ。権力とは防潮堤だ」と憎悪をたぎらせていた。

 衛星写真で見る防潮堤は辺山半島を覆うかのように巨大である。農地を作るという当初のもくろみは放棄され、目的そのものが漂流している。「これがノ大統領のいう環境との調和なのだ。ならば私たちの手で生命と生態、自治のプアンを作り上げるしかない」とイ・ヒョンミンさんは力を込めた。

  根の深い木、全羅道

 全羅道は黄土の匂いがする。かつて金芝河(キム・ジハ)は「恨の地」と呼んでいた。この意味は、朝鮮半島の中で最も豊かであるがゆえに、最も虐げられてきた地という意味である。ソウルから南下すると、しばらくは工場群が続くが、忠清道から全羅道にまたがり地平線を見渡す水田が広がっている。湖南平野である。

 同時に、為政者にとってこれほど魅力的な地は何処にもなかった。朝鮮王朝の時代は中央から赴任した地方長官が、植民地時代には日本が、米を奪って行ったのである。たとえばプアンに隣接する群山は、日本へ米を運ぶために総督府が建設した積出港であったし、金芝河のうまれた全羅南道の木浦も、日本へ米と綿花を運ぶ港として急速に発展したところだ。

 ここで思い浮かべるのが、甲午後農民戦争の指導者、全?準(チョン・ボンジュン)である。東学党の乱として知られている。プアン隣の古阜(コブ)郡には、なだらかな丘陵に点在する村々の中に、彼が住んでいた小さな家が残されている。日本の官憲に連行される写真をみると、小柄だが彼の眼光は鋭い。この小さな村の陳情が発端となり、日清戦争へ引火し、日本の植民地支配と東アジアの近代史を揺るがせたと思うと不思議な気がする。少し歩くと野バラが香る。村人たちは田植えの最中であった。

 イ・ヒョンミンさんは80年代に大学を卒業し、民主化闘争を経験した世代である。どこに強靭な意志が潜んでいるのかと思うくらい穏やかな人柄だが、彼も全?準と東学に関して誇りを持っている。

 東学とは何か。「東」とは朝鮮半島のことである。西学(キリスト教)に対して自分の国の学の意。教祖の崔済愚(チェ・ジェウ)は慶尚道の慶州の人だが、全羅道に多くの信者がいた。

 東学を代表する言葉に「人乃天」(人すなわち天)がある。韓国では近代の平等思想の先駆けと評価されている。じっさい2代目の教主、崔時了(チェ・シヒョン)は「人がきたら神がきたと言え」とかなり徹底した平等思想の持ち主だったようだ。東学思想は農民に大きな影響を与えた。

 「天」とは儒教的な概念で、神の意、宇宙的な真理を意味するが、それまで一部の支配層が独占していた天の思想と実践を否定し、東学は全ての人に天を解放することをめざした思想であった。

 近代的な歴史観では民権思想だが、その中身は反儒教というより、「全国民の儒教化」(小倉紀蔵)だった。全?準には、腐った官僚を容赦なく批判し、国家の腐敗を正す真の儒者の士(ソンビ)という強烈な自負があったのである。

 李氏朝鮮500年の朱子学のエートスを感じさせ、権威主義的で序列意識の強い韓国の中で、あくまで地域住民が主体となったプアン反核民主抗争は、どこか東学に似ている。

  鬼神は夜訪れる、<理>と<気>の安東

 先回たずねたとき、ふと疑問に思ったことがあった。なぜ、あれほど恐れることを知らず、青竹のような真っすぐな人が多いのだろう。この問いは、主体があいまいで中間色の日本にくらべて、原色がまばゆい夜のネオンのような人々の印象として頭の片隅に残っていた。この謎を解くべく(?)慶尚北道の安東(アンドン)へ向かった。李氏朝鮮の支配階級であった両班(ヤンバン)文化が色濃く残るところである。

