ノーニュークス・アジアフォーラム通信 号外 (04年1月15日)より

韓国プアン核廃棄場反対闘争―民主主義の闘い―

住民投票実施に向けて11月以降の動き

      鈴木明(ソウル在住)



雪の中のキャンドル集会

●プアン住民の政府に対する不信、警察の暴力、支援の広がり

【11月17日】政府がプアン郡民の「年内住民投票実施」要求に反対の立場を明らかにしたことにより、「プアン懸案問題解決のための共同協議会」という政府との対話機構が決裂した。住民投票を最後の譲歩案としてまとめ、年内実施を求めたが、政府に拒否されたことでプアン住民の怒りは高まり、キャンドル集会では、新たな闘争を組織しようとの声が続いた。集会後、郡庁に向けてのデモの過程で、警察との衝突により40名余りが負傷し、「核廃棄場白紙化・核発電所追放・全プアン郡民対策委員会(以下、プアン対策委)」幹部と住民数十名が連行された。

【11月19日】1万人余りが集まり、プアン2次ゼネストが行われる。集会後、住民たちは西海内高速道路を1時間以上に渡り占拠し、核廃棄場反対を叫んだ。117日目となる夜7時からのキャンドル集会では、「盧武鉉政府は対話の姿勢がなっていない欺瞞的政府であり、暴力警察を前面にした『殺人』政府」だと糾弾した。集会後、郡庁へ向けデモし、郡庁前では武装した戦闘警察と、鉄パイプ、棍棒を持った郡民の先鋒隊が対置し、火炎瓶、LPガスボンベに火がつけられ、警察の鎮圧を阻止する激烈な戦いが展開された。またプアン芸術会館に移動した郡民たちは、会館周辺に火を放ち、ゴミトラック6台を全焼させた。郡民たちは「核廃棄場の白紙化がなされない限り、政府に向けた激烈な闘争は止まらない」と話した。

【11月20日】キャンドル集会が開催される水産協同組合前の「反核民主広場」の舞台を、警察が強制撤去する。この日、全北地方警察庁は、「プアン住民の示威が激化したことにより、夜開かれるキャンドル集会は源泉封鎖する」と明らかにした。舞台撤去とその後の過程でも、警察による住民への暴行、逮捕が行われた。この日以後、反核民主広場でのキャンドル集会は禁止され、夜間集会禁止と称し、2人以上集まって通行することも警察が妨げるようになる。

 プアン住民は「白紙撤回」を求めてきたのだが、「住民が同意しない核廃棄場は推進しない」と政府が明らかにしたことをふまえ、3泊4日の討論を通じ、困難な中「年内住民投票実施」に意見をまとめたにもかかわらず、この提案を政府が拒否したことにより、プアン住民の闘いは激しく闘われた。

 11月17日以降の激しい闘いはマスコミにより全国に報道された。市民団体は住民投票実施を求める声明を出し、民主党、ハンナラ党、ウリ党といった与野党の国会議員が、プアン現地を訪れ住民と懇談した。

【11月25日】産業資源委員会所属の国会議員がプアン対策委を訪れた。住民たちは、「非民主的手続きによる誘致過程」、「警察暴力の問題」を訴え、住民投票年内実施による事態解決を求めた。

この日、反核国際フォーラムが開催されるとともに、123日目のキャンドル集会がプアン聖堂で開かれ、集会に先立ち「全国民衆連帯」による記者会見が行われた。2003年5月21日に発足した全国民衆連帯は、民主労働組合総連盟、全国農民会総連盟、全国貧民連合など、労働者、農民、都市貧民、青年学生、良心的知識人、宗教人による連体組織であるが、この全国民衆連帯がプアン住民との連帯を宣言した。そして12月6日に予定されている全国各地での民衆大会でプアン住民への連帯を確認し、12月13日に全国からプアンに結集することが明らかにされた。

このように年内住民投票実施をめぐるプアン住民の闘いは、全国的な社会争点としてクローズアップされ、市民社会団体が核廃棄場反対を訴えるプアン住民との連帯を積極的に進めることになる。

●公然化する誘致賛成派の動き

【12月5日】『プアン郡地域発展協議会』、『プアン愛分かち会』により核廃棄場誘致支持宣言がおこなわれる。地域発展協議会は住民投票を2004年4月13日の国会議員総選挙後と提案した。これは郡守の見解と同じものである。

