ジャイタプール;
終わりのない闘い
(1)

シャムシェル・ユサフ、モニカ・ジャー
 

          
 建設予定地

 草原が次々と、その色彩を変えていく。たっぷりと水分を含んでコンカン地方の空にうかぶ雨雲のすきまから陽光が差し込み始めると、草原はそれまでの濃いモスグリーンからきらめくエメラルド色へと植物の色を変えていく。コンカン地方の平原は、実に起伏に富んでいる。そびえたつ西ガーツ山脈とアラビア海にはさまれたこの地に、いくつもの川が交差する。ほんの小さなものから雄大なものまでいくつもの滝が形作られ、深く切り立つ渓谷や誰にも知られていない砂浜がいつもかわらずそこにある。

 ゴアから100キロほど離れたハティヴァネ村から15キロほど進むと、マドバン村へと向かう曲がり角がある。その道は、アラビア海に通じる高く切り立った崖に建てられたワガプール灯台へと続いている。ワガプール灯台の最上階からは、断崖絶壁に打ちつけるアラビア海の荒波を見ることができる。舞い上がる塩分で、空気が濃い。

 インド政府は、その灯台の周辺に、世界最大級の原発となるジャイタプール原発を建設すると発表した。偏屈なまでの美しさと人を寄せつけない静けさをもったこの大草原に。訪れた人がしばしば、「地球上でここよりも幻想的な場所を見つけることは難しい」と語るこの土地に。

 2005年10月、政府はジャイタプールに2基の軽水炉を建設することを承認した。予定地から5キロ圏内のマドバン村の人々は、この決定に激怒した。米、マンゴー、ココナッツなどを栽培する農家が大部分のこの村では、人々は質素な暮らしをしていたが、その勇敢さには定評があった。今でも人々は、この地域で14の村々がインド独立運動に身を投じたことを誇りに思っている。

 同年11月、まだ村人たちが原発建設にどのように反応するべきかを話し合っていたにもかかわらず、原子力公社は地元のパンチャヤット(村の自治機関)に対して、「30人のジャーナリストがカルナタカ州のカイガ原発見学の帰りにジャイタプール原発予定地を視察する」と伝えてきた。

 グラムサバ(住民総会)がその朝に召集された。反対運動のリーダーだったシュリクリシュナ・マイエカールは、原子力公社が地元の人々に相談する前にジャーナリストの予定地訪問を決定したことに怒りを感じていた。

 グラムサバでは、50代のマンゴー農家のプラヴィン・ガヴァンカールが、黒旗を掲げて抗議行動をすることを提案した。彼は軽やかに言った。「もしだれも反対しないなら、私がこの行動を指揮しましょう」。

 グラムサバの会場から、400人近い人々が村の入り口までデモ行進をした。原子力公社の職員とジャーナリストたちを乗せた豪奢なバスが村に到着すると、ガヴァンカールと何人かの仲間たちが、黒旗をはためかせながらバスの前に飛び出して地面に身を投げ出だした。「マドバン村を守れ! 原発計画を撤回しろ!」と人々は口々に叫んだ。

 ジャーナリストたちをエスコートしていた原子力公社の渉外担当者がバスから降りて来て、なぜ彼らがそこにいるのかと尋ねた。ガヴァンカールが一歩進み出て「政府が地元住民と話し合いをしなかったのは公平ではない」と述べた。村人たちは、プロジェクトの幹部たちと村人がバグワティ寺院で話し合いを行なうよう提案した。

 会合を開くことについては合意がなされたが、村人たちがジャーナリストたちの予定地訪問に同行することは許されなかった。そこで村人たちは、バスを追い帰した。

 懸念を抱いた原子力公社は、約束通り12月8日にバグワティ寺院で話し合いを行なった。プロジェクトの最高幹部も参加した。人々はプロジェクトへの反対を主張し、詳細を質問した。何基の原発が建設される予定なのか? 立ち退かされる村はいくつあるのか? 立ち入り禁止区域はどれくらいになるのか? 放射能の影響はどんなものなのか?

