ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.105より
マレーシア・ARE事件の放射性物質処分場の危険 (「ザ・スター」紙 6月13日付) 問題になっている処分場(クレダン連山)の航空写真。水酸化トリウムをつめた80000本のドラム缶と、 解体されたARE工場のすべての廃棄物が置かれている。 あれから28年が過ぎた。しかし、ブキメラとパパンの人々は、まだ忘れてはいない。 マハティール前首相は、現政権が原発建設を提起していることに対して、5月14日の記者会見で、「マレーシアには、多分国民は気づいていないけれども、確かに放射性廃棄物が存在する。ペラ州に少量の放射性廃棄物がある。その処分場はいまだに安全とはみなされていない。それは、地中深く埋めておくべきものだった」と述べた。 彼の発言を受けてザ・スター紙は、現地の処分場に200リットル入りドラム缶80000本が廃棄されているのを視察した。それらのドラム缶は、パパン市街の裏手にあるクレダン連山にある処分場に廃棄されていた。この処分場は、ブキメラとパパンから3km、イポーから15kmの地点にある。そして、その廃棄物は水酸化トリウムだった。 事実、新しく設計されたEC2と呼ばれる適切な地下貯蔵施設の建設工事が開始されたのは、今年の1月になってからである。 マハティール氏がペラ州の処分場の危険を認めたことは、ブキメラとパパンの住民にとって、苦い雪辱としての側面を持っていた。 なぜなら、1980年代にブキメラ工業地域において、ARE(アジア・レアアース社:三菱化成の実質的な子会社)が町のすぐ近くで放射性廃棄物の処分を行なおうとするのを阻止するための長い戦いがあったからである。 彼らが何を経験したかをマレーシア中の人々が忘れ去ってしまったとしても、ブキメラやパパンの人々、そしてそこから移住した人々は、決して忘れはしないだろう。 ペラ反放射能委員会議長のヘウ・ヨン・タット氏は、問題を表層的にしか見ていないとしてマハティール氏を非難している。「廃棄物が埋められたことはなかったし、その量も少なくない。マハティール氏は、レアアース(希土類金属)を加工するために政府が承認した会社によって放射性廃棄物が排出されたのだということを忘れてはならない」 ブキメラで精肉店を営む66歳のヘウ氏は、AREがモナザイトからイットリウム(レアアース)を抽出していたことを指摘する。それは、カラーTV等の製造に使われるため輸出されていた。イットリウムの抽出工程で、水酸化トリウムが放射性廃棄物として出てくる。その半減期は140億年である。この物質からは、崩壊の過程でガンを引き起こすラドンガスが放出されるのだ、とヘウ氏は付け加えた。 AREは1982年に操業を開始したが、ムサ・ヒタム元副首相が、パパンの移住村近くにあるドリアンヒルは危険で廃棄物処分場にふさわしい場所ではないと明言し、会社に対して他の候補地を探すよう求めた後、クレダン連山に貯蔵施設を建設し始めた。 「たぶん一般の人々は廃棄物のことを知らない」とマハティール氏は言ったが、ヘウ氏は、「多くの人々が抗議行動や裁判にくり返し参加した。AREによって暮らしを変えられてしまった人々は、決して忘れはしない。人々は、AREのせいで病に苦しみ、子どもを失い、デモのさなかに警官との衝突を経験したし、国内治安維持法によって逮捕された者もいる。多くの人々が仕事を後回しにして、パパン、ブキメラ、クアラルンプール、ときには東京での行動に参加した」と語る。 ヘウも、1987年に国内治安維持法のもとで起きた警察との大規模衝突(訳注:反政府指導者や社会活動家に対して警察が行った大規模な弾圧。ララン作戦と呼ばれる。106人逮捕され、ザ・スター紙を含む新聞2紙と週刊誌2誌が出版禁止となるなど、マレーシア史上二番目に大きな弾圧事件となった)で逮捕された経歴を持つ。 パパン・プシン・シプテ放射性廃棄物処分場反対委員会の議長であるロウ・トン・ホイ(69歳)も、マハティール氏の発言に度肝を抜かれた一人である。「どうして今になって放射性廃棄物処分場が危険だと言い出したのだ? 1984年に、パパンで放射性廃棄物を投棄するためにずさん極まりない溝が作られたとき、彼はそれを認めたのに」 ロウはさらに、アメリカ、イギリス、カナダ、日本の人々や、地球の友マレーシア、ペナン消費者協会、マレーシア環境保護協会などが結集して、ARE工場と廃棄場の危険性を白日の下にさらしたにもかかわらず、政府がその意見を無視したことも付け加えた。 ARE工場は1994年に操業を停止したが、その会社はいまもメンレンブ(イポーに隣接する小規模な町)に事務所を構えている。 ARE工場の解体と除染作業が行われたのは2003年から2005年にかけて、操業停止から9年もたってからであった。 AREのニシカワ部長は、インタビューに対して次のように語った。 「汚染された器具、建材、土壌、材料など合計25万トンが撤去された。撤去作業は、マレーシア原子力許認可協議会の審査に合格したトラックによって、パパンの裏手にあるクレダン連山の41ヘクタールに及ぶ敷地に建設されたEC1と呼ばれる貯蔵施設に運び込まれた」 「マレーシア原子力許認可協議会は、工場跡地は完全に除染され、すでに放射能による汚染はなくなったと確認した。工場敷地は、昨年州政府に返還された」 ニシカワ氏によると、AREはEC1の隣に2つ目の貯蔵施設EC2を建設するプロジェクトを実行しており、そこには1982年から1994年までのAREの操業によって蓄積された水酸化トリウムが貯蔵されることになるという。 EC2が完成すれば、現在の貯蔵施設EC1は解体され、すべてはEC2の地下10メートルの地点に埋設されることになる。 3年がかりでプロジェクトの詳細が決定され、原子力許認可協議会が認定した国内外の専門家による再調査が行われたとニシカワ氏は語った。 「このプロジェクトは、国際放射線防護委員会、国際原子力機関、マレーシア原子力許認可協議会、労働安全保健省など、国際的な、そしてマレーシアにおける基準と規制にのっとって設計された。そして、ペラ州政府によるモニタリングが行われ、ペラ州政府はマレーシア原子力庁と共働している」 「これから解体されるコンクリート製の建屋から出る汚染されたがれき50万トンと、8万本の廃棄物、そして土壌がEC2に運ばれる」とニシカワ氏は言う。 AREはプロジェクトの管理と実施に関して、アメリカに本拠を置くジオシンテック・コンサルタンツ社と、その子会社であるマレーシアのGSMコンサルタンシーの力を借りている。 GSMコンサルタンシーのアンソニー・ゴー氏は、貯蔵施設は適切に設計、建設されているとし、頻繁なモニタリングを行って政府に報告を行っていると語る。関係者はみな、プロジェクトの実施によるラドンガスの増加など、人体や水や植生に対する負の影響はないと強調する。 しかし、ペラ反放射能委員会のヘウは、長期的に見てこの処分場が住民や環境を危険にさらさないという保証はできないと考えている。 彼は「州政府が今後、処分場のことを忘れてしまわず、人々のために真の意味でのモニタリングを継続してくれることを望む」と語った。
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