ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.79より

3月16〜19日、北九州・下関・祝島・広島で「こんにちは貢寮」上映と現地報告を聞く集いが開催されました。


「もっと頑張っていこうという力が
どんどんわいてきた」

                   チェ・スーシン(監督)

去年の12月からわずか3ヶ月後、私たちは再び日本に上陸し、2回目の連続上映会を行った。前回と比べ最も大きな違いは、常に多忙な仕事にたずさわる塩寮反核自救会の呉文通会長を誘い、いっしょに日本に来られたこと。

まず、佐賀県でテント村を訪ね、皆様の努力と勇敢な姿を拝見した。県庁内、傲慢な態度をとった役人たちが、するどい質問に答えられなくて逃げてしまった場面も目にした。台湾にも同じ場面があったような気がして苦い思い出をした。

北九州や下関の上映会で、来場された参加者たちに、たくさん第四原発についての問題を聞かれて、皆様が本気で真剣に貢寮人の気持ちを知ろうとする熱意を感じた。前回山口上映会でお目にかかって以来ずっと会いたかった皆様もわざわざ下関に来てくださった。胸が感謝でいっぱいだ。そこには空間距離を越えた運動同志の熱情があるのだ。

祝島では国境を越えた精神を感じた。祝島と貢寮は、同じ漁村であり、同じ長年の反対運動経歴をもっている。共通の体験をもつ皆様には、余分な言葉はいらず、映像を通してお互いの共感を得られた。このような感動は言語で言い尽くせないものだ。

広島で原爆資料館を見学することができた。核エネルギーの恐ろしい破壊性を再認識した。台湾には、核兵器が広島で残した永久的な傷跡を本当に知る人が未だに少ない。広島の先輩たちからたくさんのことを学んだ。

この旅で各地の皆様から熱情的なもてなしを受けた。皆様の堅持と関心がなければ私たちも日本を訪ねることがないのだ。

今回の交流で、私たちは莫大な勇気と励みを得て、数え切れない貴重な経験を吸収した。これからもっと頑張っていこうという力がどんどんわいてきた。

皆様にもこれを機に貢寮の反核運動を理解してもらえれば幸いです。いつか皆様が貢寮に来るのを心よりお待ちしています。最後に、ここで再度感謝を申し上げます。皆様ありがとうこざいました。


祝島の漁港


「祝島の精神を貢寮に」

              呉文通(塩寮反核自救会)

まず、朝から福岡空港で待ってくれた佐藤さんと陳炯霖さんに感謝します。そして佐賀県庁前の反プルサーマルの皆様、活動に参加させてくれてありがとうこざいます。北九州の上映会にもたくさん方々の熱意を感じ、さらにパトローネの伊藤さんと、泊めてくれた岡添さんの社会運動を堅持する精神も心に沁みました。

下関の上映会では、日本社会運動の力が現れ、沢村さんら先輩たちの活力と精神を見つけました。貢寮の私たちは見習うべきです。「林順源君釈放」を告げたとき、下関の先輩たちからの喜びと祝福の声は、言葉で言い表せない素直な気持ちです。私は林順源君のかわりに、皆様にお礼を申し上げます。そして、いつか林君も自分の身でこの友情を感じられることを願っております。

祝島への船中で、ずっと祝島の反原発運動を応援してきた三浦さんの話を聞いて、だんだん祝島の苦い歴史がわかりました。私は船からひたすら海を見て、頭に貢寮の仲間たちの面影が浮かび上がると同時に、祝島の住民の方々について考えました。異なる国に住むお互い面識もない両方の住民は、なぜ同じように反原発の使命を背負わなければならないのでしょうか?

祝島へ上陸。荷物を置いて海の幸の食事を満喫した後、公民館で上映会を行いました。山戸さんなど幹部たちの協力でセッティングが終わり、その後あっという間に会場がいっぱいになりました。

私は女性が圧倒的に多いことに気づきました。貢寮人の私にとって、少しびっくりでした。上映会後、女性の方数人が自発的に交流会に参加しました。24年間にわたり、900回のデモを行った話を聞いて、さらにびっくりしました。貢寮の私たちにとって、これはまさに至難の業です。感心する以外ほかの言葉はありません。そして皆様が中電と漁業権の訴訟を行っていると聞いたとき、私はさらに皆様の精神と意力に感心しました。

貢寮に戻ってまもなく祝島の実質勝訴の知らせが来て、喜びが心でいっぱいです。いずれ機会があれば、祝島の皆様、ぜび貢寮にきてください。24年間、900回の反原発デモを行った精神を貢寮の人々に伝えてください。