 朝鮮朱子学の二大儒家の一人、李退渓(イ・テゲ)が教えた陶山書院。江戸時代、林羅山が「東方の朱子」と呼び、絶賛した儒者である。書斎は思ったより小さい。4畳半ぐらいだろうか。李退渓先生は、この狭い空間で、朱子学でいう<理>と<気>について思索をめぐらしていた。視線を転じて、周りの風景から書院を眺めると山水そのもので、ひとつの世界だ。背山面水、伝統的な風水の美意識が眩い。

 <理>とは普遍的なもの、宇宙的な原理を意味する。国旗のデザインである太極は、この<理>を図案化したものだ。それに対して宇宙を構成する物質的な世界を<気>と呼ぶ。陰陽五行説でいう五行、水・金・土・火、木も<気>である。陰と陽、世界をふたつに分けて理解してきた長い歴史は、今も普遍的なものへの憧れが、非妥協的な態度となって現れ、道徳的な優位性をめぐる熾烈な争いとなって、韓国社会はダイナミックに動いている。非妥協的で、どこか倫理の香りがするたたかいの言説にもこのような伝統が流れている気がしてならない。

 普遍に疲れたら人々は何処へ行くのだろう。情に満ちたウリ(我)の世界だろうか。ウリは極めてあけっぴろげで、くだけた世界だ。

 今でも人々は心配事があると気軽に巫女(ムーダン)にお祈りをしてもらう。祖霊を慰める祭事をクッと呼ぶが、クッは深夜に始まり一晩中続く。鬼神は夜訪れるからであるという。250年前に建てられた両班屋敷で夕食をとりながら、キム・ボンニョさんから聞いた韓国社会の祭式にまつわる「長男の悩み」。近代化に伴う核家族化の進行は、国家より親族の絆を上位におく共同体の伝統的な価値に変化が訪れているというということだろうか。それでも過去に生きる人々の民俗は、あらゆるものが記号となって漂流するソウルの街にさえ感じ取ることができる。

 朱子学? 徴兵制とともに腐った男を作り出す装置ではないか。古くさく、抑圧的でマッチョな男社会の思想に未来はあるのか・・・・。とくに女性たちは厳しい視線を送る。モダニズムの眼からは当然の批判であろう。それでも地下鉄でスッとお年寄りに席を譲る若者を見ていると、つい<礼>の国だと思ってしまう。この印象的な儒教のエートスはどう変質していくのだろうか。

 モダンとポストモダン、プレモダンが並存する街ソウル。開発至上主義的な経済政策は中産階級の成長を生み、それまで国家や民族が主語だった言説に市民が登場した。書店にはミシェル・フーコーの「性の歴史」が平積みされ、市民が床に座り込んで読んでいる。社会矛盾に切り込む若い市民社会はとても躍動的だ。依然と国策に抵抗するものに政府は剥き出しの暴力を発動する一方、これに抗し、生命・平和・自治の新たな価値を求める民衆の運動も多様で、豊かな可能性を秘めている。


                 韓国ピョンテク、611日目のキャンドル集会



ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.80もくじ

No80(06年6月20日発行)B5版36ページ

●台湾政府・日本原燃・六ヶ所村長のトンデモ会談
                
●再処理工場アクティブ試験以降のトラブルについて (山田清彦)         

●台湾の皆さまへ (山本若子)    

●第四原発の重油漏出事件に関する声明 (塩寮反核自救会・緑色公民行動連盟)

●原子力は地方特産になるものか!(劉惠敏)                

●5月の韓国 (金子貞男)                         

●生命の声が消えたピョンテク・ファンセウルの春 (グリーンコリア)           

●セマングム 是日也放声大哭 (チェ・ウィファン)              

●日米「合意」と沖縄 (平良夏芽)                      

●劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会 開催 (振津かつみ)

●上関原発、詳細調査に抗する祝島の人々 (三浦みどり) 
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