 原子力公社の職員らは「村には何の問題も降りかからない」と説明し、「これからは、あらゆる意思決定において、村人の意見を尊重する」と言った。

 それから一週間もたたない12月14日に、マドバン村の人々は、原発建設に向けた土地取得のための共同調査が行なわれるとの知らせを受け取って驚愕する。彼らには一言の相談もなかった。彼らの土地が原発建設のために取得されてしまうと教えてくれた人は一人もいなかった。こうして、いとも簡単に約束は破られたのだった。
 
● 地域調査が、未来をかけた土地の闘いの火ぶたを切って落とした

 すべては、1984年に始まった。ヘリコプターがマドバン、ジャイタプール、そのほかの村々の上を飛び回るようになった。

 コンカン地方のこの沿岸地域は、隣村に行くためにはボートに乗って入り江から入り江へと移動しなければならないような場所である。ヘリコプターが飛び回るなどということは未だかつてないことなので、何か重要なことが起き始めているということが簡単に類推できた。当時、「あのヘリコプターにはインディラ・ガンジー首相が乗っていた」という噂が流れていた。しかし実際に乗っていたのはスリニヴァサンだった。彼は当時、原子力公社・発電計画エンジニアリング部長で、その後の西部電力委員会議長になった人物である。ヘリに乗って視察を行ない、ジャイタプールが原発建設に適切な場所かどうかを調べていたのだった。

 しかし地元では、あのヘリにはインディラ・ガンジーが乗っていたという噂が定着したままだった。原発建設計画を地元の人々が知るようになるまでには、何年もかかった。ヘリコプターでの調査の後、スリニヴァサンはムンバイに帰り、「ジャイタプールが原発建設に適当」という旨の報告書を提出した。

 ジャイタプールが原発建設に適している理由として、海が近いので冷却水が豊富に利用できること、補償しなければならない住民が少ないことが挙げられていた。

 しかし、「情報への権利法」のもとで2010年に秘密の報告書が閲覧可能になって初めて、別の理由も明らかになった。その報告書には、ジャイタプールが選ばれた理由として、沿岸部であるため「低レベル放射性廃液を、基準を満たさない条件でも、ある程度まで、通常運転時に海に排出することが許される」「放射性物質を含んだガスの排出や、低レベル放射性廃棄物の埋設にも適している」などの内容も書かれていた。そして「他の開発プロジェクトでこの予定地を失うリスクを排除するため、できるだけ早く土地を取得すること」を提言している。

 ポカランでの核実験への制裁として、1978年にアメリカがインドへの核燃料の輸出を停止した。さらに1992年には原子力供給国グループが原子力関係の供給を制限した。インドは新規原発のための核燃料を確保することができなくなり、ジャイタプール原発計画もたなざらしとなった。

 2002年になると、フランスがインドで仏製原発を建設するための研究に資金を提供した。これによって手つかずになっていたこの計画が息をふき返し、政府は再び予定地選定委員会を組織した。9月には、委員会が「ジャイタプールに100万kWの軽水炉6基を建設することが適当」と提言した。

 インドが再び核燃料の供給を受けられるようにフランスとアメリカがロビイングを続ける中、インド政府はジャイタプールにフランス製原発2基を建設するための許可を、驚くべきスピードで承認した。これは、当時のサルコジ仏大統領の訪印に間に合わせるためのものであった。

 こうした国際的な策動が行なわれていたにもかかわらず、ジャイタプールの人々は「ヘリコプターでインディラ・ガンジーが視察に訪れた」という噂以来、何の活動にも気づいていなかった。だから彼らは原発建設認可の知らせを受けて仰天した。土地接収の知らせが来て初めて、原子力発電所について知った者もいた。

 予定地周辺の人々は、首相やエネルギー大臣との話し合いを要求し、実現した。定年退職したビジネスマンであるスンダル・ナヴレカールは、そのときの会合でエネルギー大臣が「ここでの原発建設計画は噂に過ぎない」と言い切ったのを覚えている。エネルギーを所管する省庁の大臣だったのだから、彼は計画を知っていたはずであったのに。

