ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.115より
第15回NNAF in 韓国 報告 サムチョク(新規原発予定地)で集会、デモ 【日程】 3月19日 サムチョク(新規原発予定地)で集会、デモ 20日 ヨンドク(新規原発予定地)で集会、デモ 21日 プサンで「環太平洋原子力会議」に対する抗議行動、フォーラム 22日 ソウル・ソガン大学で「核安保サミット」に対抗する国際会議 23日 ソウルで「原子力産業サミット」に対する抗議アクション、共同声明採択 25日 「核安保サミット」抗議・集中行動 “核安保サミット糾弾共同行動の日” 【各国参加者(韓国以外)】 インドネシア:アリ・アクバル(WALHI/インドネシア環境フォーラム) ムトマインナ・ムニル(AM2PN/マドゥラ島・原発監視住民連合) フィリピン:ミッツィー・チャン(非核バタアン運動) エミリー・クルーズ(バタアン労働同盟) タイ:サンティ・C、スパラ・ジャンチタファー (AEPS/持続可能エネルギー・プロジェクト) 台湾:王俊秀(環境保護聯盟)、潘翰聲(碕})、潘翰疆(碕})、ョ芬蘭(碕})、林詩嵐(蘭嶼青年行動聯盟)、林雅惠(主婦聯盟)、?義哲(青年反核環島社聯團隊)、洪申翰(告F公民行動聯盟)、徐詩雅(告F公民行動聯盟)、莊豪隆(主婦聯盟消費合作社) 日本:長谷川健一(飯舘村・酪農家)、黒田節子(原発いらない福島の女たち)、宇野さえこ(ハイロアクション福島)、豊田直巳(写真家)、渡辺美紀子(原子力情報資料室)、村上正子(高木仁三郎市民科学基金)、石原燃(劇作家)、小林晃(写真家)、胡桃沢伸(精神科医)、柴原洋一(原発おことわり三重の会)、前川武志(みどりの未来・関西)、渡田正弘(上関原発止めよう!広島ネットワーク) 、沢村和世(原発いらん!下関の会)、中村美子(日本語教師)、中野晃(朝日新聞ソウル支局)、宇野田陽子(NNAF日本事務局) 【スタッフ・通訳】:イ・ホンソク(エネルギー正義行動)、キム・ボンニョ(エネルギー正義行動)、ファン・ソンウォン(エネルギー正義行動)、ヤン・セジン(通訳)、クォン・スンムン(緑色連合)、高野聡(エネルギー正義行動)、ユン・ジョンホ(脱原発新聞)、功能大輔(脱原発新聞)、チェ・ジョンスク(通訳) ★ ダイジェスト 18日(ソウル) 17日のインドネシアの活動家の韓国入国に続いて、18日には約30名の海外ゲストが相次いで空港に到着した。しかし午後にインチョン空港に到着予定だった日本の一人が入局拒否にあったという知らせが入る。当局は入国拒否の理由を一切明らかにしなかった。長年反原発運動に身を粉にして努力してきた彼をよりによって福島原発事故以後に入国拒否できる正当な理由などどこにもないはずだ。韓国側スタッフ一同は驚愕と怒りでこれを受け止め、エネルギー正義行動のイ・ホンソク代表はすぐに抗議の声明文を書いた。しかしその努力も空しく彼は翌日早朝に日本に帰国した。 また台湾の活動家9人の入国も困難に見舞われた。出迎えに空港に向っていた私は9人の到着が遅かったので「まさか、またもや」と焦燥に駆られたが、1時間以上の大幅な遅れとなったもののなんとか無事に入国できた。話によると、空港での荷物検査の際に、かばんを開けられ、所持品を一つ一つ細かくチェックされるなどの嫌がらせを受けたそうだ。なにはともあれ一人を除くすべての海外ゲストは無事入国が完了、ホテルで疲れを癒した。 (高野聡) 19日(ソウル → サムチョク) 9時半からソウルの世宗文化会館の前で記者会見を行った。当初は26〜27日にソウルで開かれる「核安保サミット」の糾弾を予定していたが、私たち参加者一同は入国拒否という弾圧に抗議せざるをえなかった。胡桃澤伸氏が、核安保サミットの開催前に脱原発の市民団体を入国拒否するという問題に言及し、サミットの欺瞞性を訴えた。 その後バスで東へ3時間半、サムチョクへ到着した。サムチョクは2011年12月に不幸にも新規原発の候補地に選定されてしまった地域だ。しかし町の風景が我々を驚かせた。堂々と「原発反対」の横断幕が町の一角に掲げられている。