ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.126より

 「亡くなったお二人の魂がこの地を離れられぬ。 
国が罪なく力なき国民を苦しめてはならない」


           韓国『脱核新聞』2014年1月号  パク・ヘリョン通信員

 亡くなったイ・チウさんとユ・ハンスクさんの魂が、まだ離れられずにいるミリャン(密陽)を訪ねた。

 サンドン面ヨンフェ村は30世帯あまりの小さな村。コ・ヂュンギル、ク・ミヒョンさん夫婦は40年以上の教員生活を終えてこの村に移り住んだ。ささやかな田舎暮らしに背を向け送電塔反対闘争の最前線に立つク・ミヒョンさんにお話しをうかがった。



● 韓電に騙された!


 ク・ミヒョンさんは今年で64歳。夫のコ・ヂュンギルさんとともに2007年にヨンフェ村に移り住んだ。幼いころから病弱で、50歳を過ぎてからは日常生活に支障をきたすほどだったという。コさんは、そんなクさんを見かねて、週末になると土地を探して回った。1999年のある日、たまたま夫に連れられてやってきたのがヨンフェ村だった。春の日ざしがこの上なく温かかった。

 「村のあちこちに咲いていたアツモリソウが今でも忘れられません。草の一本、花の一輪まですべてが美しかった。ミリャンは地名にもあるように日当たりがよくて、日ざしが温かだし風もおだやか。山並もきれいで。誰もが一度来たら自然と『いいなぁ』と言ってしまうようなところなんです」

 夫の定年後すぐに移り住んだ。当時の体重はわずか38kg。農業を生業としない者にとって、ここは癒しの場であり魂のやすらぐ所だった。好きな絵を描いたり、石をひとつひとつ運んで庭作りに励んだり。ゆとりある時間を過ごす中で、数十年来病弱だった体が嘘のように元気になった。

 「村の裏山の左と右に鉄塔が立って、村が送電線の下になってしまう。頭の上に超高圧送電線を頂いて暮らさなければならないということ。私たちが村に来たころ、村の人から聞いた話では、韓電(韓国電力公社)は、『鉄塔は村からほとんど見えないよう裏山の方に迂回させるから、まったく影響はない』と言っていたと。みんな韓電に騙されて、はじめは同意書に署名してしまったんです」

 2005年の住民説明会の後、ヨンフェ村の住民は、被害が出ないようにするという韓電の言葉を信じて同意書にサインした。

 「2011年に、ヘリが村の周囲を飛び回るようになったんです。夫が山に登ってみたら、村のすぐ近くだと。それで騙されたと気づいたんです」

 30世帯あまりの小さな村には公民館もない。村人が集まって何かをした経験もないということで、村人たちは騙されたとわかっても諦めて考えないようにした。当初、他の村の住民は、大きな被害が出るにもかかわらずなかなか立ち上がらないヨンフェ村を非難した。

 しかし、イ・チウさんの自殺をきっかけに、村人たちが集まりはじめた。動画を見て送電線の真実を詳しく知り、韓電に対して、以前の同意は無効との立場を正式に伝えた。以降、ヨンフェ村には「765kV送電塔反対対策委員会」が結成され、韓電と公権力に立ち向かっている。

● 自らの命と財産を守る国民を、「権力にたてつくとはふとどき千万」と、
             見せしめにするのが国家だ


 クさんは、昨年10月に再開された工事が以前とは違う様相を見せているという。

 「5月に投入された警察は500人。でも10月は3000人でした。あたりを埋め尽くす黒い警察の群れを見て、こう思ったんです。ミリャン住民が権力にたてついていると考えて見せしめにしようというんだな。ふとどきな連中だって。だから警察が積極的に韓電の味方をするんです」


                  排除される座り込み(2013年5月)

 3000人を超える公権力が、年老いた住民たちを、まるで暴動を鎮圧するように手荒に扱う様を見て、クさんは国民を敵視する政府の意思を知ったという。

 「国会で、ある国会議員が、『国民が自分の財産と命を守るのは正当な行為ではないのか』と述べました。私は韓電とミリャン住民のどちらが正当かが重要だと思うんです。国が国民の命と財産を保護してくれないから、私たち自らが守る。私たちこそ正当ってことです」

 昨年5月に韓電が合意もなく工事を再開するや、ヨンフェ村のある住民がトラクターで工事進入路を塞いだ。このとき警官がケガをしたとして、警察はその住民を特殊公務執行妨害罪で45日間拘束した。

 「その時の心情は言い尽くせません。私が捕まった方がよっぽど気楽でしたよ。いちばんの農繁期なのに、正当な要求をする国民を一月半も拘束するなんて。こんなに悔しいことがどこにあるって言うんですか。住民を脅してるんですよ。正当に抗議するおばあさんたちを担ぎ上げて追っ払ったり、動けないように拘束したりしたんですから」


                 排除される座り込み(2013年5月)

● ミリャンに同意があるとすれば、
 銃を突きつけて取り付けた同意とかわらない


 12月30日、国会の法制司法委員会は、送電塔建設予定地の財産補償範囲拡大などの内容を盛り込んだ「送・変電設備周辺地域の補償および支援に関する法律」(略称「送周法」、別名「ミリャン送電塔支援法」)を可決。

 韓電は、ミリャンの送電線通過地域の10世帯中8世帯が個別支援金を申請したとしている。その裏には韓電が、賛成・反対両派の利害対立をあおって同意を引き出してきた過程がある。しかし同意したり個別支援金を受け入れたりする住民の意見は、はたして本当に送電塔建設賛成なのだろうか。

