ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.131より

インドに
原発を輸出しないで!

                               クマール・スンダラム 

1. 原子力資料情報室・公開研究会(12月11日)講演より抜粋
                      http://www.cnic.jp/movies/6182
講演映像

 いまインドは、世界の原発メーカーから最も主要な原発市場として注目されています。福島原発事故で一気に脱原発の機運が高まり、さらに窮地に追い込まれた原発メーカーは、新しい市場を必要としていているのです。
 しかし、インドで原発を推進することは、核開発競争を進めることにも直結します。


● CSCはインド原賠法を骨抜きにする

 インド国内で大きな問題となっている原発問題について、インド原子力賠償法を切り口にして考えてみます。

 インド原賠法は、2010年に成立しました。一言でいうとこの法律は、「外国がインドに輸出した原発が事故を起こしたら、その原発を製造したメーカーの責任を追及できる」という内容です。この法律は、後で述べるように、外国企業がインド国内で操業する際の責任について、インドの人々の切実な思いが結集して作られたものです。しかしインド政府も諸外国も、この法律を骨抜きにしようとしています。

 先月、日本の国会で承認された「CSC(原子力損害の補完的補償に関する条約)」もその動きの一つと言えます。これは条件が満たされていないために未発効だった条約なのですが、日本の加盟が決定したことで、数か月後には発効します。非常に問題の多い条約なのに、日本の国会ではほんの数時間の審議しかなされませんでした。

 アメリカやフランスや日本の原発メーカーがインド市場に参入しやすくするために、CSCでインド原賠法を骨抜きにしようとしているのです。

 インドはCSCに署名していますが、批准はしていません。この条約を承認した国は、国内法を変えなければならないとされています。インド原賠法は原発メーカーの責任追及を可能としていますが、インドがCSCを受け入れれば、条約で定められている責任集中の原則の下、事故の責任は原子力事業者、つまりインド原子力公社に集中されることになります。事故が起きても、原発メーカーの責任を問うことができなくなります。

 CSCでは原発事故時の損害賠償の上限額が決められており、国内で賄えない分は加盟国がネットワークを作って補完的に出し合うことになっています。インド政府はこの条約を、「原発事故が起きたときに国際的なネットワークで賠償を行なうための条約だ」とメリットばかりを強調していますが、それは違います。この条約は、インド原賠法に書かれている、原発メーカー責任を追及する権利を断念させるものです。
           
                  
 インド原賠法は、外国企業がインドで引き起こした悲惨な大事故を教訓として人々の思いが結集してできたものでした。世界中で報じられたボパール事故です。

 1984年12月3日の0時過ぎ、ボパールで猛毒ガスの漏出事故が起こりました。この事故によって数万人が亡くなり、数十万人の被害者が出ました。つい最近、その30周年の式典が行なわれました。事故を起こしたのは、ユニオンカーバイドというアメリカ企業のインド現地法人の工場です。ユニオンカーバイドの経営者は、今年の10月に亡くなりました。インド政府から犯罪者として召喚を受けながらも、アメリカ政府が拒絶したことで、本人は何ら責任を問われませんでした。ユニオンカーバイド社は、一定の賠償額を支払っています。しかしその賠償はインド政府との合意で行なわれたため、個々の被害者たちにはほとんど行きわたりませんでした。

 このボパール事故に関して、最高裁判所が2010年に判決を出しました。「このように外国企業がインド国内で事故を起こしたまま責任を取らずに逃げることができる状況は許されない」という判決が出て、インドの社会、知識人が大きく変わりました。政府に対して非常に強い要求を出し、画期的なインド原賠法を国会で実現したのです。「インドで原発を運転する事業者であるインド原子力公社は、必要があれば海外のサプライヤーに責任を問うことができる」という内容が盛り込まれたのです。

 もちろんこれは、原発を売りたい国の政府や企業にとっては非常にめざわりなものです。メーカー責任の部分をいかにはずすかが画策されてきました。たとえばインド政府とアメリカ政府は合同で委員会を作り、いかにしてその条項を外すかを検討してきました。

