ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.116より

福永正明さん講演会
  (5月20日、大阪)

燃え上がるインドの反原発運動
― 原発輸出反対は私たちの責務 ―  




 3月7日、クダンクラム現地を訪問しました。いまでは極めて緊迫した状況になっていますが、そのときは全くそんな雰囲気はなくて、のんびりした午後でした。反対運動の拠点になっている教会の裏のかなり広いスペースに日よけが作られていて、2〜3時間そこで話をしました。しかし、私が帰国してから、3月19日を境にたいへんな状況になってしまいました。

 今日は、クダンクラムの非常に厳しい状況についてお話しする前に、インドと日本の関係、インドの核開発などについてお話ししたいと思います。

● インドの核開発
 
 多くの日本人には、インドというとカレー、非暴力、お釈迦様、ガンディー、ネルーなどが有名です。でも、知っているようで知らない、知っているつもりになっている危うさがあります。私はこれを「善意の相互誤解」と呼んでいます。つまりお互いに悪気はないのです。

 日本の人は、「お釈迦さまと非暴力の国で自然が豊かで子どもの目がきれいで、貧困があったけど今は経済成長している」というようにしか理解していないし、インド側は、「日露戦争に勝った、原爆を落とされたが立ち直って技術を持ったまじめな人たち」程度のことしか知りません。

 このことは、日印原子力協力協定の問題におけるミスリードの一つの原因となっていると思います。

 インドは、独立前から核の研究を自前で続けてきました。石油はほとんどとれず、石炭はとれてもかなり質が悪い。だからインドは国内に豊富にあるトリウムを使って、トリウムによる核燃料サイクルを作ろうとしてきました。

 世界の状況をみると、1945年8月にアメリカが初めて核兵器を使って以降、ソ連、イギリス、フランス、中国が次々に核実験をしていく。そして、1968年に核拡散防止条約(NPT)ができます。

 インドはこの頃、完全にソ連寄りの社会主義路線を進めており、アメリカとの関係が悪化しました。それにつられて、日本もインドとの関係が疎遠になり、経済的にも人的にも政治的にも関係がほとんどなくなってしまいました。この状態は、40年くらい続きました。

 インド初の商業原発が稼働を始めたのが1969年、そこから核実験をやるところまで自分たちで到達してしまったのです。1974年、インドが第1回目の核実験を行いました。インドはこれを「平和的核爆発」と呼び、核実験とは認めていません。しかし、国際社会はNPTに入っていないインドによる核実験に反発、原子力関係の協力や貿易から締め出しました。つまり国際社会は、アメリカを中心としてNSG(原子力供給国グループ)をつくります。これはインド対策です。

 実はとてもおかしな話なのです。74年の実験の際に使われたウラン燃料と資材は、カナダとアメリカが輸出したものなのですから。

 西側諸国は徹底的な制裁をかけました。日本はこういう制裁があると非常にきちんと守るので、インドからの原子力関係者の入国すら認めませんでした。インドはなんとか独自で原子力開発を進めていきますが、制裁をかけられているがゆえに、外国から燃料や技術を輸入することができない。しかし、自前の技術だけではうまく作ることができない。

 そのような状況のため、インドでは総発電量のわずか3%しか原子力でまかなっていません。69年が商業運転の最初ですから、老朽化が激しいし、燃料不足も著しい。

 インドは今でもNPTに入っていません。インドは、「5大国、安保理常任理事国だけが核兵器を持っているのはおかしい、これは不平等だ」と主張しています。NPTで、5大国以外の国は、IAEAの全面的な査察を受け入れる義務があります。インドは、これに対しても反発しています。5つの国だけが核を持てて、それ以外の国は持てない。そのうえ、それらの国は全面的な査察を受けなければならない。

 日本の原発の再稼働について、「いずれ核兵器を持つためには原発の技術を維持しなければならない」という主張がありますが、それと全く同じ理論で、「インドにも核兵器を持つ権利があるのだからそれを縛るようなことは絶対にしない」というのがインドの立場なのです。