そこは「サムチョク原発白紙化闘争委員会」の本部があるから可能なのかもしれないが、サムチョク住民の断固たる反対の意志を到着早々感じることができた。 その後、公園で地域住民やカトリックの神父らが集まって集会が行われた。発言者はそれぞれ故郷への愛着と自然を汚す原発の危険性を指摘した。そして、長谷川健一・飯舘村前田区長が発言。「故郷というものは失って初めてその大切さが切々と感じられる」と悲痛な思いを打ち明けた。集会の後はデモ行進が始まった。約1500人の活気に満ちた参加者からは「原発、決死反対」「市長のリコールを認定しろ」などの声が上がった。神父たちが先頭に立ち、各参加者が黄色い風船を掲げながら歩く姿は流麗で壮観であり、通行人からも自然と応援の声が出ていた。 デモの後は、教会でゆっくり食事をすまし、討論会へと移行した。まず長谷川氏が「前田区は村のみんなできれいな村づくりをしていた」「事故後は国からも県からも支援がなく、牛を移動させてはならないと言われ、家族同然の牛を残してただ避難するしかなかった」と述べ、住民の気持ちをないがしろにする杜撰な国の避難体制に不満を表した。畜殺される牛を見送る女性や、絶望のあまり自殺した男性の遺書、餓死した牛などがスライドで説明され、聴衆からはため息がもれた。 次に、エミリー・クルーズさんとミッツィー・チャンさんが、フィリピンの原発をめぐる状況を説明した。フィリピンではバタアンに原発が建てられたものの、1986年に稼動を阻止したという稀有な経験を持つ。稼動阻止成功の背景に、70年代半ばからの粘り強い反対闘争と民衆への教育、80年代半ばマルコス政権末期における民衆運動の拡大などをあげた。原発建設がマルコス独裁政権腐敗の象徴として認識され、3日間のゼネストなど強力な民衆の反対運動でついに稼動阻止に至ったという。原発を建設されても稼動阻止を実現させたフィリピン民衆の闘志と行動力にサムチョク市民も勇気づけられたのではないだろうか。 夜には神父たちも参加して打ち上げが開催された。参加者同士交流を図るとともに、原発に反対する神父たちの中心人物であるパク・ホンピョ氏と長谷川健一氏がこれからの反原発運動の展望などについて語り合うなど、さらなる連帯の輪が広がる様子をこの目で見て私もうれしかった。その後一同は、原発誘致反対だった前サムチョク市長が運営するホテルで休息した。(高野聡) 20日(サムチョク → ヨンドク) 朝からバスに乗り、サムチョク原発白紙化闘争委員会のイ・ブンイ事務局長の案内で、まず原発白紙化記念碑が建てられている8.29公園に行った。この石碑は1993年8月29日、原発の誘致に反対して地域住民が総決起集会を開いた記念に作ったものだ。 原発白紙化記念碑 その後、新規原発の立地予定地を視察し、美しい海岸沿いに建てられようとしていることに改めて憤りの念を感じた。また予定地にはイ・ブンイ氏の生家も含まれており、彼はその無念さを打ち明けると感極まった涙を必死にこらえ、それを「原発いらない福島の女たち」の黒田節子氏が慰撫する場面も見られた。黒田氏は福島県郡山市在住だ。原発災害によって今まさに苦しんでいる人と原発が建てられようとしていることで苦難を経験している人との邂逅。立場は違えど原発というものがいかに人間の存在を踏みにじるものかが感じられる一幕だった。 その後バスはサムチョクを離れ、東海岸沿いを南下、ヨンドクへ向った。ヨンドクもサムチョクと同じく2011年12月に新規原発の候補地に指定された地域だ。バスから降りると、ヨンドク地区の緑の党のパク・ヘリョン候補者が握手で出迎えてくれた。パク氏は原発反対を第一に掲げ、国会議員選挙をたたかっている。一緒に昼食をとった。笑顔を絶やさない明るい笑顔の女性だったが、なかなか原発反対運動が盛り上がらない苦しい胸の内も打ち明けた。 そしてバスでの移動の最中、気分の悪くなるニュースが飛び込んできた。与党第一党のセヌリ党の比例代表1番に原子力研究所の研究委員が選ばれたというニュースだ。与党は脱原発などさらさら考えていないということが図らずも証明されることになった。この日のバスには緑の党の比例代表1番のイ・ユジン候補も同席しており、韓国の現政府の立場と私たちNNAFの立場の違いがはっきりと見られた瞬間でもあった。 