 インドでは今年4月まで、国民会議派を主体とするマンモハン・シン首相の政権でした。この政権は、議会の中では少数与党、連合政権でした。政権維持のためにさまざまなことが行なわれました。政府自体が、メーカー責任を問う条項を骨抜きにするさまざまな画策もしてきました。たとえば、「責任を問うには、メーカーに事故を発生させる意図があったことを証明しなければならない」という条項を入れようとしました。また、今年の1月にシン首相が自らアメリカで提案したのは、「インド原子力公社が海外のメーカーに責任追及をすることを選択することができる」という内容改変です。インド原子力公社が選択しなければ、メーカー責任は問わないということにしようとしたのです。この首相の行為は、非常に恥ずべきものです。

 インド原子力公社や原子力ロビーは、みずから原発を作ろうという意思はもっていません。外国から輸入することを計画しています。インドにとっての原発推進は、原発を輸入するということに他なりません。

 いま、インド各地に外国製の原発の建設計画がありますが、本体工事に着工したところはまだありません。土地の取得などはどんどん進められていますが、実際の着工はまだなのです。

 モディ人民党新政権の考え方は、ヒンドゥー教徒にとっての強いインドを作ることです。98年の2回目の核実験を行なった政権です。強いインドを作る、軍事大国化していく、世界の大国になる、そのような思想を持った危険な政党が議会で最大多数与党を占めているのですから、CSCが発効したら、モディ政権は原賠法を自ら改正してCSCに加盟しようとするでしょう。そうすることで、世界の原発メーカーの参入機会を作ろうとするでしょう。

 日本はCSCを認めてしまいましたが、これは原発メーカーに世界中での無責任なふるまいを許すことにつながります。今こそ日本とインドの市民が、反対の意思を突きつけなければなりません。

● 日印原子力協定締結を阻止しよう!

 日本とインドの原子力協力については、日印原子力協定の問題があります。今年の9月1日にモディ首相が来日して安倍首相との首脳会談が行なわれました。日印原子力協定も議題に上がるということで、激しい反対運動が行なわれました。

 インドは核実験以後30年以上、世界の原子力貿易から締め出されてきました。しかし2008年にNSG(原子力供給国グループ)とIAEAで特例措置が認められてしまいました。アメリカが先導して、インドの特例扱いを認めたのです。NSGやIAEAが認めたということで、NPT未加盟の国とは原子力の貿易をしないという原則がなし崩しとなり、フランス、ロシア、イギリスなど多くの国々がインドと二国間の原子力協定を結び始めました。オーストラリアとの協定は、ウラン貿易のためです。

 いまだインドと二国間協定を結んでいない日本が、最後に残されています。もしも日本が原子力協定を締結してしまえば、国際社会に対して最終的な肯定的メッセージを送ることになってしまいます。

 唯一の戦争被爆国である日本が、インドを「6番目の核保有国」として認めることになってしまうのです。インドはNPTにもCTBTにも入る気はありません。日本がそのようなインドに、NPTに入らないままに協定を結ぶことは、あまりにも深刻なインパクトを与えることになります。

 日印原子力協定は、世界がこれまで築いてきた核不拡散、NPT体制をぶち壊してしまうことになります。世界の平和安定を築いてきた一つの体制を崩す最後の決定打を、日本が与えることになってしまいます。

 ミティビルディ原発には東芝とウエスチングハウス、コバーダ原発には日立とGE、ジャイタプール原発にはアレヴァと三菱重工が関わっています。

 斜陽化した原発メーカーが福島事故によってさらに大きなダメージを受けたけれど、日印原子力協定は、原発がもてはやされていた時代へと時計の針を大きく巻き戻してしまうでしょう。日印原子力協定は絶対に結んではなりません。

地図
中央左ミティビルディ(ウェスチングハウス・東芝)、その下ジャイタプール(アレヴァ・三菱)、中央右コバーダ(GE日立)

質疑応答

Q:ロシアもインドの原発に関与していますね。なぜ各国の企業はインドをめざそうとするのでしょうか。

A:ロシアもインドの原発に大きく関わっています。ちょうど今日、プーチン大統領がインドを訪問していて、「ロシアは21世紀中に、インドに24基の原発を新設する計画だ」と報じられています。

