ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.64より

インド・ジャドゥゴダの住民たち
                   
          京都大学原子炉実験所 小出裕章

T.ジャドゥゴダへの旅

 今年4月、私はジャドゥゴダへの2度目の調査に出た。ジャールカンド州の州都ランチーから車でタタナガルに向かう途中、私はパコリを食べたいとシュリプラカッシュに頼んだ。野菜屑をスパイスと一緒にてんぷらのように揚げた軽いスナックで、ビールに良く合うつまみであった。はじめてこの道を通った2001年の暮に、日本で言えばドライブインとでも言うのか、道路沿いの粗末な店で、シュリプラカッシュが食べさせてくれた。シュリプラカッシュは前回訪問時に立ち寄ってパコリを食べている時の写真を彼のリュックから取り出し、運転手にその店に寄るよう指示した。程なく着いた懐かしいその店には、今回はパコリはなく、オニオンパコリしかないとのことであった。私はそれでもいいと思ったが、何とビールもないとのことで、別の店を探すことにした。その店でそんな話をしている時、入口の脇にぼろぼろの服を着た小柄な男性がしゃがみこんで、落ちているナンを拾って手に持った袋に詰めていた。












 






 ナンは小麦粉を焼いたパンのようなものでインドにおける主食の一つである。落ちているナンを、緩慢な動作で折りたたみながら、腕にかけたぼろぼろの袋に詰めているその男性は、悲しみを湛えた静かな目でじっと私を見つめていた。その視線を感じながら、私はどうしても彼の瞳を見ることができなかった。私は追われるようにその店を出た。

 インドは日本に比べて人口は8倍、使っている電気の量は約4割。すなわち、インド人一人ひとりが使っている電気の量は、日本人に比べて20分の1に過ぎない。それも平均的に言っているだけで、私が訪れているジャールカンド州は先住民の住む州であり、インドの中でも貧しい州である。きっと多くの人は電気すら使わないまま短い寿命を終えていくのであろう。

U.ジャドゥゴダの汚染

 そのジャールカンド州にはジャドゥゴダを含め、インドの原子力(=核)開発を支える唯一のウラン鉱山群がある。2000年の夏に地球環境映像祭で大賞を受賞したビデオ映画「ブッダの嘆き」の監督シュリプラカッシュの訪問を受けて以来、私自身は2度現地を訪問するとともに、現地に放射線測定素子を配置したり、現地からの土壌試料を送ってもらったりしながら、調査を続けてきた。第1回目の訪問までの結果は、すでにこの通信で概要を報告済みである(「苦難の先住民、インド・ジャドゥゴダ・ウラン鉱山」、ノーニュークス・アジアフォーラム通信、No.54、P.2-8(2002年2月20日))。また、第2回目の訪問に際してのいくつかのエピソードもこの通信に掲載してもらってある(「ジャドゥゴダ調査旅行メモ、その2」、ノーニュークス・アジアフォーラム通信、No.62、P.12-19(2003年6月20日))。できれば、それらを先にお読みいただきたい。

 ジャドゥゴダ周辺には、ジャドゥゴダも含め3箇所のウラン鉱山があり、地底から掘り出された鉱石はすべてジャドゥゴダにあるインド国営ウラン会社(UCIL)の工場に運ばれて製錬される。その作業で生じる鉱滓と呼ばれる廃物は、すでに3箇所に作られた鉱滓池に投棄されている。当然、周辺に存在している汚染は、言うまでもなく放射性物質ウランによる汚染である。今回のこの報告では、1回目の訪問時に計画しながら、測定機材が現地に届かずにできなかった空気中ラドン濃度測定の結果を中心にして報告する。また、空間γ線量率についても、ジャドゥゴダから遠く離れた集落に熱蛍光線量計(TLD)を配置して測定したので、追加の報告をする。