やがてバスはヨンドク郡庁に到着し、ヨンドク原発誘致白紙化闘争委員会のイ・ビョンファン委員長は「原発立地予定地は活断層地帯にある」「原発は海洋生態系を破壊するものだ」と述べ、反原発の姿勢を表明した。海外参加者からは黒田節子氏が発言した。黒田氏は「ヨンドクの美しい海岸線を見てきました。これ以上韓国で原発を建てないでください。今あるものは廃炉へ向かうよう頑張って下さい」とヨンドク市民にエールを送った。 記者会見が終了し、デモが始まった。デモ参加者はサムチョクと比べると少なく、正直盛り上がりも若干欠けている印象を受けた。1989年以来、放射性廃棄物処分場など核関連施設の誘致を3回も跳ね返してきたヨンドクだが、反原発運動の後退をそのまま物語っているようで心苦しかった。しかし参加者一同は横断幕を持って、新規原発立地撤回と核なきアジアの目標を共有し、ヨンドク郡内を勇壮に行進した。 ヨンドクにて デモを終えた参加者たちは聖堂で地域住民と討論会を行った。まず、黒田節子氏が「仕事や住宅ローン、家族間の意見の違いなどで簡単には避難できない」「正しい情報を集めることも難しく避難の判断の妨げになっている」と、避難したくてもできない住民の苦しみに満ちた心境を吐露し、放射能の危険にさらされながらそこにとどまる人々の心理に対し想像力を働かせてくれるよう求めた。また「除染はたいして効果がなく逆に被曝を生んでいる」「福島在住の母親たちも除染作業に駆り出されている」と効果のほどがわからない除染に執着する政府を非難し、いろいろやることはあるがまずなによりも「避難、避難、避難だ」と除染よりも避難への援助の必要性を訴えた。さらに除染作業でも土木会社や建設会社などいわゆる「原子力ムラ」の連中が金を稼げるよう政府が手助けしていることに怒りを表明し、そのお金を住民の避難に使うよう訴えた。 続いて台湾の緑の党のライ・フェンラン氏が発表を行った。ライ氏は「台湾の反核運動は民主化闘争と密接な関わりを持って発展してきたため強力だ」と説明した。私も、映像で見る限りだが、韓国よりも台湾の方がはるかに反核運動の機運が盛り上がっていると感じていた。その理由を単に台湾では地震への危機意識が高いからなのかと思っていたが、民主化闘争と深い関わりがあるとの指摘は新しい発見であり、マルコス独裁政権への不満と原発稼動阻止が結びついていたように、アジアでの民主化の動きと反原発運動の密接な関係をまた知った思いで、アジアの民主化運動についての自分の不勉強さが身に染みて感じられた。また彼女は「ドイツなどの例に学びながら再生可能エネルギーの可能性などの政策面を学びつつ、各国の緑の党とも連携しながら運動を大きくしていった」と各国との協力関係の重要性を語った。 次に緑の党から立候補した経験を持つ台湾のパン・ハンシェン氏が自らの経験を語った。彼はまず「生態の英知」「社会正義」「参加型民主主義」「非暴力」「持続可能性」「多様性の尊重」という、緑の党の6つの核心価値を説明し「原発は温暖化対策になりえない」と主張しながら、太陽光パネルを載せ自転車で遊説したときの写真を披露した。また全国的な規模での支持率はそれほど高くないものの、放射性廃棄物の貯蔵所がある、南東部のランユ島では約36%の支持率であり第2党になっていることを指摘した。 その後、そのランユ島出身の先住民であるリン・シラン氏が放射性廃棄物貯蔵所の状況を説明した。彼は「初めは魚の缶詰工場だと説明された」「貯蔵所内では防護服を着用せず窓も開け放しで放射能が簡単に外へ出てしまう」「貯蔵所での厳しい作業規定がないためこのようなことが生じている」と驚くべき事実を打ち明けた。また「この貯蔵所で働くのは70%が先住民で、先住民以外の人々との賃金格差も甚だしい」と差別の構造を暴露した。 原発およびその関連施設は、先住民や貧困層、外国人労働者などが多くの被曝を受け、それに見合う賃金もないという差別構造を持っていることを改めて認識。私自身は京都大学の小出裕章助教の「私が原発に反対するのは、危険だからというよりも、それが差別だからです」という発言を思い出しながら、彼の発表を聞いていた。