 韓電は、住民がどうすれば困るかを誰よりもよく知っている。イ・チウさんが亡くなった後、韓電が工事を強行したのは5月と10月。農作業がもっとも忙しい春と収穫期だ。大切な農作業に被害が及ばないようにしたいという村人たちの気持ちを韓電は利用しているのだ。

 工事再開以降のある日、抗議行動中だった夫コ・ヂュンギルさんが警察に連行された。警察は「おまえが抗議行動を主導しているのか」と脅した。コさんは、ミランダ警告(訳注:警察、検察は連行する際にその理由などを容疑者に告知せねばならないという原則)もなく連れ去られ、一日じゅう取り調べを受けた。

 彼らは、巨大な権力を前に力も何も持たない国民がいかに弱くみすぼらしい存在かを思い知らせ、むやみに逆らえないようにする。その理由がいかに正当であろうと。

 「韓国は民主国家だと思ってました。しかし、ミリャン送電塔工事は当初から非民主的でした。住民がこんなに反対しているのに工事するんだから。それに、福島事故で核発電所はもう作るなと言われているのに、また作ろうってことで、この工事があるんです。国って力のない人は眼中にないんですね。企業の利益が最優先で、少しの犠牲は当然だと思ってる。今まで補償金の話を一度でもしていたら、ここまで来れなかったでしょうね」

● あと何人死ねば工事が止まるのか?

 これよりもひどい話があるだろうか。日々曲がった腰を杖で支えながら険しい山を登ってゆく。70代の老婆が、孫のような20代の警官相手に体でぶつかる。公権力は、老人たちにはばかることなく暴言と暴力を行使する。韓電は家々を訪ね歩き、補償を受け取れと言う。その悔しさを晴らすことができず、体に火をつけ農薬を飲み干す。「公権力が国民を死に追いやっている」と、つもり積もった怒りを訴える場所、それがミリャンだ。

 2012年1月、韓電は工事を強行するとして委託業者を押し立てて侵入。イ・チウさんはそれに抗議して焼身自殺した。彼が逝ったその場で露となった涙は未だ乾くことを知らない。そして昨年12月には抗議の服毒自殺を試みたユ・ハンスクさんが世を去った。

 「人が死んだんですよ。なのに政府や韓電は何とも思わないみたい。人の命がこんなに軽いもんだとは思ってもみませんでした。密陽楼の横にはユ・ハンスクさんの焼香所があって、毎日、全国から弔問客が来ています。彼らの魂はこの地を離れられずにいるんです。工事を止めてください。国が、罪なく力なき国民にこんな仕打ちをしてはなりません」

 ク・ミヒョンさんは病弱にもかかわらず、毎日、公権力や韓電と闘うことをやめない。韓電の戦利品のようにそびえ立つ鉄塔。ミリャンの住民たちはそれを見つつも、なぜ反対し続けねばならないのかを、いっそう明確に確認しているという。

 夕方にユ・ハンスクさんの焼香所に立ち寄った。ミリャンをよく訪ねてくる人々と忘年会を開いた。自分の家族の葬儀のように、隅々までミリャン住民の手とまごころが行き届いたユ・ハンスクさんの焼香所が、「送電塔工事中止記念所」として美しく花開くことを切に願う。そしてお二人の屍を前にしても工事現場22カ所拡張を狙う政府と韓電に対して、今も戦争のような肉弾戦で抵抗するミリャン住民の闘いに、市民の関心と配慮が絶えんことを。
                                     (訳:功能大輔)

   ミリャン送電塔建設反対闘争・希望バス

 「希望バス」は、整理解雇に反対してプサンでろう城ストライキを闘うハンジン重工業労働者の支援に、2011年6月11日に韓国全土から市民がバスで駆けつけたのがはじまり。翌7月の第2次希望バスには9000人もの市民が参加しました。以降、韓国では様々な運動課題で希望バスが組織されています。

 2013年11月30日、ミリャン送電塔建設反対闘争・希望バスが2000人の市民をミリャン現地に運びました。希望バスの加勢を得て、現地住民はこの日はじめて警察の阻止線を突破し3ヶ所の鉄塔建設現場に入りました。道なき山を何kmも歩き、急な斜面で警察ともみ合う危険な場面もありました。夜にミリャン駅前で開かれた集会には、後から駆けつけた人も合わせて3000人が集まりました。

 今年1月25日には第2次ミリャン希望バスが組織され、3000人が全国からミリャンに集まりました。この第2次希望バスの公式日程には工事現場訪問はありませんでしたが、26日に接近を試みた人たちもいました。 (功能大輔)


                       ミリャン駅前 13.11.30

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ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.126 もくじ

                        (14年2月20日発行)B5版24ページ

● さようなら上関原発、山口1万人集会に集まろう! (三浦翠) 
 
● 川内原発再稼働阻止、3.16かごしまパレードへ  (向原祥隆)

● 「亡くなったお二人の魂がこの地を離れられぬ。
  国が罪なく力なき国民を苦しめてはならない」  (パク・ヘリョン)

● 安倍首相の訪印と日印原子力協定の状況について  (福永正明)

● インド・クダンクラム原発反対運動(13)

● 安倍首相の訪印を受けて、インド全土に広がる原子力協定反対の声

● ベトナム初の原発、着工延期か  (吉井美知子)

● 原発メーカー訴訟、ようやく、はじまる! (崔勝久)

● インドネシア・バロン村住民は原発を拒否する! (Suare Merdeka紙)

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