 最初の核実験以降、「インドは核兵器を作る技術を持っているけれど使用はしないのだ」と言い続けていました。そして1998年、インドはもう一度核実験を強行しました。この核実験は、国際社会にインドの存在を気付かせるための実験だったと言えます。その1か月後に、パキスタンも核実験を行いました。敵対している隣り合わせの国同士が核兵器を持つ状況です。南アジアは世界で一番、核戦争の危機が高まったのです。

 西側の諸国にインドを気付かせるというのはどういうことでしょうか。

● アメリカがインドを「発見」

 90年代のインドは、とても困っていました。とりわけ、91年ソ連崩壊、湾岸戦争などで、外貨準備がほぼゼロになり、輸出入ができない、モノの代金が支払えないという状況の中で、一番大きな援助をしたのが日本でした。インドの政治家や官僚にとって、日本の存在はここから始まります。「91年によく助けてくれた日本」として記憶されました。

 その後、海外に流出した人たちが少しずつ戻ってくるようになっていった。そこで始まったのが、IT産業です。あるいはITを利用したサービス関係の仕事です。高い経済成長率を示しているだけではなく、12億人の平均年齢が26歳であるというところが重要です。購買力のある若くて優秀な人材が多く存在するということは、家電、車、教育、旅行、医療などにどんどんお金をかけていく。

 そうなると、決定的に不足するのが電力です。日本もインドに進出したいのだが、頻繁に停電する。道路がデコボコ、港がない、鉄道も時間どおりに動かない。そういう中で、インドを発見したのは、アメリカなのです。これはもちろん対中牽制策にもなりますし、巨大市場です。

 とりわけ2000年代に入ってから、原子力協力を進めるなどしてアメリカとインドが接近していきました。2001年9月のアメリカでの同時多発テロ以来、アメリカはパキスタンを支援しなければならなかったので、インドへの制裁も何の議論もなく解除されました。2001年以降、日本とインドは初めて何千億円単位の商売が行われるようになったのです。

 アメリカがどこに目をつけたかと言うと、日本でやってきたのと同じことです。アメリカが原発を売りつけることによって、最後まで技術やパテント料で儲けていこうとするのです。こうなると、全くおかしな話ですが、IAEAあるいは原子力供給国グループなどでこれまでアメリカが先頭になって制裁を科していたのに、今度はアメリカが先頭になって「例外を認めてやろうじゃないか」と言い出したのです。これは、特例を認めるという言い方をするのですが、日本も軟弱ですので、当然そのお尻についていく。

 日本とインドの原子力協定を促進しようとする人たちは、この部分を強調します。つまり、「国際社会は、インドがNPTに入っていなくても付きあってよいと認めた」というのです。

 でも、これは全くでたらめな嘘なのです。NSGには47カ国が入っているのですが、これは紳士協定で成り立っています。みんなで守りましょう、という約束です。満場一致で決めるというのも約束です。アメリカがインドを特例にしようと主張しましたが、北欧3国、オーストラリア、スイス、ニュージーランドらは猛烈に反対しました。日本は極めてどっちつかずの態度をとりました。反対する国々は、「NSGが壊れてはたいへんだ、誰がどこに何を売ってもいいことになってしまう」と考え、究極の選択として、最低限度NSGを保つために、「インドの特例を認めよう、けれどインドとどう付き合うかは、それぞれの国が決めればいい」と決めたのです。

 ですから、日本でインドとの原子力協力を推進する人たちは、この部分を取り上げて国際社会がインドへの原発輸出を認めていると言いますが、そうではありません。国際社会は、それぞれの国で決めなさい、ということを決めただけなのです。

 一番の問題は、NPTに加入していないインドに大幅に譲歩した特別扱いを認めたことです。インド国内のさまざまな原子力施設について、それが民生用か軍事用かは、インドが決めることになりました。民生用施設は、全面的にIAEAの査察を受ける。しかし、軍事用つまり核兵器を作る方の施設については世界はノータッチでいい、という特例を認めた。

 ということは、インドは核燃料も技術も買うことができるが、それとは別個に核兵器を作り続けることができるということになります。インドへの原発輸出の問題には、核兵器の製造を促進させるという非常に大きな側面があります。



● 原発を売りたい!