1.空間γ線量率

空間γ線量率の測定はTLDを現地に数ヶ月配置して評価する方法と、実際に現地に行ってサーベイメータで測定する方法の2通りで行った。

 以前のデータはすでに報告済みであり、それで述べたように、鉱滓池に隣接するDungridihとChatikochaの両集落においては空間γ線量率が高いが、その他の集落では、汚染は生じていない。2度目の訪問時にもそのことはサーベイメータで確認した。また、ジャドゥゴダからかなり離れた集落の人にも頼んでTLDを預かってもらって測定を行った。結局、従来からの知見が改めて裏付けられた。

2.土壌の汚染

 土壌の汚染については、すでに報告したし、新たな知見は得ていない。しかし、2度の訪問を経て私の中に深まってきた確信は、残土の取り扱いがずさんになされているということであった。

 ジャドゥゴダの集落のうち、DungridihとChatikochaの両集落は、鉱滓池の建設のために住居を壊されて追い出された人々が住み着いている村である。そこは洪水になれば鉱滓池から鉱滓があふれて来る場所であるし、乾季になれば、微細な鉱滓の粒子が風で飛んでくる場所でもある。したがって、土壌中のウランの濃度が高いし、上にも述べたように空間γ線量率も高い。しかし、その2つの集落をのぞけば、ジャドゥゴダ周辺の集落は基本的には鉱滓で汚染されていないし、空間γ線量率も高くない。ところが、本来は汚染されていないはずの村でも、道路など特定の場所で著しくウラン濃度が高く、空間γ線量率が高い場所がある。それは道路、あるいは家の建設資材などに残土や鉱滓が使われてきたからである。



 住民が建設資材として土が欲しいといえば、UCILがダンプに満載して残土を持ってきたとのことである。そのようなことをすれば、汚染が広がってしまうことは当然であり、なんとしてもそのような行為はやめさせなければならない。

3.空気中ラドン濃度

 ラドンはウランが放射線を出して崩壊する途上でできる娘核種と呼ばれる放射能の1種である。そして、化学的には希ガスと呼ばれる元素群に属するため、完全な気体である。地底から引きずり出されて野ざらしにされている鉱滓や残土からは日常的にラドンが空気中に逃げ出してきて、周辺に汚染を広げる。

 ラドンの測定は捕集用の活性炭を詰めた容器を現地に配置し、丸1日後にそれを回収、ただちに日本に持ち帰り、Ge半導体検出器によるガンマ線スペクトロメトリで評価した。ラドンの放射能としての半減期は3.8日であり、試料を郵送などしていては、その間に減衰してなくなってしまう。そのため、私自身が現地に行き、ラドンを捕集した活性炭を自ら持ち帰る必要があった。

 第1回目の訪問時には予備的に3箇所でラドン濃度を測定した。その結果はすでに報告してあるが、予想通り鉱滓池での濃度が高かったし、とくに坑道の排気口で高かった。その坑道の排気口では地底からの冷たい空気が吹き出てくるため、夏になれば住民たちがその場に集まってきて、涼を取っていた。

 第2回目の訪問では14箇所について、評価した。それらの結果をまとめて表1に示す。この結果から言えることは、以下のようなことである。

@ ジャドゥゴダ周辺はその地域的な特性で、ごく一般的な環境に比べれば、空気中のラドン濃度が高い。
A 鉱滓池が汚染源でラドンは広く拡散している。
B ただし、鉱滓池に入ったり、あるいは坑道の排気口に近づいたりしなければ、ラドン濃度の高さはそれほど深刻なものでない。

表1 空気中ラドン濃度

第1回目測定 (2001年12月)

場所

空気中ラドン濃度[Bq/m^3]

鉱滓池No.1 内部

260

集落、Tilaitand

45

Bahtin坑道排気口

2400

第2回目測定 (2003年4月)