日本は前代未聞の核兵器攻撃を受けました。歴史の教科書でしか読んだことがないですが、この旅で私は広島と長崎の人々の哀れな過去を自分の目で確かめました。私たちはこの歴史を忘れてはいけません。当時広島と長崎の人々が遭った核兵器の恐怖の思いを、今日の反省の気持ちに変えられなければ、私たちは被爆者よりもっと哀れな人間になります。広島の被爆者を追悼することができてよかったです。ここで被爆者遺族の木原さんと広島社会運動の先輩たちにお礼を申し上げます。広島原爆の歴史を詳しく説明してくれてありがとうこざいます。おかげで私は核災害の無惨な破壊性をもっと認識しました。そして、次の世代に対する使命感も高まってきました。

このたび、たくさんの方々からの熱情的な援助とご協力ありがとうこざいました。皆様の暖かい塩寮反核自救会への献金、貢寮の私たちは心より感謝します。私たちの感謝の気持ちは言葉で言い尽くせません。

★ 日本の旅の途中で「林順源君釈放」の連絡を受けて考えたこと。彼は一人の良心的な反核運動者。独裁政権の時代背景の中、誤殺事件が、無期懲役判決に処され、青春時代の大半が刑務所に葬られた。1991年10月3日、第四原発予定地前で起きた「1003貢寮反核事件」で服役してから、14年5か月と14日の歳月が流れ、やっと円満なエンディングを迎えた。この果てしなく長い時間の中、林君はずっと「過ちがあれば、過ちを担う」という態度で服役した。しかしあれは単なるアクシデントなのだ。計画的な犯行と見られて終身刑を下されるなんて、どうしても納得できないのだ。

林君は3月21日に釈放されたが、台湾の司法機関は彼に「無実判決」を出してほしい。無実の身を返してほしい。1991年以来、私たちは、公平・公正・公開の司法手続きで正確な判決が下されることをずっと望んできた。旧政府の独裁体制の下に、林君はただ「第四原発反対」という理由で容赦なく重刑をくらった。私たちは彼の無実判決が出る日を望んでいる。台湾の司法は林君に公平なチャンスを与えられるのか? 台湾国に住む私たちは、これからの道はまだ長いのだ。


祝島公民館で


「言葉の壁をのり越えて」

                   
陳威志(緑色公民行動連盟)

日本に来たのは4回目だ。以前も観光で来たわけではないが、今回のような心の充実感に満ちた感動は1回もなかった。これは各地の友人たちの熱情的なもてなしのおかげだ。各地で、異なった国籍、異なった文化背景の人々が、同じく自分のふるさとを守るために勇ましく戦う姿を見た。

まず、佐賀県で力強い抗争活動を見て励まされた。反プルサーマルの皆様と県庁に入り、事前に準備した資料で役人に質問するのを見た。皆様はきびしい態度で鋭い質問を次々と出し、役人たちはどうすることもできなかった。ただ「資料を読んでから、答える必要があったら答える」とうろたえて逃げてしまった。その後、県庁から出て、テント村へ行った。「原発いらん!」「プルサーマル計画を断念せよ!」などの旗が風の中でひらひらと翻っているのを見て、私は再び励まされた。

北九州と下関の上映会で、異国の方々が熱烈に貢寮について質問をした。これは私にとって何よりも素敵な慰めと感動だ。

下関の交流会では、皆様が美妙な声で「友よ」と「インターナショナル」を歌った。メロディと共に私たちは言葉の壁をのり越え、一瞬、皆様が台湾の運動家の先輩たちのように見えた。

祝島では、私たちが台湾で失いつつある住民の活力と熱情を見た。これは当地で運動が24年間も続いた原因であろう。

祝島の先輩たちの爽やかな笑顔の裏には憂鬱が隠れているのだろう。私にはわからない。しかし、このように辛くても楽しく生きていける楽観的な態度があるこそ、どのような困難にも立ち向かえたのではないか。

祝島の方々が映画を鑑賞するとき、鼻腔と口腔から共鳴の音が連発した。このような類似体験による共鳴で、言葉の壁をのり越え、お互いに理解し合うことが実質的なものになった。

広島で、原爆遺跡と資料館見学をした。木原さんの説明を通して、記念碑のデザインと碑文の本当の意味を知った。過去に直面することこそ、歴史の傷跡を癒す最も良い処方箋だと悟った。資料館内で原爆当時にあったできごとのシミュレーション映像や実物を見て、最初は落ち着いていたけれど、やがて最後までは見られなかった。枯れた骨と黒雨。SF映画の地球の終りはまさにこのようなものだ。あまりにも残酷なのだ。テクノロジーはいったい人類を進歩の道に導いたのか? それとも絶滅の道に向かわせたのか? もっと悲しいのは、生き残った人や遺族の広島人が、今でも、言葉で言えない重い苦しい思いを背負っていることだ。