 アメリカは、スリーマイル島原発事故以来、新しい原発を作ったことがありません。今年になってオバマ大統領が容認しましたが、世界的に見てもほぼ原発の新設はなかった。その状況を打開するための戦略が、彼らの言葉でいう「原子力ルネサンス」です。早い話が、新興国にどんどん原発を売りつけていこうということです。

 世界を見回したとき、一つの会社で原子力発電所をすべて賄える私企業はありません。企業連合を作ってやるしかない。原子力関係の大企業が手を結びあって、巨大な市場であるインドに、プラントを建設していこうということになっているのです。

 インドは、ある種の買い手市場ですから、原子力協定を次々に結んでいきます。アメリカ、フランス、ロシア、カナダ、韓国。燃料でいうとアフリカの2カ国、オーストラリアとも結びました。日本は、NPTの問題があるがゆえに、協定を結んでいません。ですから、たとえば東芝がアメリカのウエスチングハウスという企業を子会社にして、間接的に出ていく。あるいは、日立がGEと組む。三菱重工がアレバというフランスの会社と組んでいく。そして間接的にインド市場に出ていこうというのが、当面の日本企業の考え方です。

 インドが日本に求めていたのは、耐震技術でした。日本が地震大国として持っている技術を何とか譲ってくれ、とアプローチをかけ続けていました。しかし協定がないので断ってきました。また、日本製鋼所の室蘭工場で作られている圧力容器が世界最高の技術を持っているので、世界の原発企業はそれがほしいのです。アレバにしろ、GEにしろ、ここから圧力容器を買いたい。しかし、それをインドに据え付けるためには、インドと日本の間に原子力協定がなければできない。それで、欧米からものすごいプレッシャーがかかっています。

 アメリカの問題としては、1986年にインドのボパールというところで、ユニオンカーバイド社というアメリカ企業が毒ガス漏れ事故を起こしたことがあります。この会社は結局、一切賠償に応じないで逃げてしまいました。原発をインドが買うにあたって、どこまでどちらに責任があるのかについて、アメリカとの交渉がなかなか進みませんでした。しかし、日本さえ協定を結べば日本の優れた技術、つまり原子炉圧力容器、耐震技術、あるいは運転技術などがもらえる、ということでプレッシャーがかけられました。

● 日印原子力協力協定の交渉

 これまで長年続いた自民党政権は、日本とインドの原子力協定については、国民の納得を得るのに時間がかかるとして踏み出せずにいました。05年から、日本とインドは毎年、首相が相手国を訪問して、相互に首脳会談をやる約束があります。その会談のたびに、インドのメディアは、さあ、いよいよ日印原子力協定が結べるのではないかと報じました。しかし日本の首相は、「日本国内では、やはりNPT条約に入っていない、6番目の核保有国に勝手になってしまっているインドに原発を売ることはできない」と言い続けてきたのです。

 ところが09年9月に民主党政権ができてから動き出したのが、「新成長戦略」です。これは、インフラパッケージ型輸出とも呼ばれています。新幹線や原発など大きなものをどんと売りつけて日本が成長していくしかないという考え方です。名前を出せば、仙石、前原、直島あたりの牽引で、討議が行われていく。

 2010年6月になって新成長戦略ができたところで、突如として交渉を始めましょう、ということになりました。民主党の新成長戦略の柱として原発輸出は捉えられて、自民党の政策を乗り越えて、原発を売って金もうけをしようという民主党政権の動きが活発化した。