 なぜ、原発メーカーはインドに参入しようとしているのでしょうか。一つの理由は、インドの原子力事業者が、原子力公社という国営企業であることです。政府の省庁がインド原子力公社を守り、資金を提供し、完全に保護しています。だから、外国の企業が非常に参入しやすいのです。政府との合意さえあれば簡単に市場に参入できるのですから。

 なぜ、原発関連事業がインド原子力公社という国営企業にゆだねられ、国の保護が行き届いているのかというと、それはインドが原発の推進と並行して核開発を推進しようとしているからです。だから私企業には原発を認めず、国がやっていこうとしているのです。インドの原発政策は核開発と一体のものなのです。

Q:インドは地震が多いですか? 避難の問題はどうなっていますか?

A:地震に関して、ジャイタプールの事例をお話します。ジャイタプールの原発予定地では、2011年3月末に、福島の事故をテレビでみた住民が危機感をもって反対運動を激化させました。

 インドでも政府のさまざまな機関が安全キャンペーンを行なっており、地震予知や地質調査を担っている地質学研究所が、ジャイタプール地域の地震警戒レベルの段階を恣意的に一段階下げてしまうということがありました。

 地質学研究所は、インド全土を対象に地質学的な調査や地震の危険性の評価にもとづいた地図を作成しており、地震の危険度に応じて地域が7段階に分けられます。7がもっとも危険性が高いのですが、地質学研究所はジャイタプールの危険度を従来の4から3に変えてしまったのです。再調査をしたのではなく、ただ4から3に書きかえたのです。それによって建設が可能となりました。

 ジャイタプール原発に関しては、生態系保護の観点から懸念が大きいとして、環境省が異議を唱えたこともあります。しかし2010年、サルコジ大統領がインドを訪問する前夜にその異議は却下され、計画が承認されてしまいました。政府は原発推進にのみ目を向けており、人口過密でも、避難計画が不備でも、地震の危険があっても、政府の都合のいいようにしか評価を行なっていません。

 2004年のインド洋大地震では、最南端のクダンクラム原発のある地域も津波の被害を受けました。漁村に被害が出たため、政府はクダンクラム原発から700メートルしか離れていないところに、1500人を収容する再定住村、通称ツナミ村を建設しました。インドの法令では、原発から700メートルのところに人々を居住させることは禁止されていますが、実際には法令違反がまかり通っています。

 こうしたことは司法の面でも行なわれています。原子力規制委員会が、福島事故以降にクダンクラム原発に関して17の項目について勧告と危険性についての注意喚起を行ないました。しかしそれらが実行されていないことから裁判が起こされ、マドラスの高等裁判所が訴えを認めて、原子力公社に改善を求めました。しかし上告されて最高裁判所に移ると、最高裁判所は「この17項目は助言であって義務ではない」と、高裁の決定を切り捨ててしまいました。

 原発計画によって、人々の生活が破壊される、なりわいが奪われるということが起きています。チュッカというところでは、トライブ(日本では「部族」と呼ばれる)の人々がたくさんいます。その人たちは、かつてナルマダダムの建設のために、何の補償もなく強制的に立ち退きをさせられました。賠償金や再就労先など、約束されたことがらはすべて反故にされました。その人たちが暮らす場所が、チュッカの原発計画で再び立ち退きを迫られています。多くの口当たりの良い約束がなされていますが、きっとまた反故にされるでしょう。このように、インドの原発計画は、社会的に弱い立場にいる人たちを犠牲にして進められています。

 インドの農村では、大土地所有者、地主が土地を支配しています。その下に、圧倒的多くの土地なし労働者、土地なし小作農がいるのです。そんな場所に原発計画が持ち上がるとどうなるでしょうか。ごく少数の地主だけがある程度の補償金を受け取るが、土地をもたない農民たちは立ち退きを強いられても何の補償も受けられないのです。ハリヤナ州のゴラクプール原発予定地でも、土地はすべて買収されました。地主たちが補償をうけ、土地のない人たちは立ち退かされました。

Q:インドでは原発から出る核廃棄物問題はどのように扱われていますか?