鉱滓池

No.1 入口

65

No.1 内部

59

No.2 入口

20

No.2 内部

80

No.2 外部の小道

15

集落

Tilaitand

23

Bahtin 入口

23

Bahtin 内部

16

Michuwa 入口

13

Michuwa 内部

12

ラカ鉱山駅

9

Chatikochaダム前

8

Dungridih 1

26

Dungridih 2

24

ごく一般的な環境

3〜20






V.緊急になすべき対策
 
 ウランを含んだ鉱滓、残土を一般の環境に投棄し、それについての適切な管理をしないのであれば、住民が被曝することは避けられない。

 根本的に必要なことは鉱滓や残土を野ざらしにしないこと、そしてさらにいえば、ウランなど採掘しないことである。しかし、事実として汚染がある現状では、以下に記すことが緊急になされる必要がある。

@ 鉱滓や残土を住民の集落に持ち込まない

 道路や住宅の建設資材に残土を用いることは厳に慎まなければならない。おそらくUCILとしては厄介物の量を少しでも減らしたいということであろうが、そんなことで減らせる量は知れている。なんとしても住民の中心的な生活の場である集落内部に残土を持ち込むことは直ちにやめるべきである。

A 鉱滓池や排気口に住民が近づくことを防ぐ

 坑道の排気口は先に述べたように夏になれば住民が集まって涼をとっていた、しかし、私が2001年暮に訪れた時には、その場はすでにコンクリートの建造物で囲われていた。もちろん、排気を逃がすために上方は開口していたが、排気口の周囲はコンクリートの建屋が立てられ、入口は施錠された鉄の扉がついていた。あまりに遅きに失したとはいえ、当然なすべき措置であった。私は穴の開いた上方の開口部から内部に飛び降りて、ラドン捕集用の活性炭を鉄の柵に設置し、翌日回収した。その場は冷たく湿った空気が猛烈な勢いで噴出していた。



 さらに重要なことは、鉱滓池に住民を近づけないことである。2000年の夏、シュリプラカッシュが私を訪ねてきた時に、私にできた唯一の助言は住民を鉱滓池に近づけるなというものであった。その時、シュリプラカッシュは言った。「助言ありがとう。でも、それができないのです。鉱滓池は住民の生活の場なのです」。私が放射能測定用試料を採取するために鉱滓池に侵入した時も、2人の女性が頭に薪を乗せて干上がった鉱滓池を横切って行った。住民たちは自然に寄り添うようにして長い間生きてきた。鉱滓池はその住民たちの生活の場所を奪って作られたものであり、住民たちは生きるためにそこに立ち入らざるを得ない。

 苦しい選択ではあるが、やはり鉱滓池は危険な場所であり、住民をその場に入れない措置をとらねばならない。現在、曲がりなりにも張ってある鉄条網はいたるところで切断されているが、それを再度しっかりと張りなおすこと。そして、住民に鉱滓池の危険をしっかりと知らせ、そこに立ち入らないように徹底する必要がある。

B 汚染した集落住民の移住

 すでに述べたように、DungridihとChatikocha両集落は、鉱滓池の建設で住居を破壊された住民たちが、やむなく鉱滓ダムに隣接する場所に家を建てて住んでいる村である。そこは鉱滓で汚染されており、長く住民がそこに住むことは適切でない。今のところ、その両集落をのぞけば、ジャドゥゴダ周辺の汚染はほぼ無いに等しい。両集落の住民をジャドゥゴダ周辺でいいので、どこかに移住させる必要がある。

C 放射性物質の厳格な取り扱い

 鉱滓や残土による汚染を防ぐことはすでに述べたように大切である。一方、製品として得たウラン自身もずさんに取り扱われてきた。八酸化三ウラン、いわゆるイエローケーキとして得た製品のウランはドラム缶に詰めて運ばれる。しかし、そのドラム缶の中には腐食で穴が開いているものがあり、すでに前回の報告で述べたようにラカ鉱山駅にはイエローケーキが散乱している。UCRLからすれば、せっかく得たウランがもったいないであろうし、住民からみれば、それによって被曝させられる。早急な改善が望まれる。