 この6月末の第一回交渉については、交渉の3日前に発表されました。当然、インド側はすでに日本に向けて出発した後ですよ。ですから、国民的議論など全く関係ない状態で発表しました。当時の菅首相はカナダでのサミットに行く飛行機の中で「仙石と岡田がいいと言っているならいいだろう」という程度の議論しかなかったそうです。これは、同行記者に聞いた話です。ですから国内的な議論など全く行われていません。

 このインドとの交渉は、国民やメディアから大批判を受けました。日本国内では、産経以外のほぼすべての大新聞が社説で反対した。8月に長崎の平和宣言でも、日印の原子力協定への反対が明記されました。

 日本の原子力産業も当然長期不況ですから、インドの巨大市場に乗り遅れるな、という動きは出てきます。しかし、手放しではできない。そこで、2010年の8月、岡田さんがまだ外務大臣だった頃に「もう一回核実験を行ったら協力を停止する」という表明をインドで行いました。核実験停止条項です。原子力協定の基本条文は容易に作成できますから、日本としては、日本に有利な条件をつけられるかという部分が最後の問題でした。

 しかしインドは、そういう指図を受けたくないのです。「そんなことにまで外国の指図を受ける必要はない」と。背景には韓国の追い上げがあり、インドには、日本がどうしても嫌なら韓国から買えばいいという意図があった。

 交渉は、2010年11月から途絶えています。ですから福島原発事故は関係ないのです。日印交渉は、日本が核実験停止条項を条件にしたが故に止まっていたのです。

 しかしもちろん舞台裏では様々な動きが進んでいました。福島原発事故後も、インドは原発推進の姿勢を揺るがずに続けています。日本国内では、野田政権が誕生しました。野田政権は、国内では原発に依存しない社会へ進んでいくのだ、と言いました。しかし国際的には、ジュネーブで枝野大臣が「より安全な原発を世界に提供していく責任が日本にはある」と発言しました。国内ではもう作れないかもしれないが、国外には売っていくのだということです。

 2011年12月、野田首相が訪印し、協定交渉の再開を決めました。

 ここまで、インドとの原子力協定の問題、核兵器の問題、NPTの問題、そして日本の技術がインドに行くことを欧米が求めている問題、あわよくば日本が原発を直接インドに作ろうという問題が底流にあるということをご理解いただいたうえで、クダンクラムの話に移ります。



● クダンクラム原発反対運動

 クダンクラム原発は、1988年にソ連とインドが建設を合意したものです。その後、ソ連が崩壊して計画は止まりました。本格的に復活したのは、原子力ルネサンスが叫ばれ、インドが国際社会の中に入ってきた2005年ごろからです。

 計画が公表されて以後ずっと根強い運動が続けられてきました。現地は、ベンガル湾沿いの、ほとんど何もない漁村です。地下水を掘っても塩分が含まれているので、外から飲料水を買ってこなければならない。彼らは、2004年のインド洋大津波で甚大な被害を受けています。すでにほぼ完成した原発の横には、500世帯用の仮設住宅が今でもあって、そこに人々が暮らしています。

 地図で見ると、インドの最南端のカニヤクマリから車で2時間くらいの海岸沿いです。クダンクラム原発を中心にして同心円を描いてみると、事故があればスリランカは言うまでもなく、州都チェンナイやムンバイにも被害がおよぶことになります。

 ロシアが資金協力、融資をして、ロシア人技術者を入れて作っています。100万kWのロシア製原発2基が建っています。もうほとんどできあがっています。去年の7月の段階で、試験運転用の燃料棒を入れて、試験運転をしました。去年の12月からの商業運転を予定していました。