A:核廃棄物の問題は、原発を作る時点ですでに数千年、数万年の単位で考えておかなければならないことです。インドの態度は、「それは30年後に考えればよい」というものです。現在インドには、核廃棄物の処分場はありません。最高裁判所は原子力公社に、「5年以内に解決の方法を示す」という約束をさせました。クダンクラムの核廃棄物の搬出先として、カルナタカ州のウラン鉱山付近や核実験場など候補地があがっていますが、決まっていません。今は原発のサイトの中で保管されています。

 解決策への道筋は示されていません。核廃棄物を安全に輸送するための緻密な体制を構築することや、周辺住民への説明など、しなければならないことはたくさんあります。過去に、核燃料を輸送するトラックが武装集団に襲撃される事件も起きています。核廃棄物問題は、最大の弱点です。だからこそ先送りされているのでしょう。

 政府による福島事故への対応は、一言でいうと完全に無視することです。政府は「福島事故は原子力事故ではなく通常の事故である」と言っています。2011年3月14日には早くも原子力規制委委員会と原子力公社のトップが会見を行なって、そのように発表しました。福島原発事故に関する報道や情報は、原子力公社のサイトからは削除されています。政府からも福島原発事故に関する情報提供は行なわれていません。

 事故を受けて政府内に3つの委員会が作られ、操業中の原発の安全性管理などについて検証が行なわれました。しかしそれらはあくまで政府内部の委員会に過ぎず、真剣に安全性を高めるような機関は作られていません。インド政府は福島事故をなかったもののように完全否定し、次の原発をどんどん建設しようという考えです。

Q:インドでは原発を安全に稼働させられないという意見が政府内部からも出ていると聞きますが。

A:表明されている懸念は、次の3つに分けられます。1つは、国際的に知られている、どの原発にもある危険性です。原発が本来持っている危険性によるものです。

 2つ目は、事業者である原子力公社が何ら情報を開示せず、説明責任を果たさず、透明性がないことによります。原発を推進する原子力庁と同居する形で規制委員会がつくられ、その下に原子力公社が置かれています。原発に関わる国家機関の、組織的な問題が非常に大きいと思います。

 3番目に、個々の原発の問題です。ジャイタプールの炉型は、EUの加圧水型です。これが果たしてインドでうまく運転されるでしょうか。

 クダンクラムに関しては、80年代初めにインドと旧ソ連が契約をして始まったプロジェクトなので、安全性にかなりの問題があります。近年ロシアの原子力公社の中での汚職事件が明らかになりました。職員がわいろをもらって、品質基準を満たさない部品がインドに輸出されていたことが明らかになっています。

 ゴラクプール原発については、インド製の原発が新規に建設されていますが、灌漑用水路から水の3分の1を冷却水として取水する計画のため、灌漑用水路を使っていた農民たちは農作物の育成に支障をきたして被害を受けます。さらに最大の問題は、去年も今年も1~2週間にわたって用水路が干上がってしまったことです。用水路が干上がってしまったらどうやって原子炉を冷やすつもりなのでしょうか。信じられない計画です。ここには4基の原発を作ることになっていて、すでに用地買収が終了しています。

 2004年の津波でマドラス原発が被害を受けました。津波の後、国家災害緊急事態対応省が作られました。この省は、法的には国内で起こるあらゆる災害や事故に対応することになるはずでした。しかし、原子力規制委員会や原子力庁とはつながりがなく、原発事故については協議が行なわれていません。

 モディ新政権が最初にやった仕事は、国家災害緊急事態対応省を廃止することでした。国家経済計画委員会という、社会主義路線時代からの計画経済を立案する組織も廃止しました。災害対応のマネジメントを廃止して、経済成長だけをめざしていく、多国籍企業の介入を増やしていくという方向です。