最後に彼の父親が長年反原発運動をしてきたことを披露、父親の精神を受け継いで自分もしっかり反原発運動にとりくむつもりだと決意を表明し、うっすら涙を浮かべていた。端正な顔立ちと隆々とした肉体には似合わないその涙に参加者やヨンドク住民も心を打たれたのではないだろうか。(高野聡) 21日(ヨンドク → プサン) ヨンドクの原発建設予定地に寄って写真撮影。ものすごい崖の上。日差しは暖かいが風が強い。インドネシアのアリがしきりに寒がる。「これでもだいぶん暖かくなったんだよ」と私。 午前中はプサンに向けて東海岸沿いを移動。統一新羅時代の都キョンジュではポンニョ先輩のガイドが入る。さすが。 11時前にプサンのBEXCOコンベンションホールに到着。ここでは18日から核産業界の国際会議である「環太平洋原子力会議」が開かれている。韓国の原発を海外に売り込もうというのだろうが、直前にコリ1号機が全電源喪失。核なき世界を求める我々に、これは吉と出るか凶と出るか。 記者会見までには間があるので、国際会議に合わせて開かれている「プサン国際原子力産業展」を見学。見学には名前、メールアドレスの登録を求められた。 会場に入るとき、入口の前で警備員のボスが2人ほどの部下に「横断幕やゼッケンなどは絶対掲げさせるな」と話しているのが耳に入った。これはおもしろいぞ・・・、いたずら心が作動。上着を脱いで、「I love 核なき世界」と印刷した今回のNNAF記念Tシャツ姿になった。途端、いかつい男が飛んできて、私を入口に推し戻した。警備員の対応が思ったより早かった。 入口では、NNAFの仲間3人がBEXCOの職員にこの展示会の開催趣旨について説明を受けていた。福島の事故は痛ましく思っている、この展示会は安全をテーマにしている、などと言っていたそう。説明を聞いている人の中には私と同じTシャツを着ている黒田さんも。結局この3人とともに、職員に連れられてTシャツ姿のまま再入場。ごっつい警備員が一人エスコート。広い会場は見学者もまばら。動員された中高生が目立った。 展示会場を出ると、電力会社が子どもたちを動員して描かせた絵が飾ってあった。見る限り「原子力の平和利用」がテーマみたいだ。どこもやることは同じだ。 11時半からBEXCO前で記者会見。インドネシア、タイの仲間の他、総選挙前ということで、コリ1号機の廃炉を公約に掲げる各党の地元候補が発言した。 午後、プサンジン区役所では70人ほどの聴衆を前に、原子力資料情報室の渡辺美紀子さんが原発労働について、黒田さんが汚染下の郡山で暮らす立場から、宇野朗子さんが自主避難民の立場から、豊田直巳さんがイラクで使用された劣化ウラン弾や広島長崎の原爆による被曝について発表した。会場には在韓被爆者二世会会長のイ・ペジェさんもお見えになり、3月25日の広島長崎原爆写真展、署名活動への参加を訴えた。ここから合流した宇野さんは、韓国入国からずっと尾行がついており、会場にまでついてきた。これにポンニョ先輩が、「避難民をテロリスト扱いするのか。尾行なら本人にわからないようにやれ。プロなんだったら」と猛抗議。 その後NNAFメンバーはあわただしく宿へ移動。荷物を降ろし、プサンの芸術家たちが幼稚園だった建物で共同生活している「アジト」で夕食をごちそうになった。アジトのメンバーは3月10日にプサンで反核デモを行い、韓国で初めてサウンドカーを繰り出した人たち。アジトの人たちのために、ここでも長谷川さんが発表してくださった。(功能大輔) 22日(ソウル) たった3泊4日なのに、この旅はずいぶん長く感じる。バスは早朝にソウルに向けて出発。バスが止まった気配に目を覚まし降りてみると、そこはうちのカミさんの故郷アンソンのサービスエリア。ここまでくればソウルはもうすぐ。 午後からはソガン大学で、「核安保ではなく、核なき世界を語ろう」と題するフォーラム。 第一セッションは「核なき世界と核安保サミット」がテーマ。アメリカからジョセフ・ガーソン氏が、「アメリカの核戦略と『核なき世界』実現に向けた課題」、日本から田窪雅文氏が、「福島以降の日本の核政策と核の平和利用の問題」、韓国からク・ガブ氏が、「核安保サミットの批判的検討と核なき東アジアに向けた提案」と題した発表をおこなった。 