 住民たちが一番衝撃を受けたのは、福島原発事故だったそうです。反対運動の拠点になっているところには、福島事故の様子を知らせるタミル語のポスターが貼られています。彼らは、「7月に試験運転が行われた。原発から水蒸気が出てきた。福島のときに爆発したあの煙と同じじゃないかと思った。そして、轟音がした。こんなものがつくられるとは思っていなかった」と言うのです。ですから、本当に明日は我が身であると、彼らは思っているのです。ずっと長い運動が続けられていましたが、本当に最後に住民を立ち上がらせたのは、福島の事故の情報なりを見聞きしたことによって「これは大変なことになる」と彼らが感じたからです。

 9月には4万人が集い、ハンガーストライキを行いました。これは、あくまでも非暴力の行動です。デモ、集会、原発入り口でのピケなども行われました。7ヶ月間、保安要員以外の原発作業員が入れないという状況を作り出しました。そして、ハンストをすることで抗議をしていく。そういう中で、州政府の首相が、「住民の合意を得るまでは運転をしない」と約束したので、ほぼ小康状態が昨年の11月からは続いていました。運動の主体は、女性たち、子どもを抱えた母親たちです。

 私は3月7日に現地を訪問したのですが、穏やかなリーダーたちとゆっくり話をすることができました。彼らが一番心配していたのは、福島の子どもたちはどうなるのだ、チェルノブイリのようになってしまうのか、自然破壊はどうなるのか、魚は釣れるのか、といったことでした。彼らは、本当に自分たちのこととして、福島の事故を見ていました。自分たちの話を聞いてくれというよりは、福島のことを話してくれ、という要望がたくさん出ていました。

 その2週間もたたない3月19日に、州の首相が突如として運転に合意します。それと同時に、数万人の武装した警官隊を投入して、地域を封鎖しました。原発を守り、地域から住民を出さない、物資の供給を断つ、ウダヤクマールさんを含めたリーダーたちの逮捕状をとって逮捕しようとする、などの事態が起こっています。

 大メディアはほとんどこれを流していませんので、インターネット、フェイスブックなどで発信を続けています。

 反対運動はいろいろな誹謗中傷を受けています。いま最新の活動としては、もう国家も州も信じない、自分たちはもう選挙や政治のプロセスは関係ないんだということで、

 投票カードを万単位で集めて突き返す、ということも行っています。



● 私たちの責任

 日本とインドの経済関係は非常に密接になってきています。とりわけ重要なのは安全保障面で、インド洋の安全保障を日本とインドが、アメリカの海軍の下請けをするという構図ができつつあります。マラッカ海峡から西の安全保障を、インドと日本とアメリカで分担しながらやっていこう、という話があります。

 インドは、6番目の核保有国として認めてくれるならNPTに入ってもいい、などと言っています。

 60何年間、日本がある一定程度の国家的地位を保ってきたということには、非核政策ということもあったと思います。しかし、原発輸出は、インドに原発1個売るということだけではなくて、インドに核兵器を作ることを許してしまうことにもなる。我々の立場としては、すべての国の核兵器に反対する。唯一の戦争被爆国という立場を我々がきちんと保つためには、あらゆる国に、非核政策を求めていかなければならない。

 しかし世界の動きは逆行しています。原子力ルネサンスという動きは、小さな国にも進んでいます。たとえばパキスタンは中国から原発を買おうとしています。バングラデシュは、ロシアから原発を買うという話もあります。ご承知のように、ベトナム、トルコ、ヨルダン、スリランカも原発を買おうとしています。さまざまな小さな国々に、融資を付けて、お金と技術を与えて、こちら側に引きつけようということが行われつつある。核兵器をそのまま売るのではないけれども、それとほぼ等しいことが行われている。成長戦略の中で、インドをはじめとする諸外国に原発を売るということが成長なのか? そんな方法で金儲けをしていいのかと思います。

 日本国内についてみると、核兵器をいつか持ちたいというのは、国会議員や官僚のかなりの部分が持っている夢です。しかし、印パの核兵器競争については、日本はどちらにも加担しないことが必要でしょうし、福島原発事故によって日本国内に多大な汚染と被曝をもたらしたものを輸出するということは、絶対に許せない。