木原さんは、反核運動で煩わしく疲れたとき、祝島へ行っておばさんたちの爽やかな笑い声を聞けば、すぐ元気になれるとおっしゃった。今回、私たちが日本に来て交流を行ったのもそうではないか? 私たちは自分の国の複雑な政治闘争に埋まれ、初心を忘れていた、反核の本質を忘れていた。そして、あの心の底にある澄んだ気持ちを忘れていた。

皆様に感謝する。皆様の熱情的なもてなしと、私たちのことに耳を傾けてくれたことと、嫌がらず自分の経験を分けてくれたことに感謝する。この全ては、祝島のおばさんたちの笑い声とともに、私たちに最高の自信と勇気をくれた。そして自分の初心を甦らせた。

早く皆様に再会できるよう望んでおります。皆様もぜひ私たちの貢寮へ来てください。私たちのおばさんも元気よく笑っていますよ。再度お礼を申し上げます。皆様のもてなしと援助ありがとうこざいました。


 呉文通さん(左)と陳炯霖さん

「最高の生き方」

                 陳炯霖(チン・ジョンリン)

5日間4回の連続上映会で、新たな友情が芽生えました。国境と言葉の壁をのり越え、反原発運動の方々が結びつきました。彼らの言葉の壁を最小限にする通訳役は、未熟で世間知らずの私が担当しました。このような仕事を勤めた私は、初めて日本語を勉強してよかったと思いました。

私は日本語を極めようと思い来日して2年になりました。しかし日本語ばかりを勉強する一方、自分の中の戸惑いが日々増えてきました。このままだと、自分は何になる? 企業に入ってお金だけが目的であくせくして生きていくの? 私は毎日迷いながら、ひたすら勉強していました。

しかし、佐藤さんのおかげで、新しい世界を垣間見ることができました。私の知らない世界では、一生をかけて正義を求めるすばらしい人たちが頑張っています。

佐賀県庁前のテント村の皆様、自宅に泊めてくださった岡添さん、パトローネを編集する伊藤さん、下関の沢村さんと楽しく鍋パーティを盛り上げた皆様、祝島の山戸親子と元気なおばさんたち、原爆ドームと資料館を案内してくださった木原さんら広島の皆様・・・・たくさんの方々のお世話になって本当にありがとうこざいます。

彼らは、ひとつ異なった生き方を見せてくれました。それは自分の信念をゆずらない最高の生き方だと思います。

そして、もっとも感謝すべきなのは、厳しい環境の中で反核を続けてきた呉文通会長と、ドキュメンタリーを撮影されたチェ監督と、私の兄。彼らがいなければ私は今回の通訳を経験できなかったでしょう。本当に心より感謝しています。

これからの人生の方向を決めたのは、この5日間だと言ってもいいでしょう。たくさん勉強すべきことがあります。次は、より流暢な日本語で、より円滑な通訳を提供できるように頑張りたいと思います。




ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.79もくじ

No79(06年4月20日発行)B5版40ページ

●とうとうアクティブ試験がはじまり、
洗浄水漏れ事故が起こりました(福澤定岳)

●再処理工場アクティブ試験は今すぐ中止せよ(野川温子) 
          
●滋味豊かな青森産・三陸産の食材と再処理工場は両立しない
(島田清子)
    
●韓国市民団体共同声明
「六ヶ所核再処理工場 稼動強行を直ちに撤回せよ」
     
●抗議声明「六ヶ所再処理工場アクティブ試験の即時中止を!」
(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)

●「こんにちは貢寮」上映会
(チェ・スーシン・呉文通・陳威志・陳炯霖・岡添貞子・向原祥隆
・沢村和世・山戸孝・三浦みどり・溝田一成・いとうかつみ)

●韓国・住民投票法の違憲判決を要求!
地域住民らが嘆願書を提出
       
●韓国・慶州・核廃棄場予定地の文化財埋蔵推定について
(反核国民行動)
        
●危険な原子力空母横須賀母港計画にノーを(呉東正彦)  
            
●東京湾に浮かぶチェルノブイリ(山崎久隆)

●「久美浜原発 終わりました」(小笠原順子) 
                  
●ウラン兵器禁止を求める国際運動を前進させよう(振津かつみ)        

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