 マドバン村の人々をこれ以上ないというくらいの満身の怒りで燃え上がらせたのは、なんといってもその土地取得の手法であっただろう。2005年12月14日、ジャイタプールで土地に関する共同調査が行なわれるとの通知が発せられた。1月になると、マハラシュートラ州政府が土地取得を官報で通達した。

 まもなく、その通達は共同調査のために地元にもたらされた。それまでに、ガヴァンカールはマイエカールやナヴレカールと戦略について討議していた。彼らの指導の下、全村民が「土地取得の通達」を受け入れないことを決めた。「もし誰かが通達を受け入れそうになったら、われわれ全員でそれを思いとどまらせよう」とも話し合った。

 プロジェクトのために、692ヘクタールの民間の土地がマドバン村から、245ヘクタールの土地が近隣のニヴェリ、カレル、ミトガヴァネから取得された。通達には「取得された土地の9パーセントのみが農地で、それ以外は不毛な荒地」と書かれていた。すべての937ヘクタールの土地が個人の所有する土地であった。

 村人たちは「不毛な荒地」ということばに強く反発した。コンカン地方のラテライト(紅土)の地表が、農業に不向きなのは事実だ。しかしだからこそ村人たちは、背骨が砕けるほどの苦労の末に米の栽培を可能にしてきたのだ。ラテライトを取り除いて、耕作可能な土壌まで掘り進めたトレンチ(溝)をつくって農業を行なうのだ。この地域で名高いアルフォンソマンゴーですら、そうしたトレンチで栽培されている。

 マドバン村のサルパンチ(村長)のビカジ・ワグドゥハレは、彼を含めて何人かの農民たちは今でも原子力公社の同意を受けて予定地で耕作を行なっているという。農民の多くは予定地内でアルフォンソマンゴーも育てているが、これに関するはっきりとした統計はない。

 インドでは土地取得は論争を巻き起こす典型的な問題であるが、このケースで民衆の怒りを駆り立てたのは、極端な緊急事態にのみ可能とされるはずの条文による土地取得が行なわれたからだった。「土地取得法」の17項、15日間かかるはずのプロセスを迅速化させることを可能にする緊急事態の土地取得に関する条文が適用された一方、5項で書かれている「土地所有者に異議申し立ての権利を付与する」とした条文は除外された。

 ミトガヴァネ村に住むアーユルヴェーダ医師で、反対運動の先頭に立つミリンド・デサイは、この手続きで50エーカーの土地を失った。「事前の通知は全くなく、土地の所有者は反対を申し立てる時間も与えられなかった。どうすることもできなかった。土地の取得ではなく、これは土地の強制収用だ」と憤る。

 土地の共同調査も、土地所有者を排除して行なわれた。5人以上が集うことを禁止する命令が出たので、調査に抗議するために結集することは非常にハードルの高いものとなった。それでも人々は調査を阻止しようと集まったので、結果的に55人が逮捕されることとなった。          (つづく) 

福島を繰り返すな!  
日印原子力協定反対!
安倍さん、あなたは歓迎しますが
原発はいりません
ジャイタプールでのデモ、
2014年1月25日、8km、3000人
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ノーニュークス・アジアフォーラム通信
No.135もくじ
(8月20日発行) B5版20ページ
●川内原発再稼働のその日(向原祥隆)
●再稼働阻止ゲート前行動(小川正治)
●川内原発廃炉へ向けて、まだまだこれから(高木章次)
●安倍晋三首相とナレンドラ・モディ首相への国際共同アピール 
「インドの使用済み核燃料再処理を可能とする日印原子力協定を締結するな」
(23か国、325団体)
●マレーシアで原発に対抗するシンポジウム(アイリーン・美緒子・スミス)
●死の火を消して生命の火を生かすために(イ・ユンスク/韓国YWCA)
●IAEAの素顔を福井の人たちに知らせ、原発をやめさせたい!(若泉政人)
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