 さまざまなところで話をしますが、原発輸出の問題については、関心が薄い部分があります。再稼働の問題が切迫していることも一つの理由でしょう。

 福島の事故に対しては、私たちには同時代人としての責任、未来への責任があると思っています。この地球をこういう形で汚してしまった。安全を妄信していた。そして今、それを世界に売ろうとすることがいかにひどいことかを、お話しさせていただきました。

福永正明撮影

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Q 具体的な弾圧の様子についてもう少し教えてください。

A 村から外へアクセスする道路を封鎖して、完全に孤立させてしまうようなことをやっています。やっているのは、州警察です。ウダヤクマールさんと奥さんがやっていた小学校が、いわゆるごろつきのようなものたちに襲われて、完全に破壊されるというようなことも起こっています。焼き討ちに遭うなどということも起こっています。ウダヤクマールさんたちがかけられている罪状は、インド国家に対する反逆、戦争行為というものです。最悪の場合は死刑です。3月19日以降は、拘束される数も数百人単位になっています。メディアで取材をしている人もねらわれます。お雇い私兵らがメディア関係者を襲ったりしているのです。

 クダンクラムは地下水がないので、道路が封鎖されたら水も届きません。子どもたちは学校にも行けないし、病人が出ても病院へ運ぶこともできません。一切情報を外に流さない。非常に、巧妙かつ、ひどい。

 国際的には、5月14日にロンドンの高等弁務官事務所(インド大使館)前で300人規模の抗議集会とデモ行進が行われました。世界的な反響は少しずつ広がっています。アムネスティインターナショナルやヒューマンライツウオッチも、かなり注目しています。いま、原発を巡る対立ということで言えば、クダンクラムが世界でも一番激しいと思います。

 食料と人口で経験したことなのですが、先進諸国と発展途上国の間の意見対立があります。いま、電気で、エネルギーで同じことが起こっている。ニューデリーの知識人たちは、「おまえたちは原発をたくさん作って電気をふんだんに使って、事故を起こしたからといって、インドに作るなと言うのはひどいじゃないか」と言うのです。以前先進国が発展途上国に対して、これから食料が大変になるから人口を抑制しろよ、と言って激しい反論を受けたのと同じことです。

 また、「何も知らない南の人たちが盲目的に原発を受け入れている」というような上からの目線での論議というのは、私たちにとっても危ない。私たちが原発の事故をどのように考えて、ここまでの経過をどのように私たち自身の中でことばにできるかということがない限り、インドの人たちに原発の問題を語っていくことは非常に難しい。

 しかし、原発事故によってどのような結果がもたらされるかということについて発言し続けることは、最悪の事故を起こしてしまった日本の責任だろうと思います。

Q 民主党政権になって、インドとの原子力協定をめざして水面化でも動きがあるとのことですが、どういうことでしょうか。

A 水面下と言うのは、早い話が経済人と御用学者です。かれらは、なんとかセミナーのような形で人を呼んだり、エネルギーセミナーなどをインドで開いたりしています。

 原発に対してはODAが使えません。でも、その周辺整備ということならODAが使えます。

 原発のお金は、JBIC(国際協力銀行)が担当します。去年の3月以降マスメディアで「原発輸出をしなければどうするんですか!」と言い募っていたJBICの前田という人がいて、その人は今も内閣参与です。パッケージ型輸出のセールスマンです。アメリカに新幹線を売るのもJBICがやっていました。ですが、事故が起こったとしたら、JBICだけではもたないので、財政投融資を使わなければならないですから、結局は日本の国民の税金をそこにつぎ込むしかない。韓国も同じようなやり方をしています。

Q 現地は非常に隔絶された漁村のように伺いましたが、そのような場所で、インターネットの時代であるとはいえ、彼らはどうやって情報を入手したり解釈したりしているのでしょうか。