 インドと日本が、原発を売り買いするような関係ではなく、民衆にとって必要なものを交換し合うような関係になっていかなければならないと思います。


2.「戦略ODAと原発輸出に反対する市民アクション」結成会(12月12日) 講演より抜粋

 日印原子力協定は、インドの反原発運動にとって、ここ数年、重要な問題になっています。

 今年1月26日の共和国記念日の軍事パレードに、安倍晋三首相は主賓として招かれました。パレードに列席して、核搭載用ミサイルが前を通るのを満足そうに眺めていました。

 アメリカの大統領やイスラエルの首相がやってくるときには、私たちは黒い旗を掲げて大声で「~に死を!」というような表現まで使って抗議をすることがあります。しかし今回の安倍首相の訪印に際しては、「安倍首相、あなたは歓迎しますが、原発はいりません」というスローガンを用いました。

 インドの人々は、日本の人々に敬意を持っています。広島や長崎の経験のある国であるということ、福島原発事故を経て反原発運動が高まっている国だということ、そのような背景から、私たちインドの民衆は日本の民衆に対する敬意の表れとして、柔らかいことばでの運動を選びました。もちろん、安倍首相に来てほしかったわけではありません。

 インドの人々は、日本の人々の活動と日本の政府の活動は分けて考えています。私たちは、日本の方々が原発輸出反対運動を行なっていることをとてもうれしく思っています。私は、本日この会が結成されることで原発輸出反対運動がさらに強まると思います。連帯と協力を続けたいと思います。

 戦略的ODAについていえば、一般市民のお金を私的な企業の利益にふりかえていくものだと私は理解しています。インドでも同様に、市民の税金が私企業や多国籍企業に向けられています。私たちは原発輸出の問題と併せて、インドの公共財を巨大な私企業にふり分ける動きに対してもたたかっていきたいと思います。


● 危険なモディ人民党政権

 今年の5月、インド下院の総選挙が行なわれました。10年間政権をとった国民会議派が破れて、ナランドラ・モディを首相とする人民党政権が誕生しました。人民党は、1998年に2回目の核実験をやった政党です。ヒンドゥー教徒による強いインドを作ろうとする非常に右派的な政党です。

 この政権交代によって、世の中が大きく変わりつつあります。さまざまな社会運動に対する弾圧や規制が厳しくなりました。この状況下でいかに運動を盛り上げて持続していくか、私たちも転換点にあると考えています。

 モディ首相は、外国を精力的に歴訪しています。インドの属国のようにみなされてきたブータンを訪問することで、南アジア重視という姿勢を示しました。隣国同士で戦火を交えたパキスタンの首相も招待しました。ブラジルでブリックスサミットに出席しました。8月末からは来日して一週間滞在しました。国連総会に参加するためにニューヨークに行き、オバマ大統領と会談しました。中国主席、オーストラリア首相もインドを訪問しました。モディ首相はG20にも出席しました。そして今日は、ロシア大統領がインドを訪れています。

 モディ首相はこの7か月間、インドが世界の中で大国として認められることをめざして動いており、原子力関係の貿易に関与が深い国々との関係を強化しようとしています。

 モディ政権のやろうとしていることの問題性は、原発に限りません。環境保護の基準を一気に緩めようとしていますし、私企業を保護する政策へと進んでいます。インドは社会主義的な経済路線を進んできたので、その名残から、労働者にとって有利な労働法制がありましたが、それもゆがめられ始めています。まさに経済優先で、先進的な国の仲間に入ろうとする動きを次々に行なっています。

 5月の総選挙で、モディ政権は議会の3分の2をにぎりました。野党が消滅してしまったような状態ですから、モディ政権は議会で法律の制定や廃止をいとも簡単にできる状況にあります。

●「多様性と統一」

 それに対して市民運動は、さまざまな運動が結集して、共通する問題にとりくもうとしています。たとえば警察の軍事化や、国家権力による弾圧などです。そうした共通する課題に対するプラットフォーム的な活動基盤を作ることで、連帯してたたかおうとする機運が高まっています。

 それが、8月末にニューデリーで開催した国民大会だったと思います。様々な団体がある中で、いくつかの左翼政党もこうしたプラットフォームに参加することで存在感を示そうとしています。

