ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.71より

プアン郡民勝利の日

「プアン宣言」

「核廃棄場白紙化・
プアン郡民勝利大会」


「チャムソリ」12月2日付 より

12月1日午後1時、プアン。花壇で道路の中央が隔てられた水産協同組合前の反核民主広場のかわりに、ターミナルの交差点の下り方向の道路をふさいだ即席の新しい広場に、プアン郡民の核廃棄場白紙化宣布大会の舞台が設けられた。

政府が2月に発表した「原電センター」誘致処理の手続きが、11月30日に一つの地域の申請もなく締め切られたことで、プアン予備候補地域の内定が実質的に無効となった。これについてプアン反核対策委は、「2月14日の住民投票後に核廃棄場を白紙に戻すことをプアン郡民の力で宣言したが、もう一度白紙化を再確認しようと思う」とし、この日をプアン郡民勝利の日と決めたものだ。

郡民たちは広場に集まる前に、まず何日か前から稲藁から直接綯ってきた綱引き用の縄を運ぶためにプアン聖堂に集まり、反核農楽隊のリズムに合せて老若男女の区別なくみんなで縄を運び行進を繰り広げた。

「政府ができないことを私たちがやる」

1年5ヶ月ぶりにようやく明るい笑いを浮かべるプアン郡民たちは、感想を尋ねる質問に対して、長い間の闘争の末自らの手で成し遂げた勝利に対する喜びと、何度も政府に裏切られた経験による不信感をあらわした。

郡民たちと一緒に縄を担いでいたあるハルモニは、「余っ程うれしくなければ齢70を過ぎてこのように縄を担いで歩くもんですか」と言いながら、うれしいという言葉をしきりに繰り返した。またある住民らは郡庁前を通りすぎるとき、「まだキム・ジョンギュが扶安郡守の座にそのままいるので、一方で複雑な思いだ」と話した。

いつも赤いはちまきを締めて闘争に参加してきたイ・デゴン翁は、「いったんは勝利したが、政府が公式発表を行わなかったことで、いつまた大変なことになるかもしれない。今後も郡民は気持ちをしっかり引き締めていなければいけない」と強調した。

チュサン面に住むイ・ミヨン氏は、「それでも、政府ができないこと(白紙化発表)をこうして私たちがやっているということに、より大きな意味があるように思う。私たちプアンが1年6ヶ月間苦しんだ分、将来の10年6ヶ月の苦労を先んじたと考えたら良い」と所感を表した。

闘争の初期に牛を売ったお金を寄付されて「牛のおばあさん」と呼ばれ、今回は山羊を売ってまた寄付をされ、再び話題になったチャン・ミョンスン氏は、「今日はプアンの平和でなく世界に平和が訪れた日だ。大韓民国全体が平和に安らかになった日だ」ときっぱりと言い切られた。

朗らかな笑い声があふれた郡民たちの大祝宴の広場

縄を担いだ行列が到着して、まず舞台前にいた郡民たちと合流した。郡民たちはあらかじめ準備していた料理や飲み物を分かち、餅つき、プアン闘争の写真販売コーナー、記念写真撮影コーナーでこの日を記憶しうるような物を分け合った。

午後3時ころに綱引きが開始された。キム・インギョン教務ら女性チームとキム・ソンゴン全北議員ら男性チームに分かれて始まった綱引きで、女性チームが勝つと住民たちは、「やっぱりプアンは女性が強い」と言いながら万歳を叫んだ。再び綱引きが始まって住民たちの表情も真剣になった。ある住民らは、「綱をキム・ジョンギュ郡守と見立てて、絶対手を放してはならない」と言って戒めたりもした。三番行われた競技も、最後は男性、女性の区別なく一緒に力をあわせて行う形でしめくくられた。

イ・ヒョンミン対策委・政策室長の司会でプアン郡民勝利大会が始まった。大会には約3千人の郡民と、この間ともに連帯闘争をくり広げた、キム・ヘギョン党代表等、民主労働党の党員ら、全羅北道反核対策委の関係者ら、環境運動連合の活動家などが参加した。

開会の挨拶に立った天主教のキム・インギョン教務は、「プアン郡民は立派で偉大である。いまでは草のひと株ひと株にまでも暖かい情が流れているのを感じるくらいにすべてが有難い心情だ。その行動は許すことができないけれど、ノ・ムヒョン大統領、カン・ヒョヌク道知事、キム・ジョンギュ扶安郡守、国策事業推進連盟にさえも、プアン郡民が一つになる契機をくれたことで感謝するほどだ。これから私たちはプアンの分裂、痛み、傷を癒さなければならない。そうしてこそ真の核廃棄場白紙撤回であり、プアン郡民の勝利である」と、胸が込み上げるような声で語った。