A ウダヤクマールさんという、非常に立派な指導者の方がいるのです。彼はアメリカで政策学を勉強し、自分の故郷であるクダンクラムの近くに住み込んで、学校を開きながら反対運動を組織していったのです。このウダヤクマールさんがアメリカで入手した様々な情報や原発に関する話をわかりやすく広めていった。ウダヤクマールさん自身は、クダンクラム以外でも、各地の原発反対運動の、全国運動のコーディネーターのようなことまでされています。インドにおいては現場の指導者としては最高の人で、本当に人々から信頼され、敬愛されている。息の長い運動の中で、ここ10年の飛躍的な運動の高まりというのは、このウダヤクマールさんがいたからこそだと思います。

 インドにおいても、ものすごいお金を提示したり、病院を建てる、補償金を支払うなど、日本のメカニズムと一緒で、村長、村会議員、地区長レベルくらいまではみんな賛成に回ってしまっています。

 建設作業に現地の人は雇われていません。インドの場合は、安い労働力を北インドの方から連れてきて、ことばが全くわからないところで共同生活をさせながら働かせるということが可能なのです。ですから、住民にはお金がほとんど落ちない。大都市の後背地として原発予定地に選ばれたということであり、この構図は日本とほとんど変わりません。

 運動のやり方としては、みんなで話し合いをしながら進めていくという、いわゆる草の根パターンが定着しています。次の反対運動のやり方をみんなで考える時間が必ず設けられます。指導者が何か方針を出して、みんなが従う、というのではなく、本当にみんなで話し合って積み重ねていく。また、インド人はことばで語るということをすごく大切にする人たちです。

 これから先インド政府は、原発を新規立地しようとするなら、たぶん、クダンクラムと同じことを続けなければならないでしょう。ありとあらゆるところで反対運動は起きるでしょう。

 住民たちの要求は、べらぼうなものではありません。きちんと説明してほしい。説明がわかるまでは運転しないでほしい。避難訓練をちゃんとやってほしい。そういうところから始まった運動です。

Q 自民党がなかなかインドにOK出さなかった理由は何ですか?

A 自民党がインドとの原子力協定に踏み出せば、日本の非核政策がかわるんじゃないかと国民に言われる可能性があった。自民党はそれが怖かったし、そういう目で見られるのが嫌だった。自分たちはNPTを守るんだということを旗印にしていた。民主党の方が、むしろ、そこをぽんと飛び越えてしまった。

 東芝があんなに金を出してアメリカのウエスチングハウスを買ったのは、日印ではできないと思ったからです。日印原子力協力協定が直接的に話題になるなんて、10年前は誰も思っていなかったのではないでしょうか。NPTに入っていない国に対して、日本が原発を売るなんて、だれも思っていなかった。東芝はそれを見越して2006年にウエスチングハウスを買ったのだと思います。アメリカがインドを狙っていくのだということをわかった上での買収だったと思います。

Q のべ56000人の住民が逮捕されたと聞きましたが? 国家反逆罪はウダヤクマールさんだけですか? 現地に行くことは可能ですか?

A 住民たちが拘束されたということです。警察に連行されて、調書を取られて釈放される。それが56000人。

 国家反逆罪は、リーダー14人に対する逮捕状の容疑です。数千人の住民たちが囲んで守っています。

 現地に行くなら、チェンナイよりも、トリヴァンドラムが近いです。トリヴァンドラムから車で6〜7時間です。私が行ったときは、インド南端の観光地カニヤクマリに行きたいと言って車をチャーターして、ちょっと寄りたいところがあるからとクダンクラムにも行きました。現状でクダンクラムに入れるかどうかは、かなり厳しいと思います。警察車両がかなり並んでいます。私が行ったときでさえ、間に入って紹介してくれた人はどういうふうにごまかしたらいいかなど細かく助言してくれました。


ウダヤクマールさん(中央)第14回NNAF、広島でのデモ 11年8月6日

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