 いまインドに求められているのは、異なる問題にとりくむ人々がいかに結集できるかということです。ダム建設、原発、土地収用など個々の問題を着実に進めながらも、各地でさまざまな異なる問題に別々にとりくんでいる人々が、いかに手を取り合ってたたかうかが問われているのです。

 インドは、政治機構としては一応民主主義的な形式が整っています。しかし強い野党がいない議会においては、最大与党である人民党が好き勝手にふるまえてしまいます。知識人の中には、人民党はひどいことはしないだろうと考える人もいます。たとえば人民党の幹部がイスラム教徒を侮辱するような発言をすれば、党内でそれをいさめたり押さえたりする仕組みが働くのではないかと期待しているのです。しかし実態としては、人民党は国家主義的なヒンドゥー主義を強めていくように思われます。インドのイスラム教徒人口は日本の人口より多いのですが、そのイスラム教徒を切り捨てていく可能性があります。仏教徒、シーク教徒などほかの宗教の人々を切り捨てていく可能性もあります。すでにさまざまな問題が起き始めています。

 しかし、さまざまなところで人々の運動が活発化しています。11月29~30日には、オリッサ州で大規模な抗議行動が行なわれました。韓国のポスコという製鉄会社の現地工場プロジェクトへの反対運動です。オリッサ州は天然資源の豊かなところです。環境に配慮せずに鉱山を切り開く、周辺の住民を立ち退かせる、自然を破壊するなどの事態が起きています。

 私は11月末のオリッサでの集会に行き、ポスコ工場反対運動を行なっている人たちと出会いました。一つひとつの問題に立ち向かうだけではなく、共通のプラットフォームを持つことによって運動を展開していくことの重要性を再認識しました。

 しかしインドが抱える「多様性と統一」という非常に重要で難しい問題があります。文化や言語や宗教など、多様性を持ちながら、その中で統一したプラットフォームを作っていくことは簡単ではありません。しかし、それが求められています。

● 反原発運動はいま

 5月の総選挙に反原発運動の指導者たちが立候補しました。彼らは現地の運動では広範な支持を受けているのですが、選挙においては得票数が伸びず全員落選しました。政治の場面において反原発をどのように展開していくのかも今後の重要な課題だと思います。

 もう一つは、一般の民衆たちへの情報提供が急務です。原発や放射能や被ばくに関して、または福島で何が起きているのかについての正確で十分な情報提供が必要です。それによって反対運動も広まっていくだろうと思います。

 一般民衆への情報提供のとりくみとして、「トレイン・ヤトラ」について説明します。これは、列車の巡礼と訳すことができます。11月の「トレイン・ヤトラ」は、インド最南端のカニャクマリから北部のカシミール州までを列車で移動しながら3日間をかけて行なわれました。みんなで一つの列車に乗り込んで移動しながら、7つの州で2万3千枚のチラシを撒きました。5つの異なる言語を話す人たちの地域を回ったことになります。列車が駅に止まると、チラシやパンフレットを配ります。デリーのような大きな駅に着いたときは、その地の活動家が集まって集会を行なってくれました。車両に横断幕を貼り付けて人々にアピールもしました。インドは非常に広大な国ですが、最南端のクダンクラム原発反対運動の住民たち30人が、中部・北部に行って活動することができました。

 来年2月は、西海岸のムンバイから北東州のアッサム州まで、インドを横断するような経路で列車の巡礼をやっていこうと思っています。


● 日印連帯を

 今年の夏に日本に来て、さまざまな出会いの中でインスピレーションを得ました。いかに一般の人々に原発や被ばくの問題について正しい知識を知らせていくかが大切だと思うので、良質な素材をたくさん集めたいと思っています。いま私たちは、インドで話されている12の言語で福島のパンフレットを作成しようとしています。

 日印原子力協定やCSCの問題について最後に触れておきます。

 アメリカやフランスの企業がインドでの原発建設を計画しても着工まで進まない、本契約まで進まないのは、日本からの部品輸入が確保されていないからです。ですから日印原子力協定が、インドの原発問題にとって重要なカギとなっているのです。