【12月9日】『プアン経済発展協議会』発起人大会で政府に「国策事業」推進を求める。『プアン・ビジョン基督人協議会』がプアン対策委の闘いを批判。地域発展協議会、街頭宣伝(反対派の抗議の中、私服刑事に守られ15分で撤収)。

●政府がプアン核廃棄場誘致の再検討を発表

【12月10日】産業資源部長官が記者会見し、「17年間流れて来た原電センター誘致事業の円滑な解決のため、プアン以外に、他の地域の追加誘致申請を受け付けることにした」とし、「政府が用地選定の推進過程で、プアン住民の意思が十分に反映されなかった問題など、国民と地域住民に混乱と不便をおかけしたことについて謝罪する」と話した。

この日の記者会見で産資部は、核廃棄場用地の申請過程で住民投票などの手続きを新設することに決定したと明らかにした。その手続きとは、自治体長の仮申請、賛成反対の討論、住民投票実施、本申請、審査を通して最終用地と選定するものである。ユン・ジンシク産資部長官は、「できるだけ年内に新規誘致の募集案を出し、6〜9ヶ月間十分な議論と意見をまとめる過程を経て、住民投票を行うことになるだろう。他の地域が申請し、プアンと複数申請となる場合、審査基準にプアンへの優先的配慮の余地を入れる」と明らかにした。

政府・産資部の記者会見についてプアン対策委は会見を通し、「プアン事態の実質的な解決案を提示していない点は極めて遺憾。年を越える前に方案を提示すべき」として、『プアン郡支援特別法』方針撤回、韓国水力原子力会社と産資部関係者全員の撤収、ウィ島地質調査即時中止を求めた。
産資部はプアン住民の求める年内住民投票実施については触れなかった。

【12月13日】「2003プアン反核、生命、平和のための汎国民大会」に1万2千人結集。ハンスト31日目になるムン・ギュヒョン神父が「ハンストを終わりにして、郡民と共に核廃棄場白紙化の日まで闘う」とアピールした。

【12月24日】反対派に対する弾圧も続く。プアン対策委キム・ジョンソン委員長(37、プアン郡議員、7月郡守事務室器物破損容疑で逮捕令状)ら3人が逮捕される。なおも8人が指名手配の状態でプアン聖堂に避難している。



●独自の住民投票実施を準備

【12月29日】プアン対策委は記者会見を開き、国会議員総選挙の60日前である2月13日までに住民投票を実施することを求めた。

政府は産業資源部長官が謝罪、辞任するとともに住民投票を受け入れることを明らかにしたが、その後非公式の対話を引き延ばしながら、住民投票の日程と時期を示さないでいる。

これに対し対策委は、政府が2月13日までに住民投票を受け入れない場合は、全国の心有る市民社会団体で住民投票管理委員会を構成し、2004年2月中に独自の平和的な住民投票を行うことを明らかにした。また、郡守リコール、必要であれば納税拒否、住民証返還、公務員の業務拒否など住民不服従運動も辞さないとし、年明け1月7日までに回答するよう政府に求めた。

【1月7日】プアン対策委の住民投票実施要求の回答期限である7日、政府からの回答はなかった。対策委は独自の住民投票実施に向けた準備に入る。

またこの日、ソウル大学の教授らにより、核廃棄場をソウル大学キャンパス内に設置することを提案する記者会見がもたれた。カン・チャンスン原子工学科教授などが、18年におよび核廃棄場が決まらず、プアン事態が深刻なことを受け、安全性を立証する立場から国立大学であるソウル大学敷地内に廃棄場を作ることを提案した。

これに対し、ソウル大学があるソウル市の冠岳区は即時、反対の声明を出した。そこでは、ソウル大学が位置する冠岳区には一言の相談もない、一部教授による核廃棄場建設提案に、強く反発している。これはまさにプアンに核廃棄場誘致が決まった過程そのものである。

【1月12日】プアン対策委は「15日午前、ソウルで『住民投票管理委員会』発足式を持つと同時に、午後4時プアンの水協前で住民投票宣布式を開くことにした」と明らかにした。



「2004年、また新たな年を迎えます」 

ムン・ギュヒョン

プアン核廃棄場反対闘争の先頭にたち、昨年11〜12月には31日間の断食も行なったムン・ギュヒョン神父が、新年1月4日にプアン郡民と国民に向けて送った新年の挨拶文




2004年、また新たな年を迎えます。こうして愛する人々に新年のご挨拶を差し上げることができるようになり、この恩寵(恵み)の機会をお与えくださった神様に感謝いたします。