当初、私は自宅が近いので、抜け出して家で休んでいようかなどと考えていたのだが、急遽通訳をやることになり、通訳ブースへ。ところが主催者側は日本語通訳があるとは聞いてないとかで、大混乱。英語を介した二重通訳が必要なことが混乱に拍車をかけた。おまけに私に同時通訳の経験はほとんどなし。日本からの参加者は通訳機からの声が聞こえないと、しきりにブースを振り返る。結局ブーブー文句をいいながらも経験豊富なポンニョ先輩が8割方やってくださった。私はといえば、機械から流れる声が私のものだと気がついた友人Kがブースをのぞきに来たのをこれ幸いと、彼にマイクを渡して無理矢理通訳させるありさまだった。 ソガン大側の主張に寄れば、当初NNAFは第一セッションに参加の予定はなかったという。だから日本語通訳のためのブースの準備をしていなかったと。どうりでずいぶん朝早くに出発すると思った。やっぱり朝もっとゆっくり出てくればよかったのでは。 第二セッションはNNAFが担当。長谷川さんが飯舘村の状況を報告した他、フィリピン、台湾、タイ、インドネシアから、それぞれの運動の報告があった。フィリピンではかつてマルコス政権がバタアン原発を画策したが、その事業は同政権の腐敗の象徴として民衆の反発を買い、建設されたにもかかわらず運転はされていないという。だが最近、休眠状態の同原発の復活の動きがあり、それに韓国電力が関わっているという。韓国の原発輸出戦略に関連する動きとして注目される。インドネシアでは、電気無しでも幸せに暮らしている人々がたくさんいるのに、政府が電力不足を口実に原発をほしがっているという。どっかで似たような話を聞いたような・・・・。韓国からは環境運動連合のヤン・ウォニョンさんが、韓国の脱原発プロセスを提案した。 (功能大輔) 23日(ソウル・地下) 朝食をすませた参加者一同は、11時にインターコンチネンタルの前で記者会見を行うため地下鉄サムソン駅へ向かった。これは核安保サミットに合わせて、付随してこの日に開催される核産業サミット(Nuclear Industy Summit)に抗議するためのものだ。 サムソン駅に到着し地下通路から地上へと上がろうとしたのだが、なんと大勢の警察が出口を塞いでいた。イ・ホンソク代表が「事前に許可も取っているのになぜだめなのだ」と警察の上層部らしき人物に詰め寄ったが、聞く耳を持たず結局数十分の間、立ち往生する羽目となった。 しかしそのときの参加者一同の行動が感動的だった。誰が指示するわけでもなく、自然と隊列を作り、各々横断幕やプラカードを掲げ「ノーモア、フクシマ」「ノーニュークアジア」などの掛け声を上げた。この騒動を嗅ぎつけたマスコミも、警察の嫌がらせに一切動じない参加者の一致団結した姿にフラッシュを浴びせた。結局私たちは地下鉄の通路で記者会見をするという決断をした。 記者会見はインドネシア、タイ、フィリピンという輸出される側の国々からの発言が相次いだ。みなが原発は安全ではなく経済性もないということを指摘し、地域住民を無視した非民主主義的な原発立地を痛烈に非難、原発を輸出しようとする先進国の政府にも批判を向けた。最後は「ノーニュークアジア」の大合唱で記者会見を終えた。(高野聡) 23日(共同声明) 地下鉄で大学路へ戻り、緑色連合のセミナー室で最終のミーティング。NNAF2012の声明文の採択が始まり、イ・ホンソクさんの作った原案がまず提示された。私のこれまでの経験では、ろくに議論もしないで原案を承認してさっさと会議を終わりにしようとするのだが、この会議はそうではなかった。 フィリピンのミッツィさんから、「この声明文は民衆に向けたものなのか、政府に向けたものなのかがはっきりしない。フィリピンの政府は私たちの言うことはどうせ聞かないから、この声明文は民衆に向けたものにしたい」という発言があり、各国から同様の発言が続いた。イ・ホンソクさんの原案の根本を問うような指摘が続き、この会議はどうなるのだろうかと心配になったが、議論は発展的に展開し、本文は民衆に向けて作成し、本文の後に各国ごとの政府への要請を箇条書きにすることで落ち着いた。