民主労働党のキム・ヘギョン代表は、「昨年プアンに来た時は民主労働党の議席が一つもなかったが、現在は議会にも進出し、プアン郡民もこのように勝利をおさめることができた。今後、反生命、反環境、反民主的な価値はなくしていかなければいけない。しかし、いわゆる『参加政府』は進歩政党の活動を弾圧しており、これはプアンの民主主義とも関係のない話ではない。民主主義のために引き続き先頭に立っていこう」と話した。

参加自治・全羅北道市民連帯のパク・チョンフン代表は、「プアン郡民の勝利につけ加え大韓民国国民に要求しなければならないことがある。誤った政策と不正がある政治家と代表者は、住民の力で引きずり下ろすことができる住民召還制を実施するべきである。また、プアン事態の真相糾明のための委員会が構成されるべきで、現在も監獄に閉じ込められている郡民を釈放させなければならない」と主張した。

2・14 住民投票執行委員長の任にあたったハ・スンス弁護士も舞台に上がり、「プアン郡民たちは権力者に勝った。生命を大切にする気持ちが、暴力と核発電エネルギーを防ぎきった。2・14 住民投票は自治民主主義の可能性を見せてくれた代表的な事例であり、その感動はいまも忘れることができない。現在も全羅北道知事とプアン郡守は発展のために核廃棄場誘致をあきらめずにいるが、プアンの発展はプアン郡民自らが作っていくものだ」とし、開発と成長主義に厳しい忠告をして大きな拍手を受けた。

環境運動連合のソ・ジュウォン事務総長は、「プアン郡民らは民主主義の歴史を新しく記し、反核の歴史を新しく記した。他の地域で核廃棄場誘致の動きがあっても、プアン郡民らが共に闘争するならば必ず勝つことができるであろう」とし、反核闘争を中断することのないよう訴えた。

公式反核歌手として有名な民衆歌手チェ・ドウン氏の祝賀公演が続き、郡民らの歓呼と拍手の音が大きくなった。対策委で主に活動する何人かの住民たちが舞台の前に出てきて、チェ・ドウン氏の「プルナビ」の歌に合せて踊り、興はさらに高まった。

最後に登場したムン・ギュヒョン神父は、「17ヶ月の苦しい闘争を通じて勝利をおさめた。しかしプアンの底力を見せるのはこれからだ。真の参加と自治民主主義を成長させて、対案エネルギー運動と環境にやさしい生活運動、言論改革の先頭に立っていこう。これからは核廃棄場反対のろうそくではなく、プアンが生命と平和の聖地として、平和な地球の未来のためのろうそくをかかげ満天下を照らそうではないか」と叫んだ。

最後の舞台、勝利の喜びと惜別の念

午後1時から4時間以上続いた行事を見守っていた郡民たちは、「プアン郡民万歳」を斉唱し、綱引きの綱を燃やして反核農学隊の音楽に合せてカンガンスウォルレを踊った。

日が落ちてあたりが暗くなるとともに舞台が撤去された。17ヶ月の間、舞台を設計し移して組立てまた解体するしんどい作業を繰り返し、郡民たちの大きな激励と応援を受けた対策委・舞台チームは、いつものように静かにそして速かに舞台機材を車に積み込んだ。舞台チームのカン・チャンウン氏は、「これから本当の日常へ帰って生計問題に向き合わなければならない。この間プアン郡民はあまりにも多大な尽力をしてきた」と短く所感を述べた。

勝利の喜びとともに、核廃棄場反対闘争で郡民がひとつになった場が消える名残惜しさを表すかのように、舞台が撤去された後も郡民たちのオッケチュム(肩踊り)とカンガンスウォルレは止むところを知らなかった。


プアン宣言

2004年12月1日、今日、私たちは
核廃棄場白紙化、プアン郡民の勝利を宣言する
反核・生命・平和を宣言する

思い起こせばいつの間にか17ヶ月が過ぎた
7万のプアン郡民がひとつとなって
未来を描き、希望を歌い
買収と暴力、偽りと分裂をはねのけて
猛暑と台風、吹雪をけ散らし走ってきた道

いま、核廃棄場というひどい悪霊をはね除けることを
そうして、生命と平和の新しい歴史を始めることを
天下に宣布する

山、平野、海が交わり、多くの生命と共に、住みやすい故郷、生活の根拠プアン
住民の生をこなごなにし
仲むつまじく暮らしてきた共同体を破壊して
子々孫々死の土地で暮らすことを強要したのは誰だったのか?