事実、昨年は断食の末にこのまま永遠に旅立つかもしれないと感じたこともありました。それが自分にできる最善の愛の表現であるならば、「よし、この道を行こう」と静かに自らに言い聞かせた時間でありました。

しかし、田の畦に生える草の葉のように非常にねばり強いプアン郡民の生命力と、多くの方たちのあふれんばかりの愛が、私を今一度立ち上がらせてくれました。伏して感謝の意を申し上げます。皆様の熱情と偉大さの前に、深い尊敬の大きなチョル(お辞儀、礼)を捧げます。

まことに困難の多い、くたびれた2003年でした。悲痛さに涙で大地を濡らし、天に向かって恨みをぶつけたことも一度や二度ではありませんでした。しかし、これまでの歳月の中でもそうでしたし、また今後もこれ程の祝福を受ける年はないかもしれないのです。セマングム干潟を生き返らせるために成し遂げた65日間の三歩一拝(三歩あるく度に拝むこと)と、今も続けられているプアン核廃棄場反対の闘い。このように美しい余韻の中で人々と共にあること。今後、これ以上に喜ばしく輝かしいできごと、出逢いはないだろうからです。

2003年は、なによりも日常の幸福、常識的な幸福を守るためにも、気持ちをまっすぐに持って熾烈に生きなければならないことを切実に確認した年でありました。

学生が心おきなく勉強することができ、先生が平穏に教えることができる幸福。農夫が決まった時期に種を撒き刈り入れできる幸福。漁夫が安心して魚をとることができる幸福、家族が共に食膳を囲んで座り仲むつまじくご飯を食べることができる幸福、老人が子供の将来を心配しなくてもよい幸福、外部の脅威なく安全に暮らせる幸福、国民としての権利と役割が尊重される幸福、自然とともに生活できる幸福…等々、そのような日常的で常識的な幸福を守り享受することが、この時代には決して容易ではないようです。

野蛮で非道徳な権力、資本の輩は、彼らだけの論理と独占のもとに服従しないものには、私たちが持っているささやかな生気と喜びさえもすべて吸いとり破壊してしまおうとするためです。

より多くの愛をもって、より強く連帯すること、そのこと以外には方法がないようです。それだけが何も持たない私たちの生存を保障し、私たちの生命を、そして私たちの自然を守ってくれるように思います。

今年はより一層美しく包装された絢爛な言葉と偽善が私たちを誘惑するでしょう。しかし雨が降る日には一陣の雨脚となり、台風「メミ」(台風14号「セミ」)が迫った日にはむしろ暴風になって、反核広場を守った人々。雪の降る日には雪だるまになってキャンドルのあかりを掲げていた人々。座った場所が私の墓だと言い、身じろぎひとつせず場を明るくされていたプアンのハルモニたち。そんな人々の中で良心の声を聞き、真実の力を信じ、そんな草の根民衆の目で世の中を見るべきではないでしょうか〜

卑屈な安楽さではない、堂々とした抵抗こそ美しく、他人が投げ与えてくれる安らかな甘い水よりは自分たちで作る幸福な疲労感こそ真に味わいのあるものです。

2004年、今年もさらに多くの愛を分かち合うことができることを期待します。「愛している」とより多く表現できることを私自身に望みます。一人で見る夢はつまらない夢だが、共に見る夢は現実だといいます。希望を現実にしていく人々、現実を踏みしめながらさらに多くの夢を見る人々、尽きせぬ愛を注ごうと努める彼らによって、生命と平和の気運がより一層満ちあふれる一年となるようにして下さりますようお祈りいたします。

傷ついた人、監獄に送られる人、飢えた人、涙を流す人、絶望する人、そして死んでいく自然が、どうか少なくなるようにして下さりますようお祈りいたします。
皆がよい年を迎えられ、ますます健康であられますように。



ノーニュークス・アジアフォーラム通信 号外もくじ
(04年1月15日発行)B5版12ページ   

●韓国プアン核廃棄場反対闘争―民主主義の闘い

住民投票実施に向けて11月以降の動き(鈴木明)
●「2004年、また新たな年を迎えます」(ムン・ギュヒョン)
●プアン郡守負傷事件の真相(安楽知子)
●プアン核廃棄物処分場反対運動日誌 7月〜12月 

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