 このたび日本がCSC加盟を決定し、この条約が発効することになってしまいました。これはインドにとって、非常に残念で不幸な出来事です。

 インド原賠法では、原発事故が起きた際にメーカー責任を追及できるとされています。30年前に起きたボパールの化学工場事故を受けて、国会が制定したものです。しかし、もしインドがCSCに加盟すれば、インド原賠法を改正しなければならなくなります。

 インドはすでにこの条約の署名国ですから、あとは国会で承認するだけです。

 CSCによって外国のメーカーが安心して原発を売れるということになります。なぜならば賠償が無限責任ではなく有限責任で一定額に定められ、賠償範囲も狭く設定されていて、裁判管轄権も事故が起きた国のみにあり、除斥期間もたった10年です。

 人民党の原発推進の政策から言えば、当然国会でCSCを承認、加盟し、原賠法が改正されるでしょう。日本のCSC加盟は、非常に大きなインパクトをインドに与えています。

 日印原子力協定の締結反対、そしてCSC発効阻止、インド原賠法を守ることなどを日印の市民が一緒に訴えていきましょう。


質疑応答

Q:2回目の核実験はどういう状況で行なわれたのでしょうか。

A:1998年の核実験について説明します。ソ連崩壊で、インドにとっては依って立つ核兵器保有超大国が消滅しました。インドは、どのような国内政治や外交関係を作っていくかが問題となりました。1980年代までは、インド政府も世論も「インドの国内にあるものはインド民衆のものである。外国企業や外国政府から指図されたり、インドの富が外国に流れたりするのはよくないことだ」と考えていました。

 しかし90年代に入り市場開放が行なわれると、中流層が増大し、一挙に耐久消費財を中心とする市場が拡大し、愛国心や国に対する意識がどんどん変わっていきました。買えるものは何でも買いたい、売れるものは何でも売りたい、強いインドでありたい、という考えが強まっていったのです。そしてアメリカを振り向かせるために、98年に核実験をしたのだと思います。愛国心を高め、国家に対する高揚感を高める役割も果たしたと思います。

Q:なぜ原発を輸出することが核兵器と関連するのですか?

A:IAEAやNSGによって2008年に、インドはNPT未加盟のまま例外措置として原子力関係の貿易を認められました。本来IAEAの査察は、核保有国と非核保有国で方式に違いがあったのですが、インドについては特別な査察方式が容認されました。インド政府が自己申告で、民生用と軍事用の施設を指定し、民生用とした施設はIAEAの全面的な査察を受け、軍事用だとした施設は一切の査察を受けなくてもよいというものです。

 インドが、原発も輸入できるし、その原発のための核燃料も外国から輸入できるということになれば、インド国内で操業しているウラン鉱山から産出されるウランは、すべて自由に核兵器製造に回すことが可能になってしまいます。これまでは、国内で生産されるわずかなウランを、核兵器にも核燃料にも使っていたのですから、この違いには大きなものがあります。

 海外から輸入したウランは原発に、国内のウランは原爆に、そして軍事用の施設は一切の査察を受けない、ということになるのです。日印原子力協定はそれを促進する役割を果たすものなのだということをご理解いただけたらと思います。

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ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.131 もくじ

   (14年12月20日発行)B5版28ページ

● インドに原発を輸出しないで!
(クマール・スンダラム)
          
● 日本は、インドにも、世界のどこにも原発を売るな!
(福永正明
       
● クダンクラムの女性たちから インドと世界の姉妹たちへの手紙

● 韓国・サムチョクにつづきヨンドクも、核電反対 住民投票要求!
(パク・ヘリョン)

● ストップ! 原発輸出と再稼動
      ~CSC(原子力損害の補完的補償に関する条約)を問う!~ 
(満田夏花)

●【声明】参議院は原子力損害の補完的補償に関する条約(CSC)を承認するな!

●《声明》原発輸出を促進し、原子力ビジネスを手厚く保護する「原子力損害の補完的補償に関する条約」(CSC)のあまりに拙速な国会承認に抗議

● 2014年日本げんぱつ無責任(トンデモ)発言大賞 結果発表!

● 福島原発サブドレン汚染地下水の海洋放出計画の中止を求める要請書
                     
                     
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