W.アジアと私たち

 今回のジャドゥゴダでの調査に当たっては、ジャールカンド反放射能同盟(JOAR:Jahrkand Organization Anti Radiation)の人たちのお世話になった。メンバーが運転するバイクの後部座席に座って周辺を走り回り、放射線量を測り、ラドン捕集用の活性炭試料を配置して回った。ところが、Dungridihの集落から出る時についにUCILのガードマンに見つかってしまった。その場は、「公の場に出入りして何が悪い」と切り抜け、JOAR代表のビルリ氏の家に戻った。しばらくして、今度は警官が踏み込んできた。何人のメンバーで来て、どこのホテルにいるかと問われただけで、「何か問題があるのか」との私の問いには、「No Problem」と言って、その場は帰っていった。

 その前日の午後、私が明るいうちに鉱滓池に近づくのはまずいとのことで、私は彼の家の近くにある小さな掘ったて小屋の草を編んだベッドで休んでいた。横にはため池があり、女性たちは食器を洗ったり、洗濯をしたり、水浴をしたりしている。子どもたちは泳いで遊び、池の上から石を投げたりする子もいる。牛もやってきて、水浴び。犬は何気なくやってきて、私の隣に寝そべった。風が爽やかに流れ、雲もゆったりと流れていく。何もかもが自然に溶け込むような生活がそこにあった。



 ところが池の向こうには道路を隔ててChatikochaの村があり、その向こうには第三鉱滓池のダムがそびえている。手前の道路には時折巨大なダンプカーが走っていく。その姿はあたかも住民に襲いかかる巨大なモンスターのように見える。ここで採掘されるウランはインドの核(=原子力)開発を支えるために必要である。その一方で、電気などほとんど使わずに生きている人々の生活が破壊されている。

 アジアの一角にある日本でも、私たち日本人は、電気を含めた厖大な人工的なエネルギーを使い、自然からますます遠ざかった生活を送るようになっている。地球環境は有限であり、現在の地球人口全員が、今の日本人のような生活をしようとすれば、人類の生存可能環境は失われる。私たちに求められているのは、今日の私たちの生活様式そのものを変えることであるはずだ。そのために、日本人はつい100年前までは自分たちも送っていたような自然に根ざした生活様式をアジアの人たちから再度学びなおす必要がある。

 警官の職務質問を受けた夜、ホテルに戻った私は荷物の一部を今回の調査に同行してくれた広島の人たちの部屋に移した。夜になって警官に踏み込まれて、せっかく採取したラドン測定用試料等を奪われたくなかったからである。しかし、何事も無く夜は過ぎた。ところが、ビルリ氏の家には夜になってまた警官がやってきたそうであった。百戦錬磨の闘士であるビルリ氏がそんなことで動じるはずがないが、私が現地に行くこと自身が現地の人たちへの弾圧の口実になるのであった。

 科学の世界では、データを集めれば集めるだけ正確な判断ができるようになる。しかし、私はこれまでの調査で基本的に私ができる仕事は終わったと思う。私は、私自身が住民への弾圧の口実となることを望まないので、今後、現地調査は行わない。これまでの作業の結果を公表することで、ジャドゥゴダの住民たちと連帯したい。(2003年10月8日記)



ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.64もくじ (03年10月20日発行)B5版40ページ   

●「核廃棄物処分場フォーラム(韓国)」のおしらせ               
●プアン核廃棄場建設問題                    
●東濃から扶安(プアン)へ、連帯メッセージ               
●インド・ジャドゥゴダの住民たち (小出裕章)           
●タイ・オンカラック研究炉、「環境影響評価」却下      
●「核四公投」にスタートを切った台湾を訪ねて(菅井益郎) 
●核四公投(第四原発国民投票)へ向かう台湾 (酒井亨)  
●UMRCのイラク・ウラニウム被害調査 (吉田正弘)    
●劣化ウラン弾使用を認めない、とんでもない政府答弁書         

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