プアンは闘った
農民は田畑を飛出してアスファルトを駆けずりまわり
漁民は網を捨てて海上デモを繰り広げた
商人は店を閉めて反核民主広場を守った
運転手たちはタクシーを放置して高速道路を遮断した
母は剃髪で、学生たちは登校拒否で
ハルモニはろうそくのあかりを持って
医者たちは白衣を着て立ち上がった
先生が国会前で108拝をした
神父が、教務が、牧師が、僧侶が、1ヶ月を越える断食をした

プアンはひとつであった
老若男女、能力の有無の区分がなかった
持てる者と持たざる者の区別もなかった
私たちが持てる全てのものを捧げて闘争した

こん棒と盾、軍靴が踊る警察の戒厳下で
ろうそくのあかり一つで対抗した

三歩一拝、低い姿勢で大地にキスをして
貪欲と利己心と怠惰さを捨てた

肩を組んだ隣人から真の愛と信頼を学んだ
流れる涙を拭ってやり、凍りついた身体を抱いて
胸の中にこびりついた悲しみと恨を共に分かち合った

先祖の知恵と霊魂が宿り、子孫らが万代にわたって享受しなければならない
この土地を必ず守るんだと、心の底で何度も確かめ合った

私たちは叫んだ
核廃棄場に命がけで反対する!
大韓民国のどこの核廃棄場にも命がけで反対する!
エネルギー政策を転換せよ!
社会的合意機構を構成せよ!

私たちの痛みは、たんにプアンだけのものではないから
ヨングァンが駆けつけた、ウルチンが共に闘った
コチャンから、チョンジュから、ソウルから、プサンから
この国のあらゆる良心が共に闘った

注目の中でついに成し遂げられた
2・14 住民投票 勝利!
92%の反対を確認して
絞首台にかけられた瞬間、傲慢と暴力、強圧と独裁は
それ以上力をふるうことができず、核廃棄場の悪霊は声を殺した

そして今日、私たちは、私たちと共にあるすべての人たちと一緒に
プアン核廃棄場は永遠に終わったことを、いま一度明明白白に宣言する

これから私たちは、もう一つの道を行く
あの美しかった核廃棄場反対闘争と同じくらい
私たちが必ずや成し遂げねばならないこと
反核、生命、平和のプアン共同体建設だ

共に闘った人々に希望を分け与える道
全国の良心と共に進むべき道
私たちが流した血の一適も決しておろそかにしない道

大切な夢を花開かせる、反核、生命、平和のプアン共同体建設だ
住民自治運動だ!
核廃棄場の元凶、キム・ジョンギュ退陣だ!
住民自ら権力として屹立することだ!

プアンはエネルギー独立宣言をしよう!
核の電気を最も使わないプアンを作ろう!

プアンが希望だ
太陽光発電、対案エネルギー運動だ!
権力より自治を、お金より生命の大切さを
偽善でない真実の言論を、エネルギーの独立を

そうして、私たちにある美しい自然と暖かい心
広い平野と深い山、そして海と干潟を守り培うこと

人間が人間らしく多くの生命と共に生きる
反核! 生命! 平和!のプアンを建設しよう!
偉大なるプアン郡民 万歳! 核廃棄場闘争勝利 万歳!

2004年12月1日 大韓民国 プアン住民一同





ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.71もくじ

No.71(04年12月20日発行)B5版26ページ   

●プアン郡民勝利の日
●プアン宣言
●プアンと上関がつながった(沢村和世)                                   
●日本訪問記 (イ・インギュ)
●台湾国会議員選挙結果と今後の反原発闘争の展望(酒井亨)
●台湾で新たに放射能汚染住宅見つかる 
●六ケ所再処理工場は世界への脅威(大庭里美)                        
●反核行動中に死亡したフランス人活動家を追悼して
(韓国環境運動連合)   
●地球温暖化対策・京都議定書と原子力発電(畑直之) 
●国際ソーラーシティ会議2004報告(山下紀明)             
●『地球を殺すな! 環境破壊大国・日本』 刊行(伊藤孝司)         
●「中越地震後・東海地震前」 (小木曽茂子)
              

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