文案を練り直すために小会議では、英語、韓国語、日本語が飛び交い、単語の意味のひとつひとつを吟味する討論もあったりして、予定を超える長時間の会議になった。最後に、次回NNAFはインドネシアで開催されることが決まった。 会議の後は近くの中華料理屋に移動して夕食。乾杯の挨拶は、韓国で新たに結成された「反原発の大学教授の会」の先生。私は台湾の王先生と同じテーブルになり、台湾の反原発運動の様子を聞いた。「カーニバルみたな楽しいデモをめざしています」と王先生。食事会の終わりは記念撮影に変わる。明日、帰国する多くのメンバーが並んでポーズを取り、写真におさまってゆく。(胡桃澤伸) 25日(ソウル) 24日に多くの海外ゲストはそれぞれの故郷へと戻ったが、残った参加者が午後1時からソウル駅広場での「核安保サミット糾弾共同行動の日」に参加した。これはNNAFが主催したものではなく、韓国の環境団体や平和団体などが集って、核安保サミットを糾弾する共同集会だ。スローガンは「核安保ではなく、核なき世界を」。 NNAFの参加者だけでなく23〜24日に韓国のハプチョンで開催された「ハプチョン非核平和大会」からも参加者が駆けつけた。日本では「唯一の被爆国」という形容でいわゆる「ヒバクシャ」は日本人が大半だというイメージがあるが、ヒバクシャは朝鮮半島や核実験の行われた国々など世界中に存在する。その世界中のヒバクシャがハプチョンに集い、核なき世界の実現のため開催したのが「ハプチョン非核平和大会」だ。集会は韓国の団体からの発言から始まり、この大会の参加者からも発言があった。 NNAFからは台湾環境保護連盟のワン・ジュジュ氏と黒田節子氏が発言した。黒田氏は「福島では子供たちが外で遊ぶ時間を制限されています。安全な牛乳が飲めません。深呼吸ができません。おじいさんやおばあさんが作った野菜を子供たちにあげることができません。山や川、海がすべて汚されたんです」と、原発災害により破壊された日常を告白。「放射能は国境を越えます。私たち市民の力で、市民の友情と力で、放射能の力に負けないネットワークを作って、脱原発社会をめざしましょう」と市民の団結と連帯の重要さを訴えた。この日ソウル駅広場では私が見たところでは6000人くらい、世界中から大勢の市民たちが集結していたが、人類史的な事件ともいえる福島原発災害に苦しむ黒田氏の悲痛な叫びは、彼ら彼女らの胸に響いていたに違いない。 集会終了後、NNAF参加者はソウル市内を観光、26日にはキム・ボンニョ氏の案内で参加者はそれぞれの国へと帰っていった。 これからはまたそれぞれの国や地域で反原発の闘争の日々が始まる。参加者たちは今回のNNAFで得た連帯とネットワークでさらなる活躍をしてくれるだろう。そして離れていても、核なき世界の実現に向け、想いは一つだ。(高野聡) *高野聡さんは、エネルギー正義行動のスタッフ。功能大輔さんは、脱核新聞(脱原発新聞)の編集委員。二人ともソウル在住。 ******************************************************************** ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.115もくじ (12年4月20日発行)B5版24ページ ●第15回NNAF in韓国 報告<BR> ダイジェスト(高野聡、功能大輔、胡桃澤伸) 共同声明 NNAFに参加して (黒田節子、うのさえこ、村上正子、渡辺美紀子、石原燃、 胡桃澤伸、渡田正弘、前川武志、豊田直巳) ●インド・クダンクラム原発反対運動(4) ******************************************************************** 年6回発行です。購読料(年2000円)<BR> 見本誌を無料で送ります。 事務局へ連絡 sdaisuke?rice.ocn.ne.jp<BR> 「?を@に変えてください」<BR> ******************************************************************** [目次へもどる] |